
(つづき)
タンハーが元にあって、そのタンハーを解消することで、
私たちの人生が改善されるんだと。
それが前回までの説明でした。
では、
「タンハー」とは何ぞや?という疑問が出てくると思うのです。
あなたが発した質問ならば、良い質問だとお答えするでしょう。
大事な質問です。
タンハーが人生を生かす原動力ならば、
そのタンハーを動かすのはなんぞやという疑問が生じるでしょう。
その前に、
仏教ではこれまで、
タンハーを生じるのは「無明」であるとされてきました。
「無明」ゆえに、人は輪廻を繰り返し、
悪いカルマを積み重ねてくるのだと説明されてきました。
さあ、そうでしょうか?
学者は頭の中で理屈を考えます。
机の上で文献を元に理論を立て、説を進めます。
ところが、
「先天運」に関しては、大半の人が追及した経験がありません。
「運気」そのものを追求した人が、そうはいないのですね。
ですから、自分の頭で考えることにしましょう。
それでも、
中には我が偉大なる師のように、
深く深く研究を進められた方もおられます。
我が師はご自分で、特異体質だったと言われことがありますね。
ごちゃごちゃ言うのはそこまでにして、
結論として、タンハーを作るのは己の悪い行為です。
どういう行為かと言うと、
人に迷惑をかけたり、泣かしたり、苦しませたり、悲しませたり、
そういう相手に何らかのマイナスの行為を与えることで、
人からマイナスのエネルギーを受ける。
それが悪いカルマとなります。
私たちは常日頃、自覚なしに行っておりますよ。
そういう未熟な行為を。
それは私たちの心が、「むさぼりの心」「怒りの心」「動物的な愚かな心」
大きく分けると、
そういう心を元にして、私たちは日々生きているからです。
まず、
そんな未熟な心に、私たちは支配されていることを認識することです。
そういう人間を、仏教では「凡夫」と言います。
その三つの心を持っていない人は、「聖者」と呼ばれます。
大変ですね。
私たちは、自分をまともだと思っているでしょう。
さらに言うならば、ほかのトラブルを起こす人を見ては、
比較して、自分を立派な人間なんだと思っている。
ほとんどの人がそう自惚れていると思います。
自己は自分自身をそう考えて生きているのですから。
自分を未熟でなんと愚かで、他人よりも劣っているのかと考えたならば、
私たちは一日も、この社会で生きていくことはできないでしょう。
それを「煩悩」と呼びます。
その「煩悩」を持っているがゆえに、
私たち凡夫人間は人からマイナスの心を受け取ります。
また、動物虐待というのも、動物からのマイナスの心w受け取ります。
それらがみんな行った人に帰ってくる。
そして、
マイナスのカルマとなって、わが身に帰るのです。
我が命を維持するために、動物を殺すなんてことももちろんダメです。
それらを一言で「不徳」というのです。
自分が未熟な考えを持っていたり、浅慮のために、
良い行動をとれなかったりして、
私たちは良い行動をとれない。
結果的に、
それらが私たちに不徳という果実を実らせるのですね。
だから、戒(いましめ)の行いとして、
やってはいけないことの重要性を自覚することです。
次に、
もう一つ、タンハーを生じさせることは、
その不徳を解消しなければいけないということです。
生じてしまった不徳に対して、
そのままにしておくのは、タンハーの解消にはならないのです。
タンハーwを解消すること。
これこそが、一番大切であり、一番困難なことなのです。
出来上がったものをどうやれば失くせるのか?
つまり、不徳を消す消しゴムです。
その消しゴムがないかということです。
それが釈迦の悟りのバイブレーションなんですね。
(つづく)