MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

晩秋の野の花

2013年11月24日 | あらかると

先日の冷え込みで市街地にも霜が降りたというのに、
野原や川岸などにはまだ花を咲かせている野草がある。

この時期に野に咲いている花は、昆虫達にとっては貴重で、
菊の花などでは成虫で冬を越すと思われる昆虫などが見られる。

巻頭の写真は「コセンダングサ」で、
この時期は殆どは種になっていて、
誤って体に触れたりすると衣服などにひっつき、
取り払うのに苦労するが、中にはまだ花が咲いているのもあり、
モンシロチョウなどが吸蜜に来ている。

「ヒメジョオン」
枯れた草叢の中に咲いているのを見つけるとついつい撮ってしまう。
夏には群生している事も多いが、
この時期は1株ごとが多くしかも川原で時々見られる程度である。


「オオマツヨイグサ」
日当たりの良い土手の下で咲いていた。


「タンポポ」
夏場は花を付ける茎も長く、葉も立っているが、
気温が下がるとともに葉は地面に這い、
花も茎が見えないほどに短い。
枯れ草に囲われて真冬でも咲いているのを見ることがある。


「カントウヨメナ」
まもなく花の時期は終わりである。


「名前不詳のノギク」
花が小さくて華奢な感じのノギク。
公園の小さな流れの護岸用の杭の間に咲いていた。


「紫陽花」
道路際に咲いていたが、園芸用の紫陽花なので誰かが移植したものと思われる。
この時期に咲いていることが珍しい。
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夜明けの赤富士と日没の富士の陰

2013年11月23日 | あらかると

今週は快晴の日が続き、
あちこちと徘徊していたために、
中々筋肉痛が収まらない。

ということで勤労感謝の日のきょうは、
私にとっては「筋労感謝」として室内に閉じこもっていた。

勤労感謝の日は、神道で言う「新嘗祭」で、
五穀豊穣を神に感謝する日で、且つその五穀を楽しむ日でもある。
しかし、
最近では寺社信仰をする若者は少なく、あちこちの寺社が荒れてきており、
かって男女の出会いの場でもあった村祭や盆踊りなども、若者不足で消えている。
そういう私も「ノンポリ派」で、寺社にも祭りにも興味なく、
信仰も持たないが、消え行くものは寺社関係に留まらないようである。

先日の我孫子市文化祭の「盆栽展」鑑賞時に、
丁寧に説明してくれた盆栽愛好家が語っていたが
盆栽人口が年々少なくなってきており「消滅の危機さえあるのだ」と・・・


閑話休題

巻頭の写真は日出だが、この数日間は地平にある雲だけで、
全天快晴の日が続いている。

で・・・・
雲なしの快晴の日に限って当地からも「赤富士」が見られた。
若いときに三つ峠登山で見た赤富士程の凄さは無いが、
日の出前後に赤く染まる富士は、大観や広重の絵を思い起こされる。


16時を過ぎると空は茜色を呈してきて、
日没近くになると都心のビル群も茜色に染まる。


丹沢山塊の山の端に太陽が沈むと、
富士の裾野から光が射すごとくに「富士の陰」が現れる。


日没後も、富士山のシルエットが残る限り富士の陰はみられるが、
この現象は、雲の無い快晴の日没時に見られることが多い。
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色づき始めた「カエデの紅葉」を撮る

2013年11月22日 | あらかると

日当たりの良い場所にあるカエデは、
すでに一週間以上前から色づき始めていたのだが、
このところの冷え込みでその色づきも本格的になった。

真下から捉えたカエデ紅葉は、
この時期だけの自然界の彩であり感嘆ものだが・・・・


彩られた葉を自らの木漏れ日で演出しているのも面白いし、


陽に透かされた一枚一枚の葉脈の赤さも面白い。


木漏れ日によってもたらす「陽」と「陰」も、
様々なアングルで撮ってみたいと思わせるに十分である。


巻頭の写真のように、雑木の幼木越しに撮って見ても面白い。

が・・・・・
年に一度の紅葉をバックにして幼木に焦点を合わせると、
この時期にしか得られない面白さがあった。

「陰」の部分があってこその「陽」であるのだが、
陰に焦点を合わせると・・・・主題が陽ではなく陰に変化する。
つまり主題によっては陰が陽に変わりうるということかもしれない。


で・・・・
下の写真は雑木の中の赤いガマズミの実に焦点を合わせた。
こうなるとカエデ紅葉は当たり前のように主題から外れてゆく。
が・・・
カエデの赤い色がなければ詰まらない写真になってしまうのである。


紅葉は移ろい行く自然のひとつだが、
周辺の草木や昆虫も、その紅葉を見る人間もまた自然の移ろいのさ中にあるということである。
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山茶花と紅葉と「鵜呑み」する鵜

