母が亡くなって、
葬儀のために田舎に帰省して来ました。
帰りの駅を待つ間に撮った写真を載せます。
これは卯の年なんで、卯之町を宣伝するのも目的の一つなんですが、友人が稲わらを使って、いろいろと動物なんか作成してるんです。
それが上の写真です。
稲わらを材料に、マンモスとか象とかを作成して、田んぼの中に置くんですが、
それがけっこうな評判を呼んで、今、宇和地方の名物になっているようです。
宇和と言えば、かつて南伊予地方の中心地で、戦国時代は京都西園寺氏が荘園を直轄支配するために、下向して領主となった所です。
その前は、橘氏が支配していました。
またさらに前となると、古代の土器がたくさん出土する所でもありますが、
あまりにたくさん出土して掘るのが大変になったため、また埋め戻したという話まであるんですね。
言語学者の加治木義博氏に言わせれば、
宇和=和、倭、を指す言葉だそうです。
和は本来、ウワと読むのだそうです。
さらに言うならば、ウワイ、ウバイと読むのだそうです。
商人と書いて「アキンド」と読むでしょう。
だから、
和人と書いて「ウバイド」と読むのだそうです。
これには、
多分、古代の歴史を深く掘り下げて調べる必要があると思うのですが、
一万年(?)ほど昔、四国が海に水没しそうになった時、四国の大王が人々を引き連れて、今のメソポタミア地方に移住していったと主張している人がいます。
そうすると、シュメール人の前に文化を形成していたとされるウバイド人は、この「宇和」と深い関係を持っているのではないかと、私は推測するのです。
一万年前と一般的には言われますが、
高橋良典氏に言わせれば、
洪水は実際には三千五百年前だそうですから、
一万年前ではないのかも知れません。
まあ、
そんな感じで宇和地方の宣伝をしてしまいましたが、
宇和は今も穀倉地帯として、周囲の人々を安心させています。