MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

素晴らしき里山の道、谷津ミュージアム(我孫子市)逍遥(1)

2013年11月19日 | あらかると

我孫子市にある、野外博物館「谷津ミュージアム」へ、
写友の案内で撮影行を兼ね逍遥した。

我孫子市の文化祭・写真展・盆栽展等を鑑賞してからだったので、
成田線東我孫子に着いたの13時過ぎだった。

で・・・・
JR東我孫子駅が無人駅だったことにまず驚き、
運賃の精算は一般的なタッチ式の機器だった。
しかし、PASMOをタッチするとエラーで、「近くの駅員に連絡して下さい」のメッセージが・・・
でも・・・無人なので駅員はどこにも居ない・・。

清算できずにそのまま谷津ミュージアムへ。
清算は帰途時にJRの改札を通ったときにエラー表示され、
改札口に居る駅員によって清算が行われた。

まず案内されたのが谷津ミュージアムの地図や、
生き物などの資料が張られていた掲示板だった。


そのまま谷津の右側(東我孫子カントリークラブと接している)を進む。


下の写真の最上部が我孫子カントリークラブとの境界。
この舗装されていない農道のような道が素晴らしかったので、
今日は歩いてきた里山の道を紹介。


カントリークラブに接する道は日陰が多そうだったので、
日当たりのよさそうな谷津の左側へと移動した。

谷津と里山の間に連なる農道が逍遥コースとなったが、
下の写真のように、映画の一シーンにでも使えそうな素晴らしい「里山の道」だった。


私が子供の頃、農地の周りには里山があり、
その里山では下草刈や枝打ちや落葉掻き(熊手などで落葉を集める)などが行われ、
下草や枯れ枝などは竈や風呂場の焚き付け用に使われていた。
その頃の農道の名残が「谷津ミュージアム」の遊歩道には残っていたのである。

もともとは耕作地だったであろう谷津湿地の上流部は荒れていたが、
荻や葦の穂がやや傾きかけた陽を受けて谷津を輝かせていた。


途中で学校帰りの中央学園高校の男子高校生に出会い元気のいい挨拶を受けた。

途中で出会った谷津散策中の地元の女性の話で、
高校生の通学路にもなっているとの事前情報を得ていたので驚かなかったが、
その元気さや礼儀正しさに、育ちとか校風の良さを感じた。

素晴らしいロケーションの里山の道を通学する高校生は、
将来、叙情を理解できる大人になることだろうと思う。


散歩をする地元の人を数人見かけたが、うらやましい限りである。
近くには団地もあることから、休日にはさらに散歩をする人に出会えるのかもしれない。


「谷津ミュージアム」の作業小屋にて小休止。
予定では谷津を流れる小川の流れ込む手賀沼へ出て、
さらに逍遥することになっていたが、
すでに15時30分を回っていたため日没も近く「谷津ミュージアム逍遥」はこの場にて終了。
下の写真に写っている里山の部分に「遊歩道」がある。


すぐ近くには「中央学園高校」があり、
作業小屋に面した道路がバス停への通学路にもなっていて、
そのバス停から、天王台駅にでた。

谷津ミュージアムを検索し調べていたら、
中央学園高校の高校生達が谷津の由来などについて研究し公開しているホームページに出会った。
さらに、谷津ミュージアムの生物について詳細に調査していることも判明した。
その研究内容は、高校生レベルを超えた「専門的な領域」まで行われていたのである。
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我孫子市文化祭「写真の部」、他を鑑賞

2013年11月18日 | あらかると

我孫子市在住の写友が出展している「我孫子市文化祭・写真展」を、
写友の案内と解説で鑑賞することができた。
みんな秀作ばかりだったが、
作風や作品のコンセプトなどから友人の写真に深い味わいが感じられた。

盆栽展と俳句展も同じ会場内で展示されていたので鑑賞できたが、
盆栽展においては、作者から直接作品の解説を受けることが出来、
盆栽個々の履歴などについても知ることが出来、
さらに疑問、質問、さらには盆栽の初歩などについても丁寧に教示頂いた。
が・・・水遣りを基本に、毎日の手入れが必須と聞くと、
私にとっては別世界で入門してみようという思いは生まれなった。

俳句はざっと鑑賞しただけだが、
「酔芙蓉」の句が、人生の紆余曲折などが想像され、
句に深みが感じられ最も秀悦句だったように思う。

展覧会を鑑賞後昼食を済まし、
JR成田線東我孫子駅近くにある「谷津ミュージアム」に撮影行。

帰宅時間が遅くなったため撮ってきた写真はまだ未整理で、
今日の記事には間に合わず、
谷津ミュージアムらしい一枚を紹介します(巻頭の写真)。

詳細については明日にでも記事にする予定です。
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大津川上流部を逍遥

