♦️227『自然と人間の歴史・世界篇』第一次産業革命(イギリス社会の変化)

2018-04-01 08:38:00 | Weblog

227『自然と人間の歴史・世界篇』第一次産業革命(イギリス社会の変化)

 T.S.アシュトンは、18世紀後半のイギリス社会の変貌を、こう説明している。
 「ジョージ3世の即位(1760年)からその子ウィリアム四世の即位(1830年)に至る短い年月の間に、イングランドの相貌は一変した。幾世紀もの間、開放耕地(open field)として耕され、共同牧地(common pasture)として放置されていた土地は、すっかり囲い込まれてしまった。小さな村々は人口豊かな年に成長し、古い教会の尖塔は、林立する煙突の中で、もはやチッポケな存在でしかなくなった。(中略)(道路は堅固で幅広いものになり、諸河川は運河で結ばれ)(中略)北部では、新しい機関車が走るために最初の鉄製軌道が敷かれ、河口や海峡には定期蒸気船が通い始めた。
 それに平行して、社会の構造にも変化が生じた。人口は著しく増大し、児童や青年の占める割合が増加したように思われる。新しい社会の成長は、人口密度の重心を南東部から北部およびミッドランドに移行せしめた。企業心に富んだスコットランド人を先頭に、いまなおつづいているあの移入民の行列がやってきた。工業的熟練には乏しいがしかしたくましいアイルランド人の洪水のような流入は、イギリス人の健康や生活様式に影響を与えずにはおかなかった。農村に生まれ、農村に育った男女が、(中略)工場における労働力の単位として、そのパンを稼ぐようになった。作業は一層特殊化され、新しい型の熟練が陶冶され、若干の旧い型の熟練は失われていった。(中略)
 それと同時に、新しい原料源が開発され、新しい市場が開かれ、新しい商業手段が考え出された。資本の量も、その流動性も増大し、通貨は金をその基礎におくようになり、銀行制度が誕生した。多くの旧い特権や独占が一掃され、企業に対する法律上の制約は除去された。国家の果たす役割はますます消極的なものとなり、個人や任意団体がより積極的な役割をつとめるようになった。革新と進歩の思想が、伝統的諸観念を掘り崩した。人々は過去よりもむしろ未来に眼を注ぐようになり、社会生活に関する彼等の考え方はすっかり変わってしまった。」(T.S.アシュトン著・中川敬一郎訳『産業革命』岩波文庫、1973)
 続いて、人口の増加の原因につき、出生率の増加ではなく、これを導いたのは「他でもなく、死亡率の低下であった」と結論する。
 さらに彼は、なぜイギリスで産業革命が可能になったかを、、こう総括している。
 「土地、労働および資本の供給増加が同時におこったということが、産業の発展を可能ならしめたのであった。石炭と蒸気が大規模製造工業の燃料と動力とを準備し、低い利子率や物価騰貴や高利潤の期待が活力を与えた。しかし、これら物質的、経済的要素の背後にそれ以上の何かが存在した。外国地域との貿易は、人々の世界に関する見識をひろめ、科学はその宇宙観を拡大した。すなわち、産業革命は、同時に観念の革命でもあった。」(同)

 (続く)

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