ピアノ弾きの休日♪

~ピアニスト&ピアノ講師 遊馬(岩間)俊恵の写真日記♪〜
日々感じること。出会った人。モノ。そして音楽。

リュリカ音楽工房は…

リュリカ音楽工房は神奈川県伊勢原市にあるピアノ教室です。 “リュリカ”とはロシア語で「ゆりかご」という意味です。生徒さんの成長をあたたかく見守り応援したい、という気持ちを込めて名付けました。 留学先のロシア・モスクワより帰国してすぐにピアノ教室を始め、18年。小さなお子さまから中高年の方まで、楽しくレッスンしております。 自身も子を持つ親となったこと、親子向けのコンサートをするなどの活動から学んだことを生かし、母親としての目線を大切に、心に寄り添うレッスンを心掛けています。 現在、空き枠が少なくなっておりますが、生徒さんは随時募集中です。 詳細は教室HPをご覧ください(lyulka-musica.simdif.com)

印刷中…

2012-04-27 22:12:45 | 日々のこと

プリンタくんが頑張ってくれてます。
指示を出し終わるとしばらくヒマなので、日記なんて書いたりして…。

つい先日のこと。
さーて、そろそろ発表会のタイムスケジュールやプログラム諸々、がっつりプリンタ稼働するゾと意気込んでいたのに、PIXUSくんが壊れてしまい、修理に出すと時間は掛かるし修理代も高いし、迷った末に新しいのを購入しました。
結婚した頃、ノートパソコンと同じ時期に買ったプリンタ。まだ3年くらいしか経ってないのにな~…

しかし今度のプリンタ、黒いインクの減りが早い気がする…。
さっき入れ替えたのに、同じ黒インクがもうランプ点滅。
確かに文字ばかりなので、いっぱい使うだろうけどサ。


あ~そうこうしてる内にインクなくなった…。
明日、買って来ないと続き印刷できないや。ちぇ~

今年の発表会

2012-04-24 19:02:55 | 音楽

そうこうしているうちに、発表会まであと5日!
追いまくられるように準備しています。

みんな暗譜もしっかり出来て、だいぶ仕上がってきました。
よかった~。

昨年の連弾は、みんなで『くるみ割り人形』をやりましたが、今年は何をやろうと考えて考えて、『サウンド・オブ・ミュージック』をやることにしました。
ちょっとお話が難しいので、小学校高学年向きかもしれませんが、うちにあるDVDをみんなでまわして家で観てもらって、イメージを膨らませて臨みました。
ナレーションが入って、みんなの音楽がつながったらどんな風になるのか、とても楽しみです。


昨日はゲスト演奏してくださる方々と、初合わせをしました。
合わせは問題なく終了して、あっという間にお茶タイムとなりましたけれどね~(笑)
会ったのは久し振りだったので、話に花が咲きました。

今年は10回目という記念の発表会なので、ちょっと豪華に二人のゲストに来ていただくことになりました。
トランペットの吉川さんと、ヴァイオリンの鈴木さん。
お二人は昨年ご結婚されて、新婚ホヤホヤのHAPPYオーラが全開です
吉川さんには5年ほど前にも一度ゲスト演奏していただきましたが、高校時代からの友人です。
古くからの仲間と一緒に演奏できるって、とても和むし、温かいし、本当に楽しいですね。幸せなことです。


アナウンス原稿もようやくできたし(←これが一番大変かも)プログラム原稿もあとちょっとで出来るし(←これも大変かも)
木曜~金曜で印刷して、製本して完成するのは、やっぱり発表会前日の土曜日になっちゃうかもしれません


今日は天気がよかったので、気分転換に家中の掃除機をかけました。
仕事の前に汗だく…


まだまだやることたくさん!
発表会終了後の打ち上げを楽しみに、明日も準備がんばります。


これさえ終わればゴールデンウィーク!

ありがとうございました

2012-04-12 08:28:13 | 日々のこと

去る4月1日、父が天国へ旅立ちました。


67歳でした。まだまだ若く、重責だった会社もリタイアしてこれからようやく老後を楽しむ…という年齢。
あんなに健康を気遣って、自制心が強く、規律正しく生きていたのに、なぜ自分が…!?
きっと言い表せないほどの悔しさだったろうと思います。

3日の通夜の日は、前日の予報からすでに警戒されていた通り、電車も止まるほどの嵐のような天気でした。
父の無念が呼んだのかもしれません。

この1年、必死で病と闘う父を家族で支え見守って来ましたが、病の進行は本当に情け容赦なく、側にいる私たちも辛かった。
少し体調がよくなっては期待し、CTの結果を見ては現実をつきつけられる、そんな一年だったように思います。

今年2月末に退院してからは在宅医療に切り替え、3月には余命宣告。
やり残したことをやっておきたいと、PCを枕元まで移し、横になりながらもエンディングノートを綴り、資産の整理をし、葬儀の手順までも指示して逝きました。
撮りためた写真を印刷して家の一室にギャラリーを作って欲しい、自分はもう動けないから私に代わりにやって欲しいと言われ、やっと準備ができて部屋に写真を飾った翌朝でした。
固形物を食べられなくなり、排泄にも起き上がれなくなり、酸素が手放せなくなり、寝返りができなくなり、手足が冷たくなり…人はこうやって弱っていくのかと思いました。本当に弱ると、もう悲しさや悔しさで泣くことさえもできないんだ…と思いました。

通夜の日があんな天気だったにもかかわらず、葬儀の2日間でたくさんの方がいらしてくださいました。
躾に厳しく、なかなか気難しく、友人もそう多く作らなかった父でしたが、その人生で深くかかわった人からの信頼はとても厚かったのだな…と、いらしてくださった方々とのお話から感じることができ、遺された家族には何よりの慰めでした。
また、自分の作品をたくさんの方に見て欲しいと言っていた父の願いで、葬儀の会場にもギャラリーを作っていただき、皆さんがじっくりと見てくださっていたのもとても嬉しかったです。

父は常に家族の道標となり、模範となり、病との闘い方、最期の迎え方までも教えてくれたように思います。
最期は苦しかっただろうしさぞかし無念だったろうと思いますが、身体が動く限りやり残したことを片付け、見事なまでに潔い人生でした。

葬儀を準備している際、父の作品の他に家族の写真も飾ろうと久し振りにアルバムを開いたら、小さい時から本当にあちこち旅行に連れて行ってもらい、冬はスキー、夏はテニスにバーベキュー、お盆やお正月に行った父の故郷など、忘れていた楽しい思い出もたくさんありました。
孫の顔を見せてあげることはついにできませんでしたが、ピアノ教室の生徒の成長も楽しみに見守ってくれていました。
父が遺したエンディング・ノートには、自分の人生はとても楽しいものだったと、母や私たち姉妹への感謝の言葉が書かれていました。
父の教えを守り、父が生涯をかけて守ってくれた家族を大切に、またたくさんの楽しかった思い出を胸に、生きて行きたいと思います。


お忙しい中葬儀に参列してくださった方々、電報を下さった方々、心配のメールをくれた友人たちに、心から感謝いたします。