(つづき)
そこで、
タンハーが問題であって、タンハーを断つんだと、
そうは言っても、
存在の原理そのものを成り立たせているところの力であるタンハーを、
そう簡単には断てないわけですよ。
存在そのものを有らしめている力を、
どうやって断つのか?
これには長い思考を要しました。
いろいろ考えた結果、これは無理だと。
そんなことできっこない、誰だって存在したいんだ。
人間だけじゃなく、
生きているものすべてが、存在への意思を持っている。
ショーペンハウアーだったか、生への意思を説いたのは。
世界は盲目的な意思で成り立っているのだと主張した。
そこに転がっている石っころだって、
道端に咲いている草花だって、
みんな生への意思をもっているんだ。
きれいだなと言われれば嬉しいし、
なんだそのスタイルは?と言われれば落ち込むし、
自分の存在を肯定してもらってこそ、
私たちは満ち足りることができる。
そんなことは当たり前のことですよね。
だが、
わが偉大なる師は言われた。
「確かにそうだと思う。タンハーを断つのは至難の技だと思う。
だが、悪因縁を断つことで、タンハーは消滅すると私は思う。」
そう言われた。
どの本を読んでも書かれていなかった私の疑問に対して、
明快なる答えを出していただいた方は、
我が師が初めてだった。
私は心から驚いた、
と同時に、感心して納得した。
タンハーを断つには、悪因縁を切ることで消滅し解消できるのだと。
そこで、私は答えを得ることができたわけです。
心の底から納得できた。
さすが、我が師であると感心した。
だが、理論は分かった。
具体的にはどうするのか?
それが仏教の開祖である釈迦が説いた教えである。
お釈迦さまは悟りを得て、ニルバーナに到達された。
独力でもって、タンハーを断たれて、ニルバーナの世界に入られたのだ。
そこに釈迦の偉大さがある。
誰も解けなかった、誰もなしえなかった偉業。
それがタンハーを消滅して、ニルバーナに入るということ。
では、改めて聞くが、具体的な方法はいかん?
(つづく)
そこで、
私たちそのものと直接関係するところの「命」と言える「先天運」に、
プラスの作用を働きかけるにはどうすれば良いのか?
これが大事ですよね。
話は変わりますが、“五薀皆空”といわれます。
人間という存在を成立させている五つの要素を、
五薀と呼んでいるのですが、
それは、①色 ②受 ③想 ④行 ⑤識 です。
(※詳しくは後に説明させていただく予定です。)
これらがお互いに連動して、寄り集まって、
〇〇何某という一人の人間ができ上っていると考えます。
それを、空だと考えることは、
すべては相対的であり、
相互関係によって存在するということになりますから、
それぞれの各要素を、ばらばらにしてしまう、
解いてしまうということになります。
例えば、
一つの家があるとします。
その家はいろんな材料を使って、いろんな人の手を経て作られています。
庭先や基礎部分には、石が使われているでしょう。
また、
その柱は何十年も経った木の柱が使ってある。
そして、屋根には土でこねて焼いた瓦とか、
今では珍しくなりましたが、茅とかが敷いて葺いてあるわけです。
また、
部屋と部屋とを隔てる壁には、
竹篇を挟んでかべ土が練りこめられてある。
そういう材料を使って、家が出来上がるわけですが、
単純にそういう材料が使われて完成するのではない。
やはり、
おじいちゃんやおばあちゃん、
また父母そして兄弟等、家族みんなことを考えて、
みんなが住みやすい家を考え、想定しますよね。
そういう住みやすい家というもののコンセプトを考えます。
また、
二階建てにするのか、二階建てなら階段はどこにするか、部屋はいくつ設けるか、
建築に際しては、どこの業者を使うか、
支払いはローンにするのか、現金払いか。
そういうさまざまな構想の下に,
「家」というイメージが創られて、そして、家の実現に向かって動き始めます。
だから、
それらの一つ一つが、ばらばらに解けると、我が家は崩壊し、無くなる。
元に戻ってしまって、元の野原になってしまうわけですね。
その「家」は誰が創るのかというと、
それはほかならぬこの「私」ですよ。
私という意欲を持った心が、その家を作りたいと欲求するわけです。
その私の心が、さまざまな材料や要素を集めてきて、
家を作るわけです。
その欲求する心を、お釈迦様はタンハーという言葉で表現されます。
ですから、
タンハーがなくなると、何も生まれないし、
すべては元の木阿弥となって、消滅するわけです。
当然、そのタンハーが消えると、
私という構成要素もばらばらになって、私という存在も消えることになるわけです。
ですから、
私を存在させているのは、タンハーだということになります。
そこで、
「我が家」を「我が人生」に置き換えると、どうなるでしょうか?
それこそが、我が人生=先天運にほかなりませんね。
先天運を動かすにはタンハーがあって、
そのタンハーの内容を変えれば、
出来上がるものも形が変わっていく。
完成した我が家を作るのに、
何軒か作って、初めて自分の納得できる家が持てるといいます。
だから、
一挙に変えるのはむずかしいので、
トレーニングの形をとりながら変えていきます。
我が人生は一度きり。何度も作り直すことは、まず難しいですね。
でも、
一つの失敗に対しては、やり直しが利きます。
失敗するたびに、反省と改善をすることで、
徐々に質の良い人生を創造していくことが可能です。
それを、自分の構成要素、構成部分に対して行うわけです。
私たちは、自分の考え方とか行動パターンに、
ある一定の決まったものがあります。
失敗するときに、ある決まった自分独特の行動パターン、
ある一定の反射的な思考パターンを持っています。
それは普段、何事もなく生きているときには、わからないものです。
自覚ができないレベルの、条件反射的なものだからです。
・
うまくいかないときには、
決まって失敗するパターンを持っているのです。
それがその人の特徴をなしている癖です。
それが心癖というものです。
だから、その心癖をよく見つめるのですね。
そのためには、
自分自身を謙虚に見ることが大事です。
自分自身に対する傲慢な気持ちや、横柄なきもち、
卑屈な気持ち、ゆがんだ気持ち、そんなあらゆるものが
取り除かれて、
素直になれることが大事ですね。
まず、そこから始めることが大事ではないでしょうか。
そのためには、自分に染み付いた心癖を取り除くには、
無意識の心から変えていくことが必要になります。
それがむずかしいわけです。
それには、どうすればいいか?
ここがポイントになるんです。
(つづく)