上野千鶴子先生の東大入学式祝辞について昭和のフェミニストから一言 (167)
- 2019/04/18
- 20:31
東大入学式における上野千鶴子先生の祝辞が話題となっていますが、私は読んでいて気分が悪くなったので、昭和のフェミニストとして少しコメントを残そうと思います。
東大入学式における上野千鶴子先生の祝辞が話題となっていますが、私は読んでいて気分が悪くなったので、昭和のフェミニストとして少しコメントを残そうと思います。
二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。
この事件の結果岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が思想犯保護観察法を成立させた。
陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(陸軍幼年学校・旧制中学校から陸軍士官学校に進み任官した、20歳代の隊附の現役大尉・中尉・少尉達)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えのもと、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。
決起将校らは歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、近衛歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。
そのうえで、彼らは陸軍首脳部を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えたが、天皇はこれを拒否。天皇の意を汲んだ陸軍と政府は彼らを「叛乱軍(反乱軍)」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。叛乱(反乱)将校たちは下士官兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。しかし、事件の首謀者達は銃殺刑に処された。
事件後しばらくは「不祥事件(ふしょうじけん)」「帝都不祥事件(ていとふしょうじけん)」[3]とも呼ばれていた。
算用数字で226事件、2・26事件[4]とも書かれる。
Wikipedia より
2018年05月19日
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篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda なお『BLOGOS』さんも時折は転載してくださっていますが、『BLOGOS』さんが拾い上げる一部記事のみだけです。ブログ記事が連続している場合でも『BLOGOS』では途中が掲載されていない場合などもありますので、ご注意ください。
「砂川事件」最高裁判決は、多くの憲法学者たちが、「統治行為」論で、駐日米軍の違憲性判断を回避した判決として紹介している。それにもかかわらず、木村草太教授が、『憲法と自衛隊』において、「砂川事件」最高裁判決を統治行為論として読んでいないことは、私は評価したい。http://agora-web.jp/archives/2029642.html もっとも木村教授の意図は、安保法制には訴訟リスクがある、「政府の側が、『裁判所はどうせ見逃してくれるだろう』と考えているとしたら、見通しが甘すぎます」(86頁)、という脅しのようなものをかけることにあったようだが。
しかし木村教授が、「砂川判決が集団的自衛権行使を認めているというのは明らかな誤りです」(82頁)と述べている点については、私は疑問を呈する。少なくとも、砂川事件最高裁判決が集団的自衛権を否定したところは、全くない。合憲性を前提にしていたと考えるのが自然だ。http://agora-web.jp/archives/2032483.html
すでに指摘したことがあるが、現代の憲法学者は、砂川判決が集団的自衛権は合憲だ、という議論を展開していないことをもって、砂川判決は集団的自衛権を認めていない、という結論の根拠にしようとしているように思う。しかしそれは典型的なアナクロニズムの陥穽である。1959年砂川判決が、1972年内閣法制局見解を明示的に否定していないことは、前者が後者と同じ立場に立っていたことの証明にはならない。なぜなら1959年の人々は、1972年の内閣法制局の見解を知らず、別の時代の思潮に生きていたからだ。明示的に集団的自衛権を合憲だと主張していなくても、当然合憲であろうと推察している場合は、ありうる。1959年当時、集団的自衛権は違憲だ、という議論それ自体がほとんど存在していなかったのだから。
木村教授は、砂川判決は、「日米安保条約に基づく米軍駐留の合憲性を判断したもので」、「『憲法9条の下で許される「自衛のための措置」の中には「他国に安全保障を求めること」が含まれる』と言ったのみ」だと主張する(81-82頁)。木村教授は、さらに、砂川判決が憲法9条2項が自衛隊の合憲性を認めているか否かは事件解決とは無関係だという趣旨のことを言っていることをもって、「個別的自衛権行使の合憲性すら判断を留保しているのですから、砂川判決が集団的自衛権行使を認めているというのは明らかな誤りです」(82頁)、と、率直に言って、論理を超越して、感情に訴える印象論の話を前面に出して、自己の判決解釈の正統性の根拠にしようとする。
注意して、この木村教授の言説を見てみよう。砂川判決は、9条2項の「戦力」は、「わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない」と述べた。米軍は、日本が指揮権・管理権を持っていないがゆえに、9条2項違反になりえないという論理である。木村教授は、これをもって、砂川判決は「他国に安全保障を求めること」の合憲性を示した、と解説する。
ところが木村教授は、日本国憲法は集団的自衛権を認めない、と主張する際に、憲法73条が定める内閣の権限に集団的自衛権が含まれえないのは、「行政権」が「国内支配作用」=「国家が国民を支配する作用」だけにかかわるものだからだ、と主張していた。つまり個別的自衛権だけは「国家が国民を支配する作用」なので合憲だが、集団的自衛権はそのように言えないので違憲になる、という主張である。
