今日も 晴れ
風も無く 穏やかな一日
旅のご報告は
小岩井農場の続きになります
小は・・・小野 義眞
(日本鉄道会社副社長)
-
岩は・・・岩崎弥之助
-
-
(高知出身岩崎弥太郎の弟)
井は・・・井上 勝
(鉄道庁長官)
一文字ずつ取って 小岩井
園内では これに乗り移動も出来ます
閉園まで1時間しか無かったので乗りましたよ
動き出すと
こんな歌も流れています
移動した場所は
国指定重要文化財の有る 上丸(かみまる)牛舎
一号牛舎 お母さん牛の牛舎です(立ち入り禁止)
赤い屋根の建物は 二号牛舎
出産用の牛舎です (立ち入り禁止)
牝牛舎 ここだけ見学可能です
一生懸命 干し草を食べているよ
他にも建物が有りました
同じエリアには
小岩井農場資料館も有りました
この中には 岩手県と言えば思い出すのが
小岩井農場を こよなく愛していたようです
もう一度 本を読んで見ようかなぁ
このバラは 宮沢賢治ゆかりのバラ
そして
小岩井農場で働く夫婦の子供さんのために
保育制度も確立されていたようです
卒業した子供さんも
そのまま小岩井農場で働いた子もいたそうです
もう少しゆっくり見学したかったのですが・・・
またの機会に と言うことで
皆さんには 長~いblogにお付き合い頂き
ありがとうございます
賢治を研究されていた恩師との偶然の再会
縁が有ったのですね
ちどりさんも 賢治の生涯を歌った組曲にも挑戦され 賢治との縁を感じますね
妹トシさんとの最後 「あめゆじゅとてちてけんじゃ」という言葉 とても印象的で忘れられませんね
見たり 聞いたりしたかったなぁ~
広大な土地ですね
ワタシなんて 読んでいるうちに忘れています
岩崎弥太郎の生家に行った時 初めて知りました!
JRの田沢湖線には 小岩井駅が有りましたね
明治時代開墾に入った人達 こちらにもその名残がそのまま地名になっているところが有ります
色々見て知り 自分の小ささが分かりました
宮沢賢治も 本当好きでは無かったのですが
もっと知ってみたくなりました
ゆっくりカメラを持って 回って下さいね
大変な時期でしたね
広大な敷地なので ツアーでは限られた時間なので
端から端は 見れないですよね
素敵な所でしたね
ワタシ 高知の岩崎弥太郎の生家に行った時に初めて知りました
そして どうしても行ってみたかったのです
小野さんも 土佐の出身ですよ~
賢治は やはり者だったのでしょうね
本を書いたのも 同じ病の妹に聞かせてあげたかったからと
岩手は 高知と違い 冬には野菜が採れないためも有ったのかもしれませんね
是非 旅してみて下さいね
色々なコースが有り(歩かなくでも大丈夫)
木造の牛舎は 当時ままだそうですよ
人としての優しさを持っている人なのだと思いました
たまたま 出かける前の日にBSで 宮沢賢治の事をやっていたのでね
結核という病をして 生き方も変わって行ったのかもしれませんね
ここは 木も養鶏もと 色々な事をしています
それからたびたび声かけられて、先生の講演会や、賢治の詩の朗読会に遠い山口県まで行きました。賢治の作った「赤い目玉の‥」を私に歌唱指導させたり・・・。
賢治の生涯を歌った組曲にも挑戦して 妹さんの死のシーンでは胸がつぶれそうでした。
私も今朝だったかしら・・賢治のドキュメンタリー見ました。尊敬する一人です。
それにしてもまりもちゃんは今できることを精いっぱい楽しんでいるので刺激を受け続けています。
だいぶ前に一度行った記憶はあるのですが、
まったく何も覚えてなくて。。
真剣に見てこなかったのでしょうね。
小岩井は地名かと思っていました。
バターおいしいですよね。
知らないことを知るの楽しいです。
まりもちゃんは物知り博士ですね。
目的地までの移動に時間がかかりますね。
ツアーでしたので
農場は外からサラリと見ただけだったような記憶です。
行ったのはあの原発事故の半年ぐらい後だったかな
被災された現地には出向きませんでしたが
当時、農家の方々は風評被害で大変だとお聞きしたことが有りました
農場の名前の由来や 宮沢賢治のエピソート
とても興味深いものを感じました。
ありがとうございました。
入っているのは嬉しいです。今朝NHKで宮沢賢治がなぜ短命
だったのかの検証をしていました。結核も患っていましたが
賢治はベジタリアンで例えば 朝から晩まで一日中
ナスを食べたり トマトを食べたりの偏った食事だったため
短命だったのでは?と専門家が言ってました。
木を贅沢に使った牛舎がすてきですね。
宮沢賢治は、チョンと読んでいません。
ずーっと前、岩手出身の女優さんが、お国訛りで検事の死を朗読したのを聞いて
詩が胸に入ってきた感じがしました。
その時も読もうと思ったのに、、^^;
牛乳嫌いなので今まで興味がなかったのですが、
お陰さまで興味が湧いてきました。ありがとうございます。