毎年3月に、学生時代から続いている恒例行事、恩師の門下生・卒業生によるコンサートがあります。
今年はこの間の日曜日。子守りの母にも一日お付き合いいただいて、坊ちゃんを連れての参加となりました。
昨年は臨月だったため、迷った末に初めての欠席。ピアノは弾ける状態だったけど、気持ち的に全身全霊が人生初めてとなる出産の方に向いちゃってて、コンサートに向けて1曲を仕上げるってことができなかったのだ。
仕事と育児と家事だけでもてんやわんやな上に、毎月のように
Piccoliniのコンサートとかもやっちゃってるし、こんな生活の中で1曲新しい曲を仕上げるなんてこれまた全く出来る気がしなかったのだけど、恩師が「絶対出てね!何でもいいから弾いてね!」とおっしゃるもので…
まぁ、新しい曲じゃなくたっていいんだけど、せっかくならたとえ小さい曲でも新しいレパートリーを増やしたいしね。
結果的には頑張って弾いて良かったと、思いを噛みしめています。
出産後、レッスンは1ヶ月で再会したし、伴奏者(共演者)としてのコンサートは5ヶ月目で復帰したけれど、ソロを、短かったけれども新しい曲を仕上げるってそれらとは全く違う作業。
全然練習不足だし、もっと練り上げてもっと掘り下げたかったし、舞台では実際に考えていたことの半分も表現できなかったけど。
このコンサートで配布するプログラムには、演奏者が思い思いの気持ちを綴った「プログラムノート」というページがあります。
オーソドックスに曲が作られた背景や楽曲分析的なことでもいいし、はたまた作曲家に触れてもいいのですが、私は毎年その時の気持ちを綴るようにしています。
今年はこちら…。
……昨年4月、3年半の不妊治療の末にやっと授かった命をそのまた10ヶ月のちにようやくこの腕に抱くことができた時、最初に感じたのはこの子のためにならどんなことでもしようという決意とともに、ある“恐怖”でした。私はなんて大切な宝物を手に入れてしまったんだろうかと、あまりに小さくて頼りなくて純粋で愛おしい存在を抱えて生きることになってしまったと、絶対に失いたくないと思えば思うほど、同時に恐ろしかったのです。
あんなに頼りなく思えた我が子はこちらの想像を遥かに超えて逞しくスクスクと標準よりかなり大きめに育ち、まだこの世に生まれて11ヶ月のその体からは生命力の塊のような力強さや頼もしささえ感じます。
いくら心を込めて「子守歌」を弾いてもキャハハと元気な笑い声をあげる我が子を背負いながら、時にはようやく寝付いてくれた夜中に、レッスンでクタクタになった後に、隙間のような時間を見つけながらではありますが、ピアノに向かえる時間が以前にも増してありがたく幸せに感じる今日この頃。つたないながらも愛情を込めて音を紡いでみたいと思います。……
今年は演奏した曲が「子守歌」だったので、しかも子育て真っ最中なのでこんな内容になりました。
出産を経験した女性にとって、何かしら共感を覚えて頂ける文章だったようです。演奏後、何人もの方に声を掛けていただき、とても嬉しかった。「お幸せにね」と言われました(笑)
ショパンの「子守歌」は息子を身篭る前から弾きたいと思っていた大好きな曲だけど、込めたい思いが溢れて止まらない今だからこそ、語りかけたい言葉がたくさんある今だからこそだと、弾き始めてみて心からそう思いました。月並みですけれど。
今年の集いは仙川アヴェニュー・ホールというところで開催しました。
日本で唯一の、4本ペダルを持ったFAZIOLIという名器があるホールです。4本目のペダルの機能を試す時間がなかったのが残念
しかし、坊ちゃんを連れて行った関係で少しでも待たせる時間を短くしようとリハに参加せずぶっつけだったため、初めて目にする4本ペダルにはちょっと戸惑ってしまいました。いつも通り一番右がダンパーペダルだよね???みたいな
そして恩師が今年でご退官されるので、集いの後にはお祝いの会を催しました。
新旧たくさんの門下生が集まってくださり、先生も喜んで下さり、和やかに会が終わって幹事としてはホッと肩の荷が下りたところです。
門下生から先生に差し上げた、記念品のオルゴール
大先輩が選んでくださった品なんですが、50鍵もあり、透明な音色がとても豊かなオルゴールでした。
手彫りのメッセージプレートが埋め込まれていて、とてもスペシャルなプレゼントになりました。
先生と出会って20年!まさに先生と出会わなければ今の私はなかったと思います。
むやみやたらと力任せに弾いていたあの頃の私に、本当の音の響きとは何かを気付かせてくださったかけがえのない方です。
先生がご退官なされても門下生の輪は3月の集いを中心にこれからもつながっていくのですね。
素敵な縁がつながっていくこと、その一員でいられることに感謝です。