まとめてみよう。木村教授によれば個別的自衛権だけは「国内支配作用」である。ところで在日米軍は日本の管理権が及ばないものである。もし日本の管理権が及ばないものに対する攻撃をもって日本が個別的自衛権を発動して武力行使をするとしたら、それは「国家が国民を支配する作用」とは言えないので、木村教授にしたがえば、そのような仕方での個別的自衛権の発動は、違憲だということになる。つまり木村教授によって、日米安全保障条約にもとづいて駐留する米軍への攻撃を持って個別的自衛権を発動するのは、違憲でなければならない。つまり米軍基地への攻撃があっても、日本は何もすることができない。
米軍は日本の管理下になくても、米軍が使っている土地は日本の領域内にあるので、個別的自衛権発動でいいのだと主張するとしたら、結局、日本にできるのは米軍が使っている土地を守ることだけで、米軍を守ることはできない、そのようなそぶりを見せたら違憲だ、ということになる。もちろん実際には、米軍を守らず、土地だけを守る、などということは、机上の空論でしかない。
こうして木村教授は、日米安全保障条約が依拠する前提を否定しようとしているのだが、そのことは自分自身では語らない。問題の整理すら、行わない。ただ一方的に仮想敵を侮蔑する言葉を並べるだけである。
砂川判決の直後に新安保条約を調印した岸内閣の閣僚は、次のように説明していた。
―――――――――――
「一切の集団的自衛権を持たない、こう憲法上持たないということは私は言い過ぎだと、かように考えています。・・・他国に基地を貸して、そして自国のそれと協同して自国を守るというようなことは、当然従来集団的自衛権として解釈されている点でございまして、そういうのはもちろん日本として持っている、こう思っております。」 (岸信介首相)
「例えば、現在の安保条約において、米国に対し施設区域を提供している。あるいは、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対して経済的な援助を与えるということ、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、私は日本の憲法は否定しているとは考えない」 (林修三内閣法制局長官)
「国際的に集団的自衛権というものは持っておるが、その集団的自衛権というものは、日本の憲法の第九条において非常に制限されておる、・・・憲法第九条によって制限された集団的自衛権である、こういうふうに憲法との関連において見るのが至当であろう、こういうふうに私は考えております。」(赤城宗徳防衛庁長官)
――――――――――――――
これらの国会答弁が、前年の砂川判決をふまえたものであったことは、間違いないだろう。つまり同時代の政治家は、砂川判決を、木村教授が読むような仕方では、読まなかった。同時代の思潮の中に置かれてみれば、砂川判決が、集団的自衛権を否認していないことは明らかだったのだ。
ただ、現代のイデオロギー対立の中で自分に都合の良い固定された結論を先においてから、推論を組み立てる者であれば、砂川判決が何か違うものであるかのように声高に言ってみたくなる、それだけのことだ。
木村教授は、どういうわけか砂川判決が集団的自衛権にふれた部分を全く無視する。しかし、実際の判決が言ったのは、次のようなことであった。
――――――――――――――
「右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。
――――――――――
砂川判決が参照し、承認しているのは、1951年日米安全保障条約の次のような文言である。
―――――――――――――――
平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。
これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。
―――――――――――――――――――
結局、木村教授の議論が錯綜しているように見えるのは、1950年代・60年代当時の人々が素直に認めていたこと、つまり日米安全保障条約は日本の集団的自衛権の権利行使の論理がなければ成り立たない、ということを、何とかして認めないように画策しているためである。
1950年代・60年代の人々は、集団的自衛権を何とかして否定しなければならない、という脅迫観念にとらわれていなかったので、柔軟にその権利を行使する日本の姿について語っていくことができた。木村教授は、集団的自衛権を否定しながら、砂川判決は否定せず利用しようとする。そこで自衛権発動の仕方が混乱して見えてしまうとしても、そのことを決して自ら語ろうとはしない。
砂川判決の憲法解釈や、その依拠する世界観を、イデオロギー的に批判するのは自由だろう。だが砂川判決の我田引水的な読解を、多勢に無勢で強引に押し切ろうとするのは、知的に誠実な態度だとは言えない。
<続く>
https://goo.gl/Vz3ha2 三浦瑠麗
5月3日は、日本国憲法施行から70年の節目。そんな日に、安倍総理から改憲に向けたビデオメッセージが発せられました。ポイントは二つ。憲法改正を具体的な政治日程に乗せるとの立場を明確にしたこと。そして、その改憲の眼目に9条を据えたことです。いずれの点も、時代が求める方向性であると思っています。
安倍政権に改憲する気があるのかについては、論壇でも見方が分かれていました。私自身は、保守政権として国民の支持を得ながら、改憲に手を付けないとすれば、いったい何のための本格政権か、思っていたところでした。正直、少々懐疑的だったことは否定できませんから、安倍総理の姿勢を評価したいと思います。
2020年までに憲法を改正し、施行までもっていくとすれば、今後2年程度の間に改憲案を練り上げ、国会で発議し、国民投票までもっていく必要があります。改憲までの流れを決めるのは、今後1年程度の間の「国民的議論」の展開と、その間に行われる衆議院選挙の結果でしょう。改憲は戦後政治の最大のテーマですから、今後も曲折はあるでしょうが、政権と自民党の本気度を見ていきたいと思います。
安倍総理の改憲への姿勢を評価する一方、総理のビデオメッセージの中で語られた憲法9条の1項及び2項を維持しながら、自衛隊を明記するという中身には賛成できません。常々申し上げてきている私の持論は、9条1項の平和主義を維持しつつ、9条2項の削除であり、そこが改憲の本丸であるべきと思っているからです。
私は、9条2項削除の意義は大きく二つあると思っています。第一は、日本にまっとうな安全保障論議を根付かせること。安全保障について語ることが、いつまでも憲法解釈をめぐる神学論争であっては困るのです。北朝鮮が事実上核保有し、中国の軍事的台頭が続き、米国が帝国の座を降りようとする今日にあって、この国にそんな余裕はありません。軍事費のどの部分を重点的に増加させるべきか。ミサイル防衛なのか、敵基地攻撃能力なのか、それよりも、既存部隊の人員増や運用能力の強化が優先されるべきか。日本が直面する安全保障上の課題はリアルなものであり、その解もまたリアルでなければなりません。