2013年11月21日 | 21世紀の森と広場で(松戸)

21世紀の森と広場も秋の深まりとともに、
公園の光景が黄葉によって明るく華やいできている。

下の写真はレストラン裏の木道から、
「野鳥観察小屋」や「公園西口」への遊歩道を撮った光景で、
枯れ始めた雑草や、園外のイチョウの黄葉に秋の深まりが感じられる。


いつもは園内ばかりを回っているので、
西口から出て、公園に沿って走る一般車道を歩いてみた。
イチョウの黄葉もよかったが、
写真の構図的にはやや難があり良い写真は撮れなかった。
が・・・・
西口近くの欅の黄葉がほぼ一色に染まり、
近辺を明るくさせるほどになっていた。


公園の中からは見えない小さな農地には巻頭のような、
山茶花が咲き乱れていた。

園内をほぼ半周し、千駄堀池の階段状の岸辺で休んでいると、
余り見慣れない大き目の野鳥が水中から顔を出した。
川鵜である。


暇に任せて暫く見ていると見ていると、
潜水を繰り返しつつ、浮かんでは人の動きを気にしているようで、
岸には余り近付いてこなかった。
と・・・・
鵜の動きがかなり荒くなり水しぶきを上げながら何かと格闘していた。
やがて魚の頭を咥えて浮き上がってきた。
大きな鯉である。
余りにも大きすぎて食べられないだろうと思って撮っていたが・・・・


約1分後、見事に口に収めそのまま呑込んだ。
いわゆる「鵜呑み」というやつである。
何も咥えていないときの嘴からは想像できないほどの口の大きさで、
食道のある首も伸縮自在のようだった。


千駄堀池には大きな鯉がいて子供や大人達を楽しませてくれるが、
外来魚のブルーギルの数も多く、
カワウにはむしろそっちのほうを食べて欲しいと思うのだが・・。


紅葉を始める楓の樹も日ごとにその本数が増えているが、
今は、欅や橡や公孫樹や蔦などが見頃となっている。
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素晴らしき谷津の里山、谷津ミュージアム(我孫子市)逍遥(2)

2013年11月20日 | あらかると

昨日は谷津の両側に広がる里山の道のうち、
東我孫子カントリークラブとは反対側を紹介したが、
今日はその道程の間の光景などの写真を。

谷津は耕作地と、耕作放置部分とに分かれているが、
収穫シーズンの終わった晩秋は、
耕作放置区域の荒れ野原の光景が写真的には面白い。

今回遭遇したのはやや強い風に舞っていた「荻(おぎ)」の穂綿で、
風に吹き上げられ、陽の光を受けきらきらと舞っていた。


風に踊らされている荻の穂は、
すべてブレて写っているが、このブレこそが当日の風模様であり、
写真から風を感じることができれば幸いである。


蒲の穂も開きかけて綿を見せ始めているが、
やがてこれも風に吹かれて舞っていく。
蒲の穂の体積自体はさほど大きくはないが、綿穂になると10倍近くに増えて、
あちこちに運ばれ、風がさえぎられた場所には穂綿の吹き溜まりができることがある。
ときには、蜘蛛の巣に纏わり付いて巣の機能を低下させることもある。


谷津の地形のためか或いは南風から西風に変化した為か、
荻の穂は右から左へと煽られていた。
太陽光も斜光となり日暮れが近いことを感じさせる。


15時を過ぎると荻野原や葦原も日陰が多くなってきた。


谷津は両側の里山で守られているためか、
やや暖かさが残っているようで、昆虫の蠢きや
寒波襲来で大津川周辺から消えてしまった蜻蛉の飛翔が見られた。
ため池のような湿地があちこちで見られ(人工的なものはビオトープと呼ばれる)、
動植物の多様性の存在が感じられた。


写真を撮っているとイトトンボが足に止まったので捕まえた。
夏に比べれば動きも鈍く、青さが美しいはずの体色も褐色に近かった。
まん丸の複眼や体の特徴からオオアオイトトンボのようである。


野菊もあちこちに咲いていたが、
その殆どは葉に光沢がありすべすべとしていたなどの特徴から、
カントウヨメナ(関東嫁菜)と思われる。


途中で出会った地元の女性の話によると、夏が特別に良いようで、
満月のこもれびの下で見た「ホタル」は素晴らしかったとのこと。
写真を撮ることが好きだということで、
別れてから暫くして振り返ると、何かを撮っている最中だった。

この女性には谷津について様々なレクチャーをしていただいたが、
この谷津を知ってからまだ1年もたっていないというのに、
谷津については知らないことがないほどに熟知していたのである。


春夏秋冬にかかわらず、時間があったら何度でも写真を撮りに行きたい場所となった。
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