2013年11月17日 | あらかると

今日は雨の予報が徐々に消えて、結局は降らなかった。
ということで、
カメラを持って近隣をママチャリで徘徊。

家から1.5km程のところでふと嫌な予感が・・・・
昨夜充電したカメラの電池をカメラにセットした記憶が無いのである。
案の定、入っておらず一眼レフは使えなかった。
引き返せばよいのだが、SUBカメラとしてCANONコンデジをいつも携行しているので、
何か撮るものがあればそれで間に合う。

野弁で昼飯を食った後は、昨日から探しているある食品を探しにスーパー周り。
昨日分と合わせ、7店目で何とか手に入れたが、
最初から「街の肉屋さん」に行けば済んでいたかもしれない。

昨日は大津川の上流の高柳近辺の里山をうろついていた。
うろつくのも何か目的や思索があれば「逍遥」であり、
被写体を探し回るのも逍遥の一つであると思っている。


畑の隅に植えられていた菊の花で「キタテハ」が吸蜜していた。
蝶がいたから蝶を撮るだけでも良いのだが、
このキタテハと言う蝶は「成虫で越冬」する蝶で、
お腹の付近をよくよく見るとやや太っていて、栄養を蓄えていることが解る。


また、この時期はモンシロチョウ(巻頭の写真)も高い頻度で目にすることができる。
殆どが蛹で越冬するのだが、時には成虫で越冬するものもあるという。
キタテハは冬の温かな日に枯草の草叢から出てきて日光浴をしているのを見かけたことがあり、
枯れ草の奥深くに潜っていく様子も見ているが、
モンシロチョウのこのような行動はまだ見たことがない。

菊の周りにはほかにも、
チャバネセセリや、


コマルガタゴミムシと思われる甲虫を見ることができた。
が・・・ゴミ虫の種類は多く名前を判別することは中々難しいとのことで、
この名前で正しいかどうかはあやふやである。


あちこちに咲いていた「アキノノゲシ」は、
綿毛を付け生命を継ぐための最終章を迎えていた。


で・・・・
綿についた種を見ると、蒲公英の綿毛についている種よりも大きく、
蒲公英のように遠くまで飛びそうには思われなかった。


夏ほどではないが、ヒメジョオンが若々しい葉を付けて咲いている。
これから日一日と寒くなっていく中で種を付ける事が可能なのであろうか?


最も、日当たりがよく北風も余り当たらない場所では、
ホトケノザやタンポポ、オオイヌノフグリなどは真冬でも咲いていることがある。

今年は樫の実も豊作のようで、
熟した実がしきりに落ちている場所にも遭遇した。
実が落ちるたびに、木の葉や枝や地表に当たり音を立てていたが、
当たる場所によって様々な音が生み出されていた。

ある作曲家は、夜空に輝く星空に空想の五線譜を置き、
星の位置そのままに作曲したということを聞いたことがあるが、
木の実の落ちるリズムや音程にも人の思考の範疇を超えた何かがあると思うのだが・・・・・
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秋の桜と山茶花と野紺菊

2013年11月16日 | あらかると

秋桜といえばコスモスの和名だが、
今日紹介するのは先日のポタリングでであった、
秋咲の桜を・・・・・。

手賀沼大橋の袂にある「しょうなん道の駅」の隣の農地に咲いていたのが、
「十月桜」で満開状態であった(巻頭の写真も)。


大津川河口近くの手賀沼南岸の遊歩道には、
返り咲きと思われる紅色形の桜の花が数輪咲いていた。


花の根元近くには若葉を付けているので、返り咲きと判定できる。
また花の色からは、陽光や紅豊などが考えられ・・・・
花の形状は河津桜にも似ているが・・・来春には判明することだろう。


顎片などの写真も撮ったが、鋸歯の荒い見たことのないような顎片で、
顎片には鋸歯の殆どない陽光や紅豊とは異なるため、
桜図鑑などを参照したが、名前の確定は出来なかった。
葉などには密線が多く、自然交配が何度も行われた後に生まれた桜の可能性がある。