9条改憲は国民を分断し、安保論議を停滞させるという意見もありますが、私はその立場には与しません。9条改憲を避けては、いつまでも神学論争が続いてしまいます。それは今の世代で決着をつけるべきことです。
9条2項削除の第二の意義は、統治の根本にあるごまかしを排することです。「戦力は保持しない」し、「交戦権は認めない」けれど、自衛隊は持っている。法には一定の解釈論がつきものですが、国の根幹にかかわる部分について中学生に説明できないようではダメなのです。仮に、総理が提起するように、9条1項2項をそのままに、自衛隊を明記したとしてもこの問題は解決しません。「戦力」ではないところの「自衛隊」とはいったい何なのかという、頓珍漢な議論が温存されてしまうでしょう。
本質的には、国民主権の日本が、軍隊という異質な存在を抱えながら、どのように生きていくかという問いと向き合うということです。これは、すべての成熟した民主国家が抱える安全保障とシビリアンコントロールをめぐるジレンマであり、避けては通れないものです。それぞれの国が、歴史の蓄積と、政治の知恵と、国民の良識の中から解を紡いでいかなければなりません。
であるからして、自衛隊は明確に「軍」として位置づけるべきです。民事とは異なる論理で動かざるを得ない軍に付随するものとして、軍事法廷も設置すべきだし、兵士の顕彰についても、慰霊についても考える必要がある。国策を誤らせた旧軍の所々の反省点は明確にしながら、それでいて、その伝統にも一定の敬意を表するという難しいバランスが求められるのです。
自民党の2012年改憲草案は、9条2項についても改正の対象としていますから、「自衛隊を明記する3項を追加する」というのは、政治的な落としどころを見据えてのことでしょう。今現在は確かにそうかもしれません。しかし、落としどころをどこに置くかについては、国民的な議論を通じて変えられるのです。
憲法改正は新しい条文を追加する加憲の方式をとるべきであるとか、日本は「軍」を持たない国であるべきとか、改憲をめぐる議論には多様な経緯があるでしょう。しかし、これから展開される国民的議論においては、経緯論はいったん脇において、時代に即した本質論を語るべきです。立法府が誤魔化しの政治を続けると、行政府も平気で嘘をつくようになるものであり、ひいては民主主義を危うくするのです。
憲法改正には、教育の無償化の議論もあるし、地方分権を進めるための統治機構改革も、緊急事態に対応するための条項もあるでしょう。私自身は、幼児教育と高校教育の無償化には賛成で大学教育の無償化には反対。地方分権は、各地方がグローバル経済の中で生き残っていける単位を形成することを眼目とすべき。そして、緊急事態にも不可侵な権利とは何かを明確にすべき、という立場です。
それぞれが重要な論点であり、様々な立場があり得るでしょうから国民的議論の一部として喧々諤々やればいい。けれど、それらの議論が9条を軸とする憲法改正から焦点をずらし、あるいは、いたずらに時期を遅らせるものであってはならないと思います。ましてや、一部から提起される復古的な議論と、必要な憲法改正が混同されてはならないと思います。
その意味で、2012年の自民党憲法改正案で展開される復古調の価値観は、憲法改正の最大の障害であると思っています。「家族を大事にしよう」的な道徳論は求められていないし、封印すべきです。むしろ、自民党が野党時代に右側にバネを効かせてうっかり出してしまった不見識なものでしたと言って撤回してもらいたいくらい。そうすれば、より多くの国民、特に若い世代が、今必要な改憲論議に建設的な形で参加できるのではないでしょうか。
私自身に関して言えば、政治学者の立場としてあくまでも分析を軸として発言を行ってきました。ただ、憲法改正が同時代的に進んでいく中では、一定の政治的立場を含む発言も行っていくことが自らの責任であると思っています。憲法改正をめぐる議論が、経緯論に引きずられた古い立場の罵り合いであってはなりません。時代に合った、若い世代が世界を語り、国を語り合えるような議論の一端を担えるよう発言し、行動していきたいと思っています。
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都知事・美濃部のコスト https://is.gd/oitvWr
JICEの部屋(コラム)
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
「TREATY OF MUTUAL COOPERATION AND SECURITY BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA」
昭和三十五年六月二十三日、条約第六号
1960(昭35)・1・19 ワシントンで署名、
1960・6・23 批准書交換、発効(昭35外告49)
日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、
また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、
国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、
両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、
両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、
相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。
第一条:
締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしない ように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合 の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に逐行されるように国際連合を強化することに努力する。
ARTICLE I
