“挫折からの出発”なんて、
いかにも、キザで作ったようなタイトルですよね。
ですが、
その作り物のような、
格好つけたようなタイトルのような人生を
まさに今、私は歩み始めているのですね。
過去の因縁の洗い出しを済ませて、
私は新しい人生を、すでに歩み始めている。
悪因縁の洗い出しが済んだといっても、
後遺症というのがあるわけで、
傷が閉じても、かさぶたが表面にできて、
それがきれいに取れるまでは、
傷が治ったとは言えないわけです。
だから、その数年の癒しの時間が必要だったのですね。
そして今、
すっかり傷は癒えて、
もうすっかり回復した自分がいます。
そこで、
私は開祖が信仰を始められたばかりの頃のことを思い出すのです。
開祖は、実の妹さんが膵臓癌で亡くなられたときに、
ご自分にも癌の星があることに、愕然とされたというのです。
それで、
癌の因縁を切る必要性を痛感したということでしたね。
ところが、
その前に、開祖は主税法違反で、刑に問われてしまったわけです。
刑務所に六か月ほど入って、刑期を終えられた開祖でしたが、
そのとき、開祖は己の悪因縁を切切らない限り、
二度と俺は人生に出ることをしない。
二度と人生に名を挙げるなどということはしない。
そういう悲壮な決意をされて、
因縁切りの信仰生活に入られたのでした。
開祖は、仏様の「今だ、立て!」というお言葉を受けて、
仕方なく信仰生活に入られたということでしたが、
私は開祖がどのようにして、運を開かれて行かれたのか、
とても興味が有ったのでした。
私のような凡夫が、
管長猊下と同じように信仰で運命を開くなんてことは、
なかなか難しい。
その難しいところを、開祖の努力や修行方法を確かめることで、
私も同じように行えば、
因縁解脱の修行を進めることができるのではなかろうか。
そういう想いから、私は開祖の人生の歩みを何度も顧みたわけです。
開祖が若いころに、結核にかかって、
死ぬ思いでその結核を治されて回復したこと。
また、運命学の大家というところから、
密教門に入られて行かれた契機のこと。
その密教門に入られたにも関わらず、
絶望的なところから、阿含経に到達されたこと。
そういう開祖の人生における、ターニングポイントとも言える点を、
掴むことで、私も開祖と同じように歩めるのではないか。
そういう思いで、
何度も開祖の若き頃の苦悩と、
その運命的な転換点を探っていったのです。
そして、私もまた今、挫折からの出発を始めたという、
似たような境遇に陥った自分を振り返るのですね。
幸いに、私は挫折してしまうところだった私の人生を、
挫折したままで終わらせないで、数十年という人生の猶予を残して、
私は挫折からの出発を行えたことは、
大変に幸運だと思うのですね。
だって、まだチャンスが十分に残されているわけですから、
可能性は大いにあるわけです。
もう十分にチャンスは残されているわけです。
決して絶望なんてする必法はない。
明るい未来への希望を持ったまあ、
私は本尊のと開祖のバックアップを受けて、
私は前進することができる。
今、私は
もう一度、人生をしっかりとこの足で歩み、
そして、人生の結果を実らせるんだと、
そういう決意でいっぱいです。