(自利と他利)
自分の利益と他人の利益ということですが、
これを普段実行できる人は、大人(たいじん)ですね。
では、
反対にそれができない人は?
自分勝手な人だと言われるでしょうね。
エゴイスト!または自己中心!
でも最近は、それが半ば当たり前のような世間になりましたけども・・・。
自分の都合を最優先するのは、もう半ば当然である。
しかし,
それでは人間としての品格もなくなるし、嫌われるでしょうね。
表では、金持ちに対して良い顔をしていても、裏ではさんざん悪口を言われる。
キリスト教社会では、ボランティアとか奉仕活動とか、または寄付とか言われるでしょう?
成功の裏には必ず施しや社会的貢献を伴うのだという了解。
仏教の中の密教に、『上求菩提下化衆生』という言葉があります。
「上求菩提」というのは、上に向かっては悟りを求めるということ。
悟りを求めることを上に向かうと言っているのですね。
そして、
「下化衆生」は、下に向かっては衆生を教化するという意味です。
これは上に対する下の意味と、
衆生というものは下の位置に属するということですね。
凡夫です、凡俗です。
聖なるものは上なるものですね。
差別の意味で言ってるんではないんですよ。
以前は、上求菩提という文と、下化衆生という文は、別物だと解釈していました。
ですが、これはセットだとういんですね。
上に向かって悟りを得ようとするならば、下に向かっては衆生を教化するんだと。
教化とは、人々を教え導くということ。
人々を救うということです。お世話をすることだって救うということです。
助けると解釈してもかまいません。そのほうが正解でしょう。
菩提を求めるならば、人を助け導くという行為が必要なんだということ。
それによって、人々を救うという徳を持つことになるわけです。
その人々を救うという行為から生まれる「徳」が発生するわけです。
その徳が悟りに向かわせる力となって、お前は成仏できるのだぞという眞理ですね。
悟りを求めるという行為自体は素晴らしいことです。
しかし、それは反面、自分の利益ですよ。
自分の幸せになりたいという自己救済の利益です。
自分を救いたかったら、まず他人を幸せにすることから始めよという。
そうしなければ、
お前は幸せになるための力を作ることができないのだと。
この世の中はフィフティフィフティなんですね。
マイナスとプラスは合計ゼロです。
なんというバランスの取れた世界であることでしょう。
私たちは、得ることだけを考えるのは正しくないのですね。
得るときには、同時に与えることを考える。
与えると同時に、次の幸福になる自分が見えてくる。
これは真実です!
自分の利益と他人の利益ということですが、
これを普段実行できる人は、大人(たいじん)ですね。
では、
反対にそれができない人は?
自分勝手な人だと言われるでしょうね。
エゴイスト!または自己中心!
でも最近は、それが半ば当たり前のような世間になりましたけども・・・。
自分の都合を最優先するのは、もう半ば当然である。
しかし,
それでは人間としての品格もなくなるし、嫌われるでしょうね。
表では、金持ちに対して良い顔をしていても、裏ではさんざん悪口を言われる。
キリスト教社会では、ボランティアとか奉仕活動とか、または寄付とか言われるでしょう?
成功の裏には必ず施しや社会的貢献を伴うのだという了解。
仏教の中の密教に、『上求菩提下化衆生』という言葉があります。
「上求菩提」というのは、上に向かっては悟りを求めるということ。
悟りを求めることを上に向かうと言っているのですね。
そして、
「下化衆生」は、下に向かっては衆生を教化するという意味です。
これは上に対する下の意味と、
衆生というものは下の位置に属するということですね。
凡夫です、凡俗です。
聖なるものは上なるものですね。
差別の意味で言ってるんではないんですよ。
以前は、上求菩提という文と、下化衆生という文は、別物だと解釈していました。
ですが、これはセットだとういんですね。
上に向かって悟りを得ようとするならば、下に向かっては衆生を教化するんだと。
教化とは、人々を教え導くということ。
人々を救うということです。お世話をすることだって救うということです。
助けると解釈してもかまいません。そのほうが正解でしょう。
菩提を求めるならば、人を助け導くという行為が必要なんだということ。
それによって、人々を救うという徳を持つことになるわけです。
その人々を救うという行為から生まれる「徳」が発生するわけです。
その徳が悟りに向かわせる力となって、お前は成仏できるのだぞという眞理ですね。
悟りを求めるという行為自体は素晴らしいことです。
しかし、それは反面、自分の利益ですよ。
自分の幸せになりたいという自己救済の利益です。
自分を救いたかったら、まず他人を幸せにすることから始めよという。
そうしなければ、
お前は幸せになるための力を作ることができないのだと。
この世の中はフィフティフィフティなんですね。
マイナスとプラスは合計ゼロです。
なんというバランスの取れた世界であることでしょう。
私たちは、得ることだけを考えるのは正しくないのですね。
得るときには、同時に与えることを考える。
与えると同時に、次の幸福になる自分が見えてくる。
これは真実です!