The Parties undertake, as set forth in the Charter of the United Nations, to settle any international disputes in which they may be involved by peaceful means in such a manner that international peace and security and justice are not endangered and to refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state, or in any other manner inconsistent with the purposes of the United Nations. The Parties will endeavor in concert with other peace-loving countries to strengthen the United Nations so that its mission of maintaining international peace and security may be discharged more effectively.
第二条:
締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長すること によって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協 力を促進する。
ARTICLE II
The Parties will contribute toward the further development of peaceful and friendly international relations by strengthening their free institutions, by bringing about a better understanding of the principles upon which these institutions are founded, and by promoting conditions of stability and well-being. They will seek to eliminate conflict in their international economic policies and will encourage economic collaboration between them.
第三条:
締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
ARTICLE III
The Parties, individually and in cooperation with each other, by means of continuous and effective self-help and mutual aid will maintain and develop, subject to their constitutional provisions, their capacities to resist armed attack.
第四条:
締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。
ARTICLE IV
The Parties will consult together from time to time regarding the implementation of this Treaty, and, at the request of either Party, whenever the security of Japan or international peace and security in the Far East is threatened.
第五条:
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならな い。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。
ARTICLE V
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and safety and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. Any such armed attack and all measures taken as a result thereof shall be immediately reported to the Security Council of the United Nations in accordance with the provisions of Article 51 of the Charter. Such measures shall be terminated when the Security Council has taken the measures necessary to restore and maintain international peace and security.
第六条:
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
ARTICLE VI
For the purpose of contributing to the security of Japan and the maintenance of international peace and security in the Far East, the United States of America is granted the use by its land, air and naval forces of facilities and areas in Japan. The use of these facilities and areas as well as the status of United States armed forces in Japan shall be governed by a separate agreement, replacing the Administrative Agreement under Article III of the Security Treaty between Japan and the United States of America, signed at Tokyo on February 28, 1952, as amended, and by such other arrangements as may be agreed upon.
