おはようございます。
2、3日きちんと更新できていませんでしたが今日は書けそうです。
また母親の家にいます。
まあ母親の家と言っても隣なので、同じ家みたいなものですがw
今朝は何か清々しい空気感があって、なんとなく機嫌がいいです。
父親がNHKのニュースを見ていて笑っている「フファファファファ」
母親は「長いこと噛んどらなアカン」と何か怒っている。
この関係性が僕の内面にも現れているとは、夢にも思っていないだろう苦笑
洗濯機の回っている音がする。
時計は今日はドドドドドドドドと秒針を刻んでいるように聞こえる。
空気が気持ちいい。
淡い光と静けさがあり、なにかに溶けている。
で、まあ今日は深夜の2時半に目が覚めると言うおかしなことにw
疲れすぎていて、残業終えて帰ったら、ご飯食べて速攻寝ていたからだろう。
起きてからも、やる気が出ず、寝転んで大の字になって扇風機強風で当たってボケーっとやってましたwwww
なんも考えずにボケーっとするのが好きなのですwwwww
それからモンスターストライクというスマホのゲームで遊んでいました。
2時間ほどだらだらして、ようやく動く気力が多少出たので、坐禅をします。
45分間。
なんか一昨日、車の移動中にちらっと聞いた話では40分が定番みたいなので変えようかなあ。
坐っていて、まあ、良い感じ。
自分がいるのが、繋がっている、このことが大切かもしれない。
それから読書ですね。
またしても『ベルゼバブの孫への話』を読んでいるのですが、ちょっと難しい章だったので全く理解不能(笑)
でも、その中でも何か感じられるものがある。
頭と背中と神経。
これは光と闇と空白のような関係性なのだが、この、3つのセンターが一つになることが大切である。
たぶんだがw
で、読書を終えてからブログを書いている次第であります。
さてさて、せっかくtemple初名古屋開催@瑞因寺に行ってきたので感想というのか、どのようだったか書き残しておこう。
いやあ、昨日も書いたけど、ほんとに良かったですよ。
12時過ぎの電車で亀山を出て、瑞因寺に着いたのは開始ギリギリの14時50分過ぎだったと思います。
なにしろ桑名から乗り換えて、冨吉ってとこで普通に乗り換えて、戸田でおりたら切符がJRで精算できなくて焦り、そこからバス停までめちゃ遠いし、
バス停で待ってたらバス来ないしwwww
ボールペン買うの忘れてたから、ダイソー寄って、歩くのだが、マップ見ながらだからね。
あ、そうだ。
電車の中では藤田一照さんとの対話である「つながりを楽しんで生きること」をずっと読んでいたwww
やばいやばい、今日のテーマじゃないかと苦笑
しかも、そういえばこの日も二日酔いだったではないか。
常に、なにかあると二日酔いで参加している気がしてきたw
大和田さんの時もそうだったしね。
で、遂にお寺について緊張ドキドキ、汗だらだらで中へ。
入口が分からなかったので、こちらでいいですかーと覗いたら小出さん、いらっしゃった。
めちゃナチュラル。
ていうか緊張してアタフタw
そして、まあ、受付を済ませてボケーっと座っておりました。
何か観察していると、お坊さんらしき服装の方がちらちら見える。
なんか、あの独特の、丁寧で親切な雰囲気が全身からみなぎっている人がwww
おお、なんか嬉しい。
で時間になって、小出さんとご住職の飯田さんのお話。
青虫が蝶になるには、青虫は溶ける。
ということと、確か青空と雲のお話しだったと思います。
えーっと、ああ、僕は知らなかったのですが、藤田一照さんと山下良道さんの「アップデートする仏教」という本があるらしく、その辺に詳しい人たちがたくさん見えて、それでお坊さんが多かったようです。
それから対話の説明があって各グルーブに分かれて対話。
最初は『つながりを楽しんで生きること』に関して、好きな人たちと4人か3人に分かれて、お話ししました。
青虫が溶けるなら、一体、青虫には何の意味があったのか。
しかし、青虫がいて蝶になるのだから、青虫は消えるが、意味があったのかもしれない。
日常の中では「偶然の一致」があり、自分の見方で良い面も悪い面も気が付きやすいので意識して「よく見る」こと。
お釈迦様が、後ろからいきなり殴られて、おおっ!? と思うが、相手の人がどうしたのかが気になる。
そのように人との関係を築くのは結構難しそうだけど、これは今の僕にはヒントになる言葉でしたね。
まあ僕が、自然と無限との一体の話はよく分かるけど、普通の日常の人間関係で「つながりを楽しんで生きること」が難しいと切り出したので、いろいろアドバイスしてもらってる感じになってましたw
このことは結構、この日の僕にはテーマでしたね。
話している間、飯田さんと小出さんが、各グループの周りに来てくれますが、ニコニコしてて気持ちいい。
そう言えば龍泉寺の坐禅会に参加した時も、かなり爽やかな表情の人たちが多かったのを思い出した。
表情が『晴れ』なんだよね、なんかw
それから休憩。
僕は煙草吸いに外へ行ってたら、タイミングよく吸う人が見えたので灰皿借りて少し会話。
まあ灰は自然に帰しときましょうwww
何気に深かったという(笑)
みんな馴染んできて阿弥陀様とか欄間の造り? みたいな会話を楽しんでいたのを後ろで聞いていたw
あ!
