私は人が苦手でした。
人が嫌いなわけではなく,むしろ好きなのですが、苦手だったのです。
多分一番近い言葉は「怖い」
動物はもれなく好き
「怖い」最大の理由は、いつどんな展開になるのかわからないこと。
ついさっきまで笑っていたのに急に怒りだされないかと怖いのです。
もちろんそれには理由があります。
いわゆる幼い頃からのトラウマ。
さっきまで機嫌が良かったのに,一瞬で、しかも私の知らない何かをきっかけで機嫌が悪くなり、攻撃してくる人が家の中にいたから。
その人の機嫌一つで家の空気が一気に重くなる。
そしてその機嫌の悪さのまき散らし方がまた醜悪。
同じようなタイプの人がいたら違ったのかもしれませんが、なにせその人以外の全員が、私のように黙るタイプ(笑)
その人に天敵は存在せず、家の中で自分の機嫌ひとつでやりたい放題。
いわゆる家を支配している状態でした。
それは「地雷」と呼ばれるような何かで、日によって昨日まではなんでもなかったもの、ひどい時にはむしろご機嫌にしてくれる存在が、たった今から地雷に変わる。
うん、うん。
ほんっとうにそうだった。
そんな家族から離れて結婚したあとは、パートナーが全く同じ存在になった。
地雷。
それはどこにあるかわからない。
しかも実際の地雷と違い、日によって埋めてある場所が変わるからとても厄介。
誰よりも身近で誰よりも私を守ってくれるはずの人が、突然攻撃に回る。
だから私は幼い頃から、根底から人が怖いと無意識に思うようになった。
どうしていいのかわからない。
どうしてそうなるのかわからない。
怒らせたくなんてないのに、自分のせいで(と相手は言う)時には自分とは全く無関係の場所からウルトラCの論法で私を責めてくる。
(ひとり暮らしを始めて、自分一人で洗濯機で布団を無理やり洗おうとして壊したことさえ人のせいに出来る人だった)
だったら自然の中にたった一人でいる方がいい。
神社とか公園でもいい。
誰かが突然何の脈略もなく攻撃してくるようなことがない場所にいたい。
幼い頃は家の目の前に山があった。
毛無山と呼ばれる大きな山の麓にすんでいたから、玄関から外に出れば目の前が自然。
10歳で引っ越してからは、窓を開けると天狗山が目の前にあった。
天狗山のダイナミックコースをスキーで降りてくれば、実家の前にたどり着く。
そんな場所に住んでいた。
窓から山や海(港)が見えた。
すぐそばに神社があった。
公園があった。
飼っていた、家族の中で最も信頼できる犬がいた。
だから私は生きてこられた。
だけど社会の中で生きていかなければならず、わたしはその中でも幾度となく似たタイプの人にひっかっかてしまった。
これは潜在意識の呼ぶ波動ってやつ。
そういう人間を恐れる波動を出すから、ちゃんとそれが跳ね返って、そのような人を引き寄せる(笑)
色々あって(長いので割愛)
ひとつひとつクリアしてきて、やっと、ほんとうにやっと、人といても怖くなくなった。
むしろ、人といても楽しいと思えるようになった。
気が付くと、まわりには素晴らしい人がたくさんいた。
私が勝手に怯えていただけで、もともと最初からその人たちは変わらず優しく親切にそこにいた。
私は動物や植物や物体にも人格といってはおかしいが、意識のようなものを感じる。
建物や大地にも感じる。
海にも空にも。
それを感じ始めると涙が出る。なぜなのかな(笑)
神社に行くと、そこに神様のような存在がいて、暖かく包んでくれるのを感じる。
建物の精霊のようなものがいて、ようきたな、休んでいけって言ってくれる。
旅をするのが好きなのは、そんな人(ではないが)たちにたくさん会いたいから。
そして最近はやっと、そこにいる「人間」としての人たちにもたくさん会いたいと心から思えるようになってきた。
ずっとホロスコープの友達の場所にいい星がはいっているのが不思議だった。
でもね、それは正解だったなぁと今思っています。
(そして結婚の部屋が最悪なこともね笑)