続きです。
世界を変えていこう!と、威勢よく叫んだのはいいのですが、
さてどうすれば良いのか?
皆さんも悩みますよね。
私は一般の方に向けて話をすることがあるんです。
その際に、カルマとか業とかの言葉を使うのですが、
なかなか反応が摑みにくいです。
分かっているのかな?とは思うのですが、
それ以上は今一突っ込めないのがもどかしい。
今一、反響を呼び起こせないでいるのですが、
やはり、悪業を帳消しにできる「成仏法」を使うしか手がないということです。
それも、
これ以上ないという方法で。
では、
どういう方法で「成仏法」を修するれば良いのでしょうか?
まず、
仏様に祈願を申し上げることでしょう。
それも具体的にどうしていただきたいのか、どうありたいのか、
それを成仏法の本源である仏様に申し述べるのです。
申し述べたら、次に願いに応えていただくための供養を行う。
仏様は「応供」というように、
供養に応えます。供養に応えて願いを叶えていただくわけですから、供養が必要なのです。
精一杯のご供養をさせていただきますから、どうぞ私たちの願いに応え下さい。
そうお誓いするのです。
それが「本尊」なのです。
そして、
次に具体的な供養行に移行します。
では、
その対象は誰でも良いのか?
誰でも構いません。
ですが
問題の当事者が供養すれば尚良いのではないでしょうか。日本人の問題には日本人がその解決を祈る。
それは当然でしょう。
他人が祈るのは結構なことです。
ですが、
問題の当事者が祈らないで、どうして問題が解決しますか?私たちは直接的な当事者、間接的な当事者ともに、
祈りを集める。
それが「菩提心」であります。
これなくして「仏様からの功徳」は得られない。
大切なのは、仏陀の心を取り入れることです。
「菩提心」を集めることは、仏陀の心を取り入れることになります。
同様なことが、他者のために祈ることも言えます。
他者のために祈ることは、仏陀と同じ心を持つことだからです。
究極的には自己と他者の心の区別がなくなるのです。
大事なのは、
誰も自分の利益になることならばやるのです。
それが生きている者の自然の摂理だからです。
それを超えることが、成仏のひとつのポイントになるのではないでしょうか。
大事なのは、大事なこと、やらなければならないことに、損得を入れてはいけないということです。
自分の利害を入れると、行動できなくなるからです。
今、世の中が乱れていますよね。
それは全て利権や利害が絡んでいるからですよね。
何か大切なことを行う時には、おのれの都合を考えると、その大切な行動は成就しないのです。
そのことを開祖は言っておられていて、私は感服したものです、さすが開祖だと。