そうだそうだ忘れていたけど、最初に念仏をみんなで唱えて、焼香もしました。
なんか、ああいう雰囲気は、いい。
やっぱりお寺で、環境が整っているし、来ている人も、みなさん空気感がある人たちだからね。
で、休憩後は「いのち」に関する対話で自由に話すことになってました。
グループを変えて新しい人たちでしたが、なんと、またしてもお坊さん(笑)
普段着の方だったので分からなかったのですけど、話してみたらそうだったのであります。
自然と仏教の話へ。
ほとんどお坊さんと話したことなんかないので異様に緊張してしまうw
それで気が付いたのだけど、結構、お坊さんは、今のお寺のあり方とかに疲れてるのかもしれない。
坐禅を長時間していると床が波打ってきたり、様々なすごい光景を目にするらしいが、みんな共通していることが多い。
仏教は後からいろいろと加わって複雑化しているが、基本は四諦八正道だから、それを理解すれば、そこまで難しくはない。
僕は何を話したかなあ。
仏教に興味を持つきっかけを聞かれたけれど、思い出しても、これっていうのがないwwwww
何がきっかけだったのかな?
んー、全く分からないw
あと禅とか念仏とかだとイメージがあるけど仏教となると巨大すぎて分からないなど。
あっという間に時間が来て終了。
非常に、よかった。
この形式って、行く前は、あまり期待していなかったのだが、ほんとに出会いっていいものだと思えます。
『素』の自分ねw
これがキーだと思いましたね!
なんとラッキーなことに懇親会もあって、みんなで世界のやまちゃんで手羽先いただきました。
まあ僕は、ここでいつものポンコツの、ただの酔っ払いと化してましたがwwwww
でも小出さんとも、お坊さんたちとも、自然な会話ができて、ほんと楽しかったああああああ。
阿闍梨とか禅僧さんとか、ミュージシャンのお坊さんとか、誠実そうに親鸞さんについて語る方とか、仏教に超詳しい人とか色々様々。
んー、まじで楽園(笑)
そして、ここで僕は久しぶりにこの言葉を聞きました。
『自分最高! 自分大好き』
これですw
それで、まあ、また思い出しましたが、ひとつになるときに自分を排除してはいけませんよ。
つまり対象と自己がひとつというのは、自己が対象にまた対象が自己に、まるっと繋がることなのですから、どちらがが消えるわけではないのです。
しかし、その二つが一つであり、どちらもが平等に在る時に、その狭間に、真の理解が、つまりないけどあるあるけどないそこが現れるのですwwww
しかし、それを掴むことも知ることもできません。
このつながりの結果、形のないものが、その周囲の変化によって、形あるものに見える。
そのようなものなのです。
ですから、僕は思い出しました。
自分を排除するのではなく、自分があり相手があり、自己と世界のお互いがありつつの融合、つまり境目のないところが、その境目から生まれる。
まあ、分かりにくい表現かもなあ。
という訳で、さんざん酔っぱらって、いろいろ食べて遊んで、名古屋をあとにしたのでした。
出会ってくれた皆様、ほんとうにありがとう!
ってことで、仕事の時間が例によってやばいので、行ってきます。
またねー!
