六枚目のコイン

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準提尊の功徳(Ⅱ)

2019年04月06日 19時06分05秒 | つぶやき


(つづき)
タンハーが元にあって、そのタンハーを解消することで、
私たちの人生が改善されるんだと。
それが前回までの説明でした。

では、
「タンハー」とは何ぞや?という疑問が出てくると思うのです。
あなたが発した質問ならば、良い質問だとお答えするでしょう。
大事な質問です。

タンハーが人生を生かす原動力ならば、
そのタンハーを動かすのはなんぞやという疑問が生じるでしょう。

その前に、
仏教ではこれまで、
タンハーを生じるのは「無明」であるとされてきました。
「無明」ゆえに、人は輪廻を繰り返し、
悪いカルマを積み重ねてくるのだと説明されてきました。

さあ、そうでしょうか?
学者は頭の中で理屈を考えます。
机の上で文献を元に理論を立て、説を進めます。

ところが、
「先天運」に関しては、大半の人が追及した経験がありません。
「運気」そのものを追求した人が、そうはいないのですね。
ですから、自分の頭で考えることにしましょう。

それでも、
中には我が偉大なる師のように、
深く深く研究を進められた方もおられます。
我が師はご自分で、特異体質だったと言われことがありますね。

ごちゃごちゃ言うのはそこまでにして、
結論として、タンハーを作るのは己の悪い行為です。
どういう行為かと言うと、
人に迷惑をかけたり、泣かしたり、苦しませたり、悲しませたり、
そういう相手に何らかのマイナスの行為を与えることで、
人からマイナスのエネルギーを受ける。

それが悪いカルマとなります。
私たちは常日頃、自覚なしに行っておりますよ。
そういう未熟な行為を。

それは私たちの心が、「むさぼりの心」「怒りの心」「動物的な愚かな心」
大きく分けると、
そういう心を元にして、私たちは日々生きているからです。

まず、
そんな未熟な心に、私たちは支配されていることを認識することです。
そういう人間を、仏教では「凡夫」と言います。
その三つの心を持っていない人は、「聖者」と呼ばれます。

大変ですね。
私たちは、自分をまともだと思っているでしょう。
さらに言うならば、ほかのトラブルを起こす人を見ては、
比較して、自分を立派な人間なんだと思っている。
ほとんどの人がそう自惚れていると思います。

自己は自分自身をそう考えて生きているのですから。
自分を未熟でなんと愚かで、他人よりも劣っているのかと考えたならば、
私たちは一日も、この社会で生きていくことはできないでしょう。

それを「煩悩」と呼びます。
その「煩悩」を持っているがゆえに、
私たち凡夫人間は人からマイナスの心を受け取ります。
また、動物虐待というのも、動物からのマイナスの心w受け取ります。
それらがみんな行った人に帰ってくる。
そして、
マイナスのカルマとなって、わが身に帰るのです。
我が命を維持するために、動物を殺すなんてことももちろんダメです。

それらを一言で「不徳」というのです。
自分が未熟な考えを持っていたり、浅慮のために、
良い行動をとれなかったりして、
私たちは良い行動をとれない。

結果的に、
それらが私たちに不徳という果実を実らせるのですね。

だから、戒(いましめ)の行いとして、
やってはいけないことの重要性を自覚することです。
次に、
もう一つ、タンハーを生じさせることは、
その不徳を解消しなければいけないということです。
生じてしまった不徳に対して、
そのままにしておくのは、タンハーの解消にはならないのです。

タンハーwを解消すること。
これこそが、一番大切であり、一番困難なことなのです。
出来上がったものをどうやれば失くせるのか?
つまり、不徳を消す消しゴムです。
その消しゴムがないかということです。

それが釈迦の悟りのバイブレーションなんですね。

(つづく)
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