自然交配の進んだ桜は、
山桜や里桜の特徴が混じったりするのもあり、
正確に判定するためには遺伝子レベルで解明されることになる。

ちなみに、
三島市の国立遺伝学研究所には、全国から集められた260系統の桜が植えられている。
さらに、その研究所から贈られた桜が、
東京国立博物館に植栽(吉野枝垂桜など)されて居る。


山茶花もあちこちに咲いていたが、
下の写真は畑の端に植えられていたもので満開だった。


大きめの蜂が吸蜜や花粉集めをしていたが、
以外におとなしく、指を差し出したら乗ってきた。
土蜂の仲間のようだが調べてみると攻撃性の弱い「クロスズメバチ」で、
巣を叩いたりの危害を加えなければほとんど刺されることはない。
土の中に巣をつくり、
長野地方では巣に入っている幼虫を「へぼ」とよび、食用となっている。


ある田圃の畦には、田の端から端まで「ノコンギク」が列を成して咲いていた。
昨年も同じ場所で撮っているので、
農地所有者が除草剤を使わずに米を育てていることが解る。
除草剤を使っている畦は、この時期には雑草しか生えていない。


20時44分頃、当地を震源とする、
震度4(M5.4、震源の深さは約90km)の地震があった。

11月10日にも茨城県南部を震源とする、
震度5弱の地震(M5.5、震源の深さ約70km)があったばかりで、
前回も今回も棚などから物が落ちるようなことは無かったが、
1階よりも揺れの大きい8階に住んでいる私としては何気に不安である。

この周辺を震度とする地震は意外と多く、
昔から「地震の巣」とか言われており、
地震回数が多い分エネルギーの放出も多く、
大地震には成らないと言われてはいるのだが・・・・・。
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秋の手賀沼へポタリング

2013年11月15日 | あらかると

朝から曇天で、都心では12月下旬ぐらいの寒い一日となり、
当地でも15時過ぎには冷たい雨模様となった。
で・・・・
明日は一転「小春日和」になるらしいが、翌、日曜日は雨との予報。

一昨日の快晴の日、やや北風が冷たかったが、
新規に購入した自転車の足慣らしに、手賀沼までの往復をした。

新京成五香駅近くを経由して、逆井から大津川に出、大津川沿いに下って行った。
大津川は逆井付近から国道16号付近までは夏草の刈込が行われておらず、
大津川沿いの車道を走ることになるが、
ママチャリはスピードが目的ではないので、
やはり大津川堤防をのんびりとポタリングするのが最高なのだが・・・・

国道16号線の直ぐ南側を走る千葉県道282号線「中の橋」付近には、
20羽近くのまとまった瘤白鳥が住み着いているが、
白鳥は手賀沼周辺のあちこちに住み着いているのでさほど珍しい光景ではなく、
下の写真の右側の無数の黒い影はすべて「鯉」で、これは珍しい。


大津川の堤防はこの「中の橋」から舗装がされており、
大津川の河口で手賀沼の遊歩道に架かる「ヒドリ橋」までは快適な走りが楽しめる。

国道16号の約400m下流にかかる「二子橋」まで来ると、
手賀沼に流れ込む大津川河口は間近で、
対岸には我孫子市の中心街が見えてくる(巻頭の写真)

手賀沼の南岸には広大な葦原が続いており、
遊歩道からその光景を楽しむことが出来る。
下の写真の対岸は我孫子市の手賀沼公園。


遊歩道を「しょうなん道の駅」ヘ向かう。
道の駅近くの貸しボート屋付近からの手賀沼らしい光景。
北風が吹いていて波もあったが、貸しボートで釣りを楽しむ人も数人見られた。


しょうなん道の駅の名物はやはり「地元の野菜や食べ物」で、
昼食用の弁当を求めにやってきたのだが、生憎月に一度の定休日。
で・・・・
眺めのいい和洋中のレストランで食事。


食べたのは「五目焼きそば」で、そのボリュームには驚いた。
私にとってはいつもの食事量の倍近さで、
半分近く食べ終わってため息をつきながらパチリ。


レストランでややのんびりし時間をとってしまったので、
ここで引き返した。
帰途、16号近くで逆光に輝くススキを撮ったが、
川面にきらめく光がいいアクセントになった。


上流に向かって「中の橋」右岸付近。
この近辺は釣り場となっていて、途中までは自転車で走ることができた。
が・・・・その先がだめで途中で引返し一般道を走って帰途に着いた。


新しい自転車はやはり疲れる。
全体のバランスがいまいちで、どこと無く余分な力を使ったようで、
あちこち発生した筋肉痛は、3日目の今日もまだ引いていない。
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