新聞に、こどもたちの携帯の使い方について書かれた記事が載っていまして。
それを読んで、以前お母さんの集まりで、どなたかが言っていたことを思い出しました。
要約すると、
『こどもに携帯なんてものを与えると、親のいないところでこっそり悪いことをするんじゃないかと心配で、こっそりチェックしていかなくてはいけない』
それを聞いて私はそれってイタチゴッコってやつじゃないのかなぁと思いました。
こどもは賢い。
だから悪いことをしたいと思ったら、上手に親に隠れてやります。
それを必死で探してはつぶしてを繰り返しても結局やる子は抜けみつを見つけてやってしまうのです。
そのとき私に浮かんでいたのは、私が卒業した高校のことでした。
私が中学時代は荒れた学校が多くて、中学生のとき、校舎のいたるところに、長いスカートをはいた、かみそりを持っているスケバンと呼ばれるような方々がいて、生意気なことをすれば、トイレや更衣室に『ひっぱられる』時代でした。
そんな中学で私は、正しい中学生の見本みたいな制服の着方をして、腕に腕章をつけて、週番というものをさせられて、クラスメートのスカートの長さを定規で測り、遅刻してくる人の生徒手帳とかを受取る仕事をさせられておりました。
実際に膝から下のスカートの長さを計っていたのですから、すごいですよね。
ところがです。
私が通った高校は、校則もなければ制服もない、
校風は、
ザ・自由!
だったのです。
学生運動が盛んだった頃、バンカラなお兄さんたちが、校庭で制服を焼き、それ以来私服になったそうです。
卒業アルバムをほかの学校出身の人に見せるとみんな同じ感想を言います。
これ、アメリカンスクール?
まさに授業風景の写真が、アメリカのドラマに出てくるハイスクールみたいなんです。
地元で一番の進学校だったため高校で、先生たちはいつも私たちにこう言いました。
『キミタチはすばらしい生徒だ!
そして、この街の中で、最も分別のある高校生だ!
だから規則をあえてつくる必要はないと思い校則は作っていない。
なぜならば、キミタチ自身が、していいこと悪いことを判断できるだけの充分な大人であるからだ!!』
ことあるごとにいろんな教師からこう言われてしまうと、規則はないけど、正しく生きなくてはと思います。
なにかあると先生は言うのです。
僕たちはキミタチを信じていると。
しかも、最大限信じている態度でいてくださるのです。
アレダメ、コレダメ!!
といっぱい言われるより、
「おかあさんはね、君が誰かを苦しめたり傷つけたりするようなことはしないって信じている。
悪いこと、法律を犯すことをわざわざしないって信じている。
していいこと、悪いことの判断はできるって信じている。
だから携帯を自由に使っていいよ!」
そういわれたら、悪いことしたい気持ちが沸いてもどこかで悪いなって罪悪感が出てきて抑止力になるんじゃないかなと経験から感じました。
だから私はいつもこどもにそう言います。
「ときには間違えることもあると思う。
やっていいことと悪いことの判断に迷うこともいっぱいあると思う。
そんなときはお母さんのことを思い出してみて。
お母さんじゃなくても、誰か大切な人のこと考えてみて。
それをすることが大切な人を悲しくさせることならやめて」
そう伝えてあとはほんとうに信じる。
ほんとうは疑いたくなるし、心配だったりするけど、信じるって決めてそれを貫くのです。
しんどい時もありますが、でも、信じていればいつかきっと本当に通じる日が来ますから(*^^*)