2、3日きちんと更新できていませんでしたが今日は書けそうです。
また母親の家にいます。
まあ母親の家と言っても隣なので、同じ家みたいなものですがw
今朝は何か清々しい空気感があって、なんとなく機嫌がいいです。
父親がNHKのニュースを見ていて笑っている「フファファファファ」
母親は「長いこと噛んどらなアカン」と何か怒っている。
この関係性が僕の内面にも現れているとは、夢にも思っていないだろう苦笑
洗濯機の回っている音がする。
時計は今日はドドドドドドドドと秒針を刻んでいるように聞こえる。
空気が気持ちいい。
淡い光と静けさがあり、なにかに溶けている。
で、まあ今日は深夜の2時半に目が覚めると言うおかしなことにw
疲れすぎていて、残業終えて帰ったら、ご飯食べて速攻寝ていたからだろう。
起きてからも、やる気が出ず、寝転んで大の字になって扇風機強風で当たってボケーっとやってましたwwww
なんも考えずにボケーっとするのが好きなのですwwwww
それからモンスターストライクというスマホのゲームで遊んでいました。
2時間ほどだらだらして、ようやく動く気力が多少出たので、坐禅をします。
45分間。
なんか一昨日、車の移動中にちらっと聞いた話では40分が定番みたいなので変えようかなあ。
坐っていて、まあ、良い感じ。
自分がいるのが、繋がっている、このことが大切かもしれない。
それから読書ですね。
またしても『ベルゼバブの孫への話』を読んでいるのですが、ちょっと難しい章だったので全く理解不能(笑)
でも、その中でも何か感じられるものがある。
頭と背中と神経。
これは光と闇と空白のような関係性なのだが、この、3つのセンターが一つになることが大切である。
たぶんだがw
で、読書を終えてからブログを書いている次第であります。
さてさて、せっかくtemple初名古屋開催@瑞因寺に行ってきたので感想というのか、どのようだったか書き残しておこう。
いやあ、昨日も書いたけど、ほんとに良かったですよ。
12時過ぎの電車で亀山を出て、瑞因寺に着いたのは開始ギリギリの14時50分過ぎだったと思います。
なにしろ桑名から乗り換えて、冨吉ってとこで普通に乗り換えて、戸田でおりたら切符がJRで精算できなくて焦り、そこからバス停までめちゃ遠いし、
バス停で待ってたらバス来ないしwwww
ボールペン買うの忘れてたから、ダイソー寄って、歩くのだが、マップ見ながらだからね。
あ、そうだ。
電車の中では藤田一照さんとの対話である「つながりを楽しんで生きること」をずっと読んでいたwww
やばいやばい、今日のテーマじゃないかと苦笑
しかも、そういえばこの日も二日酔いだったではないか。
常に、なにかあると二日酔いで参加している気がしてきたw
大和田さんの時もそうだったしね。
で、遂にお寺について緊張ドキドキ、汗だらだらで中へ。
入口が分からなかったので、こちらでいいですかーと覗いたら小出さん、いらっしゃった。
めちゃナチュラル。
ていうか緊張してアタフタw
そして、まあ、受付を済ませてボケーっと座っておりました。
何か観察していると、お坊さんらしき服装の方がちらちら見える。
なんか、あの独特の、丁寧で親切な雰囲気が全身からみなぎっている人がwww
おお、なんか嬉しい。
で時間になって、小出さんとご住職の飯田さんのお話。
青虫が蝶になるには、青虫は溶ける。
ということと、確か青空と雲のお話しだったと思います。
えーっと、ああ、僕は知らなかったのですが、藤田一照さんと山下良道さんの「アップデートする仏教」という本があるらしく、その辺に詳しい人たちがたくさん見えて、それでお坊さんが多かったようです。
それから対話の説明があって各グルーブに分かれて対話。
最初は『つながりを楽しんで生きること』に関して、好きな人たちと4人か3人に分かれて、お話ししました。
青虫が溶けるなら、一体、青虫には何の意味があったのか。
しかし、青虫がいて蝶になるのだから、青虫は消えるが、意味があったのかもしれない。
日常の中では「偶然の一致」があり、自分の見方で良い面も悪い面も気が付きやすいので意識して「よく見る」こと。
お釈迦様が、後ろからいきなり殴られて、おおっ!? と思うが、相手の人がどうしたのかが気になる。
そのように人との関係を築くのは結構難しそうだけど、これは今の僕にはヒントになる言葉でしたね。
まあ僕が、自然と無限との一体の話はよく分かるけど、普通の日常の人間関係で「つながりを楽しんで生きること」が難しいと切り出したので、いろいろアドバイスしてもらってる感じになってましたw
このことは結構、この日の僕にはテーマでしたね。
話している間、飯田さんと小出さんが、各グループの周りに来てくれますが、ニコニコしてて気持ちいい。
そう言えば龍泉寺の坐禅会に参加した時も、かなり爽やかな表情の人たちが多かったのを思い出した。
表情が『晴れ』なんだよね、なんかw
それから休憩。
僕は煙草吸いに外へ行ってたら、タイミングよく吸う人が見えたので灰皿借りて少し会話。
まあ灰は自然に帰しときましょうwww
何気に深かったという(笑)
みんな馴染んできて阿弥陀様とか欄間の造り? みたいな会話を楽しんでいたのを後ろで聞いていたw
あ!