第七条:
この条約は、国際連含憲章に基づく締結国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響も及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。
ARTICLE VII
This Treaty does not affect and shall not be interpreted as affecting in any way the rights and obligations of the Parties under the Charter of the United Nations or the responsibility of the United Nations for the maintenance of international peace and security.
第八条:
この条約は、日本国及びアメリカ合衆国により各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日(昭和三五年六月二三日)に効力を生ずる。
ARTICLE VIII
This Treaty shall be ratified by Japan and the United States of America in accordance with their respective constitutional processes and will enter into force on the date on which the instruments of ratification thereof have been exchanged by them in Tokyo.
第九条:
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約は、この条約の効力発生の時に効力を失う。
ARTICLE IX
The Security Treaty between Japan and the United States of America signed at the city of San Francisco on September 8, 1951 shall expire upon the entering into force of this Treaty.
第十条:
この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。
ARTICLE X
This Treaty shall remain in force until in the opinion of the Governments of Japan and the United States of America there shall have come into force such United Nations arrangements as will satisfactorily provide for the maintenance of international peace and security in the Japan area. However, after the Treaty has been in force for ten years, either Party may give notice to the other Party of its intention to terminate the Treaty, in which case the Treaty shall terminate one year after such notice has been given.
以上の証拠として、下名の全権委員は、この条約に署名した。
1960年1月19日にワシントンで、ひとしく正文である日本語及び英語により本書2通を作成した。
日本国のために
岸信介
藤山愛一郎
石井光次郎
足立正
朝海浩一郎
アメリカ合衆国のために
クリスチャン・A・ハーター
ダグラス・マックアーサー二世
J・グレイアム・パースンズ
条約第6条の実施に関する交換公文〔昭35・1・19岸・ハーター交換公文〕
(日本側往簡)
書簡をもつて啓上いたします。本大臣は、本日署名された日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に言及し、次のことが同条約第6条の実施に関する日本国政府の了解であることを閣下に通報する光栄を有します。
合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行なわれる戦闘作戦行動(前記の条約第5条の規定に基づ いて行なわれるものを除く。)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。本大臣は、閣下が、前記のこ とがアメリカ合衆国政府の了解でもあることを貴国政府に代わつて確認されれば幸いであります。
本大臣は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。
(合衆国側返簡)
書簡をもつて啓上いたします。本長官は、本日付けの閣下の次の書簡を受領したことを確認する光栄を有します。
〔日本側書簡省略〕
本長官は、前記のことがアメリカ合衆国政府の了解でもあることを本国政府に代わつて確認する光栄を有します。
本長官は、以上を申し進めるに際し、ここに重ねて閣下に向かつて敬意を表します。
以下、英文による「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」
「Japan-U.S. Security Treaty」
外務省ホームページの次のURLに掲載されています。
http://www.mofa.go.jp/region/n-america/us/q&a/ref/1.html
「TREATY OF MUTUAL COOPERATION AND SECURITY BETWEEN JAPAN AND THE UNITED STATES OF AMERICA」
ARTICLE I
The Parties undertake, as set forth in the Charter of the United Nations, to settle any international disputes in which they may be involved by peaceful means in such a manner that international peace and security and justice are not endangered and to refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state, or in any other manner inconsistent with the purposes of the United Nations. The Parties will endeavor in concert with other peace-loving countries to strengthen the United Nations so that its mission of maintaining international peace and security may be discharged more effectively.
ARTICLE II
The Parties will contribute toward the further development of peaceful and friendly international relations by strengthening their free institutions, by bringing about a better understanding of the principles upon which these institutions are founded, and by promoting conditions of stability and well-being. They will seek to eliminate conflict in their international economic policies and will encourage economic collaboration between them.
ARTICLE III
The Parties, individually and in cooperation with each other, by means of continuous and effective self-help and mutual aid will maintain and develop, subject to their constitutional provisions, their capacities to resist armed attack.
ARTICLE IV
The Parties will consult together from time to time regarding the implementation of this Treaty, and, at the request of either Party, whenever the security of Japan or international peace and security in the Far East is threatened.
