Je vis ma vie 〜ありがとうの気持ちがあふれる社会へ〜

マーケティングの本質は「ありがとうの気持ち」の探求だと考えます。こちらで社会にありがとうの種をまく活動や想いを綴ります。

私は夢を描けていたかしら?

2017-07-27 | 日記
おはようございます。桑原です。
昨日は未来の夢のお話をしました。

今日は過去の自分の夢について
振り返ってみようと思います。



私の記憶にある一番古い夢は
幼稚園年中さんのときの「看護婦さん」です。

なぜ看護婦さんだったのか
自分の記憶は定かではないのですが、
どうやら、当時好きだった
キャンディキャンディへの憧れかららしいと
母に聞きました。



幼稚園年長さんのときは「お花屋さん」
これは覚えています。
みんながなりたいって言っていたから、私も。
みんなと一緒に同じことをしたかったのです。

リアルに未来なんて描いていませんでした。



小学生になって、環境問題に恐怖を覚え
地球を守らなきゃ!と思い、
「科学者」になりたいと言い出しました。

それでも、自分の未来なんて
リアルに描いていませんでした。
でも、漠然と理系に進もうと思いました。



高校時代は、向井千秋さんに憧れて
「宇宙飛行士」になりたい!
と思ったこともありました。
宇宙から、美しい地球が見てみたい…
ただ、それだけです。

バレー部に所属していて
バレーボール漬けの日々を過ごしましたが
運動は得意ではなく…
それでも好きだったから、
「スポーツトレーナー」になりたい
と思ったこともありました。

それでも、リアルに未来の自分を描けず
曖昧なまま大学を受験しました。



化学が好きで、得意でもあったので
大学では化学を学びました。
バレーボール部のマネージャーとして活動し
スポーツの裏方も楽しみました。



就活のドン底氷河期に
社会に放たれることとなった私は

何がしたいかというより、
生計を立てるために行けるところはどこか?
で会社を選びました。

アフターファイブに
友人とバレーボールをやって過ごせれば
それで十分楽しい人生が過ごせるだろう!
そう思っていました。



結局、乳業メーカーとご縁があり
まさかの研究開発部門に配属されました。

小さな頃からモノづくりは好きでしたが
いきなり開発部門に行けるとは驚きでした。
諸先輩方に可愛がっていただき、
社会人としての基礎を学びながら
とても楽しい日々でした。



充実した3年目のある日、
いきなり企画開発部門に異動となりました。

楽しくて仕方がなかったので、
泣く泣く異動したのを今でも覚えています。



そこでは、ヨーグルトの開発を担当しました。

それまでモノと向き合って
お仕事してきましたが

お客さまのニーズや、働く仲間との連携…
人のココロと向き合うことに
生きがいを感じるようになりました。
私のマーケティングとの接点の始まりです。



それからは、「何がしたいのか」で行動し
複数の食品メーカーで
開発・マーケティングのお仕事
をさせていただき、今に至っています。



振り返ってみると
そのとき楽しいと思うことに夢中になっただけ。
思うようにいかないことに悩んだときも
楽しくするにはどうしたらよいか
そればっかり考えて生きてきたように思います。

つまり、
夢を具体的に描かない子だったかもしれません。



社会に出て、
希望通りにならない現実に直面したとき
それを一旦受け入れたからこそ
新しい楽しさを見つけられたように思います。

受け入れられたのは、
何になりたいか決めつけていなかったから
ではないかしら?

興味を持ったらとりあえず飛び込んでみる癖も
決めつけていないからこそ。
迷走しながら、予想外の今を楽しんでいます。



夢を描くことも大切ですが、
社会での実体験で
予想外の壁にぶつかって考えることも
大切なのではないかと思っています。



そんな場を作りたいです。