そうだそうだ忘れていたけど、最初に念仏をみんなで唱えて、焼香もしました。
なんか、ああいう雰囲気は、いい。
やっぱりお寺で、環境が整っているし、来ている人も、みなさん空気感がある人たちだからね。
で、休憩後は「いのち」に関する対話で自由に話すことになってました。
グループを変えて新しい人たちでしたが、なんと、またしてもお坊さん(笑)
普段着の方だったので分からなかったのですけど、話してみたらそうだったのであります。
自然と仏教の話へ。
ほとんどお坊さんと話したことなんかないので異様に緊張してしまうw
それで気が付いたのだけど、結構、お坊さんは、今のお寺のあり方とかに疲れてるのかもしれない。
坐禅を長時間していると床が波打ってきたり、様々なすごい光景を目にするらしいが、みんな共通していることが多い。
仏教は後からいろいろと加わって複雑化しているが、基本は四諦八正道だから、それを理解すれば、そこまで難しくはない。
僕は何を話したかなあ。
仏教に興味を持つきっかけを聞かれたけれど、思い出しても、これっていうのがないwwwww
何がきっかけだったのかな?
んー、全く分からないw
あと禅とか念仏とかだとイメージがあるけど仏教となると巨大すぎて分からないなど。
あっという間に時間が来て終了。
非常に、よかった。
この形式って、行く前は、あまり期待していなかったのだが、ほんとに出会いっていいものだと思えます。
『素』の自分ねw
これがキーだと思いましたね!
なんとラッキーなことに懇親会もあって、みんなで世界のやまちゃんで手羽先いただきました。
まあ僕は、ここでいつものポンコツの、ただの酔っ払いと化してましたがwwwww
でも小出さんとも、お坊さんたちとも、自然な会話ができて、ほんと楽しかったああああああ。
阿闍梨とか禅僧さんとか、ミュージシャンのお坊さんとか、誠実そうに親鸞さんについて語る方とか、仏教に超詳しい人とか色々様々。
んー、まじで楽園(笑)
そして、ここで僕は久しぶりにこの言葉を聞きました。
『自分最高! 自分大好き』
これですw
それで、まあ、また思い出しましたが、ひとつになるときに自分を排除してはいけませんよ。
つまり対象と自己がひとつというのは、自己が対象にまた対象が自己に、まるっと繋がることなのですから、どちらがが消えるわけではないのです。
しかし、その二つが一つであり、どちらもが平等に在る時に、その狭間に、真の理解が、つまりないけどあるあるけどないそこが現れるのですwwww
しかし、それを掴むことも知ることもできません。
このつながりの結果、形のないものが、その周囲の変化によって、形あるものに見える。
そのようなものなのです。
ですから、僕は思い出しました。
自分を排除するのではなく、自分があり相手があり、自己と世界のお互いがありつつの融合、つまり境目のないところが、その境目から生まれる。
まあ、分かりにくい表現かもなあ。
という訳で、さんざん酔っぱらって、いろいろ食べて遊んで、名古屋をあとにしたのでした。
出会ってくれた皆様、ほんとうにありがとう!
ってことで、仕事の時間が例によってやばいので、行ってきます。
またねー!