ARTICLE V
Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and safety and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes. Any such armed attack and all measures taken as a result thereof shall be immediately reported to the Security Council of the United Nations in accordance with the provisions of Article 51 of the Charter. Such measures shall be terminated when the Security Council has taken the measures necessary to restore and maintain international peace and security.
ARTICLE VI
For the purpose of contributing to the security of Japan and the maintenance of international peace and security in the Far East, the United States of America is granted the use by its land, air and naval forces of facilities and areas in Japan. The use of these facilities and areas as well as the status of United States armed forces in Japan shall be governed by a separate agreement, replacing the Administrative Agreement under Article III of the Security Treaty between Japan and the United States of America, signed at Tokyo on February 28, 1952, as amended, and by such other arrangements as may be agreed upon.
ARTICLE VII
This Treaty does not affect and shall not be interpreted as affecting in any way the rights and obligations of the Parties under the Charter of the United Nations or the responsibility of the United Nations for the maintenance of international peace and security.
ARTICLE VIII
This Treaty shall be ratified by Japan and the United States of America in accordance with their respective constitutional processes and will enter into force on the date on which the instruments of ratification thereof have been exchanged by them in Tokyo.
ARTICLE IX
The Security Treaty between Japan and the United States of America signed at the city of San Francisco on September 8, 1951 shall expire upon the entering into force of this Treaty.
ARTICLE X
This Treaty shall remain in force until in the opinion of the Governments of Japan and the United States of America there shall have come into force such United Nations arrangements as will satisfactorily provide for the maintenance of international peace and security in the Japan area. However, after the Treaty has been in force for ten years, either Party may give notice to the other Party of its intention to terminate the Treaty, in which case the Treaty shall terminate one year after such notice has been given.
IN WITNESS WHEREOF the undersigned Plenipotentiaries have signed this Treaty.
DONE in duplicate at Washington in the Japanese and English languages, both equally authentic, this 19th day of January, 1960.
FOR JAPAN:
Nobusuke Kishi
Aiichiro Fujiyama
