[書籍紹介]
高名な博物学者・南方熊楠(みなかた・くまぐす 1867--1941)の生涯を描く。
慶応3年、和歌山に生まれた熊楠は、
人並外れた好奇心で山野を駆け巡って
動植物や昆虫を採集、
百科事典を抜き書きしては、
その内容を諳んじていた。
洋の東西を問わずあらゆる学問に手を伸ばし、
広大無辺の自然と万巻の書物を教師とし、
ひたすら知識を追求し、博学を目指す。
その目的は、「この世を知り尽くし、おのれを知る」こと。
東京での学生生活の後に渡米、
更にイギリスに渡って大英博物館で研究を進めた。
多くの論文を著し、
国内外で大学者として名を知られたが、生涯を在野で過ごした。
研究対象は動植物、昆虫、キノコ、藻、粘菌から星座、男色、夢に至る、この世界の全てだが、
特に粘菌類の研究に力を入れた。
一つのことに打ち込むのは人生の醍醐味だろうが、
生産性のない学問となれば、経済が成り立たない。
その分、生家の会社を受け継いだ弟・常楠(つねぐす)に頼る。
その弟とも五十代になって決裂し、
自分を継いで学者になってくれると期待した息子は
重圧から心を患い、
精神病院に収容せざるを得なくなる。
在野を貫く熊楠の研究はなかなか陽の目を見ることがなかったが、
最後は、昭和天皇への進講(天皇の前で学問の講義をすること)を行い、
報われる。
1929年6月1日に昭和天皇を神島に迎え、
「長門」艦上で進講を行なった。
昭和天皇は皇太子時代から一貫して生物学に強い関心を持ち、
とりわけ興味を示したのが、
海産生物のヒドロ虫と粘菌(変形菌)の分類学的研究であった。
こうして、名声をものにした熊楠だったが、
その死の床は、
悔恨と苦渋に満ちたものだった。
というのは、作者の見解で、
てんかん持ちで癇癪持ち、
「鬨の声」という頭の中で聞こえる声や、
山で新種を発見した時、大日如来に見えたり、
夢で亡くなった者との交流、
中学の後輩に対する恋情に似た感情等、
これは著者の創作なのか。
熊楠は、日記をずっとつけていたというので、
その日記の内容に基づいているのかもしれない。
その業績は、今、
和歌山県西牟婁郡白浜町にある南方熊楠記念館に納められている。
高台にある館の屋上展望台から南紀の海を望むことができ、
館の前には昭和天皇歌碑が建つ。
「雨にけふる神島を見て 紀伊の国生みし 南方熊楠を思ふ」
これは、1962年、
白浜を訪れた昭和天皇が、田辺湾に浮かぶ
神島を見て思いを馳せ、
熊楠との一期一会を懐かしんだものである。
天皇陛下に進講した粘菌とは、
多細胞性の子実体を形成する能力をもつ
アメーバ様単細胞生物の総称。
↓のような植物。
生物学者としては粘菌の研究で知られているが、
キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、
さらに高等植物や昆虫、小動物の採集も行なっていた。
そうした調査に基づいて生態学(ecology )を早くから日本に導入した。
フランス語、イタリア語、ドイツ語、
ラテン語、英語、スペイン語に長けていた他、
漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。
科学雑誌「ネイチャー」誌に51本の論文が掲載されており、
これは現在に至るまで掲載本数の最高記録となっている。
世に認められぬ苦悩と困窮、家族との軋轢、
学者としての栄光と最愛の息子との別離……。
旺盛な好奇心で森羅万象を収集、
記録することに生涯を賭した
「知の巨人」の型破りな生き様は胸を打つ。
岩井圭也の著作。
先の直木賞候補となったが、
受賞趣旨は逃した。
各選考委員の評は↓のとおり。
京極夏彦
視点は主に熊楠に寄り添うものだが、
熊楠の複雑な思考回路を
本来意識の表層に上ってくるべくもない深層を
明文化することで補完しようという試みは、大変に面白い。
ただその試みが有機的に機能する場面は最後まで殆どない。
その技法で立ち上がっていただろう景色を思うと
極めて残念である。
角田光代
南方熊楠という得体の知れない人が、
この作者の筆によって、
じつに身近な存在になったと私は感じたのだが、
それは同時に、得体の知れない人を
矮小化してしまったことにもなる。
熊楠の人間的弱さを、
私はとても好ましく読んだのだけれど、
熊楠という人から漂う異様さは消えてしまったのかもしれない。
三浦しをん
弟、息子、妻との関係に山場を置き、
もっとつっこんで描いたほうが、
新たな熊楠像がより際立ったのではないか。
とはいえ、那智山中で採集する植物が
如来の姿で現れるシーンなど、
現実と幻想の境界が融けていくさまが素晴らしいと感じた。
林真理子
読み終わってみると、
やはり熊楠が
「大酒飲みの奇矯な爺さん」
としか見えないのである。
何をしたいのかもよくわからないし、
何を成しとげたかったのかも伝わってこない。
この小説のハイライトは、
大英博物館の図書館に初めて入った時と、
天皇に御進講した時だと思う。
この二つが案外あっさりしている。
宮部みゆき
やや硬い感じの生真面目な筆致が、
妻の松枝さんが出てくると俄然面白くなるのが印象に残りました。
浅田次郎
文章は堅実で読みやすく、
この人ならばどんな話でもうまく書けるだろうと思った。
だとすると、
評伝ふうの本作で世に出るのは適切ではない。
事実は小説より奇なりというが、
事実より奇なる嘘をついてこその小説家である。
高村薫
狂気と紙一重の巨人を小説的に造形するにあたって、
全体像を捉えるために整理しすぎたのだろう。
言語化が難しい心身の混沌に
十分踏み込まなかったことで、
森羅万象を求める精神の彷徨も抽象的なものになり、
ずいぶん小ぶりの熊楠になった。
桐野夏生
私が推したのは「われは熊楠」だ。
文章は簡潔ながらも刃が突き刺さるような鋭さがあり、
語彙が豊富で愉しい読書だった。
一生を追うには紙数が足りないようだ。
だが、まるで人間Googleを目指しているかのような、
知識の所有に奔走した熊楠の狂的な一面は充分に描かれている。
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