数えてみれば、
あの大震災から30年が経つんだと思うと、
感慨深いものがありますよね。
私は当時、京都に住んでいて、
それこそ古い木造の家屋に起居していました。
1995年1月17日の朝5時40数分、
それこそ、
ゆらゆらと大きく揺れました。
おっ、と思うと同時に、
これ以上揺れると、この建物なら危ないなと、
そう感じましたね。
だから、
寝ていましたが、今度きたら飛び起きて、
外に出ないといけないという気持ちを持とう、
なんて思ったものです。
あれから30年、
今では神戸市も元のような雰囲気を取り戻していますが、
あの当時、
数年経ってはいましたが、
なにか殺伐とした雰囲気が漂っていました。
彼らはそのことについて、ほとんど口を開かないですが、
その苦労は並大抵のものではなかっただろうと、
今になって伺い知る体たらくであります。
その点、
まことに申し訳ない気持ちです。
本当にすみませんでした。
その阪神淡路大震災の起きる年、
1月5日その時、開祖は伊勢神宮にお参りされて、
内宮正殿前で深々と礼拝した瞬間、
パッと、御神示がひらめいた。
「思うまま、発表せよ」
御神示がくだったのである。
開祖はさらに深く頭を下げられた。
開祖は帰宅されて、すぐ筆を取られた。
それが雑誌「ダルマチャクラ」68号。
そのはじめに、
「わたしは、1999年7の月への歩みが、
今年からその姿をあらわし始めると予感する」
まさに、その年(1995年)から、
今年2025年で30年目。
それは、
占星術でいうと、
『サターンリターン』(土星回帰)に当たるのである。
土星回帰、なんと含みのある言葉であろうか。
さまざまな解釈は有ろうが、
土星はカルマの象徴である。
そのカルマの象徴である土星が、
30年を経て回帰するという。
その意味は、カルマの総括と言える。
30年を一周して、
行われたことの意味を振り返ってみるのである。
だから、30年は物事の終了という意味があると思うのだ。
例えば、
人の30歳前後には、
なんらかの振り返り行為があると思う。
一仕事を終えるとか、転職するとか、
人生の節目を迎える、
そんな人生経験を、誰もがするのではなかろうか。
それが『サターン・リターン』(土星回帰)である。
その土星回帰が、
阪神大震災の出来事でもおこわなれるのだ。
阪神大震災を振り返ってみる、
そして、どういうことだったのか分かるとか、
いろんな思いに耽ることもあると思うのだ。
それが「土星回帰」なのだ。
そして、開祖の言われた「1999年7の月が来る」は、
今年になって、30年を迎えて、
ひとつの結論を迎える。
と同時に、
世界はひとつのピークを迎えるのではないか?
それが今年の2025年だ。
それをひとつ、しっかりと心に刻んで生きていこうではないか。
そう私は思っている。
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