Mitsujiro Ishii
Tadashi Adachi
Koichiro Asakai
FOR THE UNITED STATES OF AMERICA:
Christian A. Herter
Douglas MacArthur 2nd
J. Graham Parsons
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
通称:日米安全保障条約
昭和三十五年六月二十三日条約第六号
前文
日本国及びアメリカ合衆国は、両国の間に伝統的に存在する平和及び友好の関係を強化し、並びに民主主義の諸原則、個人の自由及び法の支配を擁護することを希望し、また、両国の間の一層緊密な経済的協力を促進し、並びにそれぞれの国における経済的安定及び福祉の条件を助長することを希望し、国際連合憲章の目的及び原則に対する信念並びにすべての国民及びすべての政府とともに平和のうちに生きようとする願望を再確認し、両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よって、次のとおり協定する。
第一条
締約国は、国際連合憲章に定めるところに従い、それぞれが関係することのある国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決し、並びにそれぞれの国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する。
締約国は、他の平和愛好国と協同して、国際の平和及び安全を維持する国際連合の任務が一層効果的に逐行されるように国際連合を強化することに努力する。
第二条
締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。
第三条
締約国は、個別的及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。
第四条
締約国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締約国の要請により協議する。
第五条
各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
前記の武力攻撃及びその結果として執ったすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執ったときは、終止しなければならない。
第六条
日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリ力合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。
前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基づく行政協定(改正を含む)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
第七条
この条約は、国際連含憲章に基づく締結国の権利及び義務又は国際の平和及び安全を維持する国際連合の責任に対しては、どのような影響も及ぼすものではなく、また、及ぼすものと解釈してはならない。
第八条
この条約は、日本国及びアメリカ合衆国により各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。この条約は、両国が東京で批准書を交換した日(昭和三五年六月二三日)に効力を生ずる。
第九条
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約は、この条約の効力発生の時に効力を失う。
第十条
この条約は、日本区域における国際の平和及び安全の維持のため十分な定めをする国際連合の措置が効力を生じたと日本国政府及びアメリカ合衆国政府が認める時まで効力を有する。
もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。
署名
以上の証拠として,下名の全権委員は,この条約に署名した。
千九百六十年一月十九日ワシントンで,ひとしく正文である日本語及び英語により本書二通を作成した。
日本国のために
岸信介
藤山愛一郎
石井光次郎
足立正
朝海浩一郎
アメリカ合衆国のために
クリスチャン・A・ハーター
ダグラス・マックアーサー二世
J・グレイアム・パースンズ
※先の投稿に引き続き、中川八洋氏の論考を記録しておきます。今更言うまでもないことですが、中川八洋氏の見解に同意するかどうかということとは無関係です。様々な観点から検証するための一つの参考意見です。
論考の中で中川氏は西尾幹二氏について、「ソ連は天使、米国は悪魔」として冤罪化を試みているかのように主張されていますが、中川八洋氏の断定は、逆にむしろ「ソ連は悪魔、米国は天使」と主張しているかのような神学論争に堕しかねない感想ももちます。そうであれば愚劣な議論でしょう。知者、知に溺れる。
いずれにしても歴史認識とは神ならぬ利害にとらわれる人間の行うことですから、一筋縄には行かないことはわかります。
「人は心で謀事をするが、物事を決めるのは神である。人の目には自分の行く道はすべて正しいかのように思うが、ただ神のみが真実を裁定される」(箴言16:1、2)
中川八洋掲示板
@中川八洋
“歴史の偽造屋”西尾幹二の妄言狂史(Ⅱ)
――“冤罪捏造”の<西尾史観>と分裂症の妄想・幻覚
筑波大学名誉教授 中 川 八 洋
西尾幹二の作品はことごとく、妄想性思考と論理障害が顕著である。特に、強度の妄想性思考(幻覚)において、西尾幹二の職業は、サイケデリック・アート(psychedelic art)の画家なら問題はなかっただろうが、史料に基づく歴史事実を積み重ねていく歴史学には最も不向きな人物である。歴史に係わる西尾の大量の雑文すべてが、歴史事実を歪曲した大捏造の噴飯物なのは、西尾の病的な妄想性思考の産物。余りに当然。
