36『自然と人間の歴史・世界篇』人類の兄弟(ボノボとチンパンジー)
さて、後の人類が比較的最近に袂を分かったの同じ動物の中に、ボノボとチンパンジーがいる。彼らの今は、人類と近縁であるばかりでなく、かれら二つの種においても近縁、でも大きな違いがあるといわれる。
ざっと、これを箇条書きにすると、次のようであるという。
「まずボノボの平均的体格は、雄(オス)が体重45キログラム、体長131センチメートル。雌(メス)が体重34キログラム、体長128センチメートル。その社会性の1としては、雌が実権をもつ。2として、性行動で対立を解決する。その3として、雌同士の絆が強いという。
一方、チンパンジーはどうなのかというと、こちらの平均的体格は、雄が体重60キログラム、体長134センチメートル。雌が体重42キログラム、体長125センチメートル。またその社会性は、雄(オス)が実権をもつ。2として、暴力で対立を解決する。その3として、雄同士が同盟するという(以上は、デビッド・クアニン(ジャーナリスト)「人間に最も近い類人猿の意外な素顔」:NATIONAL GEOGRAPHIC・ナショナル・ゲオクラフィックの2013年3月号による情報)。
この両者が隣合わせに住んでいるところが、アフリカ大陸にあって、その場所は中央アフリカの、今は今後共和国とその北隣の中央アフリカ共和国に跨る。
(続く)
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277『自然人間の歴史・世界篇』「共産党宣言」
1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによる「共産党宣言」が出される。当時の組織「共産主義者同盟」の綱領を宣言した。その冒頭には、こういう。
「ヨーロッパに幽霊がでる――共産主義という幽霊である。ふるいヨーロッパのすべての強国は、この幽霊を退治しようとして神聖な討伐の同盟をむすんでいる。 法王とツァーリ、メッテルニヒとギゾー、フランスの急進派とドイツの官憲。
およそ反政府党で、その政敵たる政府党から、共産主義だといってののしられなかったものがどこにあるか、およそ反政府党で、より進歩的な反政府派にたいしても、また反動的な政敵にたいしても、共産主義という烙印をおす非難をなげかえさなかったものがどこにある。」(「共産党宣言」の序文)
この文書の中で意外に知られていないのは、共産主義者の当面の活動についての、例えば、次の場面である。
「この方策は、もちろん、それぞれ国が異なるにしたがって異なるであろう。
とはいえ、もっとも進歩した国々にとっては、次の諸方策はかなり一般的に適用されうるであろう。
一.土地所有を収奪し、地代を国家支出に振り向ける。
二.強度の累進税。
三.相続権の廃止。
四.すべての亡命者および反逆者の財産の没収。
五.国家資本および排他的独占をもつ国立銀行によって、国家の手に信用を集中する。
六.すべての運輸機関を国家の手に集中する。
七.国有工場、生産用具を追加し、共同計画による土地の耕地化と改良を行う。
八.すべての人々に対する平等な労働強制、産業軍の編成、特に農業のために。
九.農業と工業の経営を結合し、都市と農村との対立を次第に除くことに努力する。
一〇.すべての児童の公共的無償教育。今日の形態における児童の工場労働の撤廃。教育と物質的生産との結合、等々、等々。」(向坂逸郎・大内兵衛訳、岩波文庫)
これら当面のスローガンを、21世紀に生きる人々は、どう受け取るのか。かつては、そうであったが、今はそうではないというのなら、彼らがそうであったように、国際的な視野に立っての一つひとつの未来社会に切り開くための鍵を、当面の課題を語る、少なくともその作業を始めることであってほしい。
(続く)
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235『自然と人間の歴史・世界篇』百科全書
それまでの啓蒙思想の集大成である「百科全書」は、ドゥニ・ディドロ(1713~1784)、ジャン・ル・ロン・ダランベール(1717~1783)ら当時の知識人らの協同編集によって、進められる。そして迎えた1751年には、刊行が開始される。それから1772年までの間に、本卷17巻、図版11巻の各巻が発行されていく。続いて、マンモルテルの編集により1776~1780年にかけて補巻4巻、図版1巻、それに以上に関しての索引2巻が発行される。
当時はまだ「絶対王政」と呼ばれる封建体制下であった。厳しい身分制度が生きていた頃のことだ。その序文には、代表格のダランベールが「技術と学問のあらゆる領域にわたって参照されるような、そしてただ自分自身のためにのみ自学する人々を啓蒙すると同時に他人の教育のために働く勇気を感じている人々を手引きするにも役立つような」(桑原武夫訳編「序論および代表項目」岩波文庫、)と述べている。
なししろ、執筆者の総数は184名にもなったというから、驚きだ。それに図版、印刷事業などにに携わった人を加えると、実に多くの人々が参加したのだという。哲学者と文学者にして、百科全書派の頭目であったディドロは、唯物的無神論を主張したため、一時は投獄される、また彼は、ロシアのエカテリーナ2世から支援を受け、ペテルスブルグに赴いたこともあるというのだが。どうやら、暖かな陽が注いだりする中での閉鎖的な貴族風サロンには馴染めなかったらしい。
その影響だが、当時のルソーやヴォルテール、モンテスキューといった啓蒙思想家が加わっていたことから、人々の政治意識の向上に某か寄与していったのは疑いなかろう。また、数学と物理学者それに哲学にも精出したダランベールが参加したりで、自然科学の分野にも貢献を成したに相違あるまい。
さらに、哲学者、美術批評家、作家の肩書きをもったディドロは、初期は理神論の立場に立ったが後に無神論へ転向した、独特の経歴の持ち主であったらしい。彼によるによる、「各人がばらばらでありながらそれぞれ自分の部門を引き受け、ただ人類への一般的関心と相互的好意の感情によってのみ結ばれた文学者、工芸家の集まり」に支えられたとの述懐を残している。これにあるように、人間知識の順序と連関を出来る限り明示しようとしたことの意味は大きいのではないか。
さらにその時代そのものへ、大きな影響を及ぼしたであろう。これの編集そのものが、体制に批判的であったためか、王政や教会から何度も弾圧や嫌がらせなどに遭う。その中でも『百科全書』を刊行したことで、民衆に合理的・進歩的な啓蒙思想を広め、ひいては後のフランス革命を思想的下地の一端をつくった。なお、このような取組のそもそもはイギリスで端緒が付けられていたらしく、フランスの自由を夢みる知識人らがこれに進取の気概を感じて取り組むにいたったともいわれる。
(続く)
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