『GHQ焚書図書開封』全八巻の分析に入る前に、西尾が昵懇な北朝鮮工作員・金完燮との対談本『日韓大討論』(注1)に、少しばかり脱線する。この対談でデッチアゲに狂奔する西尾流妄想の偽造歴史が、西尾特有の病気である“冤罪づくりの犯罪”という悪意の意図(malicious intent)に発生しているのを端的に明らかにするからだ。
蛇足。一定以上の教養さえあれば、諜報情報など無くとも、誰でもこの対談をすれば「金完燮とは<親日>演技を通じて、日本人を“反・韓国”に誘導洗脳し日韓分断を工作する北朝鮮の対日工作員」だと見破れる。だが西尾は、国際政治や歴史を洞察する知見も能力も欠く、水準以下の低級な売文業者。この程度の判別すらできない。
「北海道を守る代償に、米国は日本男児のシベリア強制労働をスターリンに承認する協定に署名した」だって?????
『日韓大討論』で、西尾は、ここまで嘘だらけの創り話ができるものかと絶句するほど、真赤な嘘をでっち上げる。
「米国大統領トルーマンが、それ(=ソ連の北海道南北分断と北側占領要求)をさせない交換条件として、シベリアにいた日本人を約八十万人を強制労働につかせることをソ連のスターリンに対して認めてサインをしたのです。日本人の頭越しで行われた協定で、日本には知らされませんでした」
「収容所に入れられ恐怖の強制労働に従事させられた日本人約八十万人のうち、約十万人が亡くなりました。それは北海道が守られた犠牲であるということを、戦後三十年ぐらい経って知らされました。歴史の非情です」(注2)。
スターリンがトルーマンに対し発した(留萌と釧路を結ぶ線で)北海道北半占領要求の通知は、一九四五年八月十六日。日本は前日十五日正午の停戦に合意したが、この時点、降伏はしていない。十六日は、日米はまだ相互に交戦状態の戦争相手国だった。日本の連合国への降伏は、九月二日、東京湾に停泊する戦艦ミズーリー艦上。“戦闘停止”を指す「停戦」は、「降伏」(戦争終結、戦勝国の敗戦国の占領開始)ではない。
だから、九月二日以降の日本軍の降伏相手国&占領地域をめぐる一九四五年八月十六~二十五日の米ソ間のやり取りを、米国は日本側に連絡する義務などない。それなのに西尾は、「一九四五年八月」時点で、米国は日本側への協議義務が発生する日米同盟を締結していたと主張する。
分裂症の狂気がひどい西尾幹二とは、時間軸が非在の、時間経過の識別ができない。だから、このように、「一九四五年八月」を、七年後の日米安保条約が発効した「一九五二年四月二十九日以降」だと“妄想”する。西尾における「一九四五年八月=一九五二年四月二十九日以降」のような症状を、分裂症患者に特有な“幻覚”ともいう。
産経新聞社やワック社は、西尾幹二が重度の分裂症罹患者だと知ったうえで付き合っているようだ。精神分裂症の文筆家の作品の方が、正常な論客や学者のより、よく売れて商売になるからだ。絵画と同じである。分裂症の画家ゴッホ、ムンク、ゴヤ、ボッシュなどを思い出せばわかるだろう。
画家に限らず文筆家(文学者、哲学者、思想家)もまた、分裂症患者の作品の方が、日本では高い評価を受け読者も多い。ルソー、ヘルダーリン、フーコー、ドウルーズ、コント、保田與重郎、サイード、ハイデカー、ヴィトゲンシュタインなど挙げるときりがない。なお、ニーチェの狂気は、分裂病と酷似した症状を示す脳梅毒であって、分裂病ではない。
話を戻す。トルーマンは、上記スターリン要求をにべもなく拒絶回答した。二日後の八月十八日だった。代りに、国後・択捉島およびその北に位置するクリル諸島へのソ連軍の進駐・占領を認めた。このとき米国は、択捉島に米国のB29爆撃機用の航空基地を設置させる条件を附けた。
八月二十二日、スーターリンは、択捉島のアメリカ軍航空基地建設を拒否した。これは、北海道北半占領を断念する旨の間接的な通知でもあった。二十五日、米国は米軍基地拒絶への抗議文をソ連に発信し、これをもって本件に絡む米ソ間交渉は終了した(注3)。
このソ連の北海道北半占領要求について、日本側(外務省)は、占領開始後の一九四五年九月にGHQ(米国)から詳細に聞かされており、西尾幹二の意味不明な「戦後三十年ぐらい経って」(一九七五年頃)は、妄想上に浮かんだ真赤な嘘話。医学的には“分裂病の幻覚”。西尾幹二のこのような狂気の妄想には、限度がない。
すなわち、「北海道北半のソ連軍への降伏・ソ連の占領地域」という純粋に戦勝国・米ソ間の問題は、日ソ間の問題でポツダム宣言違反のシベリアへの日本男児百五万人強制連行・強制労働事件(四十~五十万人大量殺戮事件)とは、ひとかけらも関係しない。だのに、世界中でただ一人西尾幹二だけは、上記引用文のように、全く無関係な両問題が結びつき連結してしまう。西尾幹二が幻覚(妄想性思考)に浮遊する重度の分裂症患者でないとすれば、この異常な“連結”が発生する狂気の思考メカニズムを説明できない。
シベリア強制連行は、共産主義者(ソ連工作員)の牙城となっていた帝国陸軍参謀本部や近衛文麿らが、一九四五年四月頃から、ソ連大使館と打ち合わせていたもので、“半ばスターリンの対日要求、半ば日本側の同意”から生まれた世紀の蛮行である。
このことは、近衛の代理としてソ連大使館(の中の、ベリアが直轄するNKGB部局)との間を頻繁に行き来していた酒井鎬次(予備役陸軍中将)が近衛と二人で執筆したと詐称する「近衛文麿の対ソ仲介案」に明記されている(注4)。このところは、「近衛らが、ソ連大使館のNKGB将校と一緒に執筆した」と正しい歴史事実に修正されるべきだ。
また、在満州の関東軍(帝国陸軍の在満洲総軍)のソ連軍への降伏とシベリアへの連行が合意されたジャリコーワでの日ソ間の協議は、一九四五年八月十九日(注5)。
すなわち、北海道北半をめぐる米ソ間の応酬があった八月十六日~十八日、日本陸軍(関東軍)とソ連軍は、まだ満洲の荒野で最後の戦闘中であった。日本の将兵は誰一人としてシベリアなどにはいない。しかし、西尾幹二は、「シベリアに八十万人いた」という。
重度の分裂症の西尾幹二にとって、「満洲」と「シベリア」が同一だし、「一九一八年のシベリア出兵」と「一九四五年のシベリアへの拉致連行」とが同一である。論理障害で妄想性思考の症状である。なお、引用文の「八十万人」とか「十万人」とかの数字ミスは、西尾が歴史音痴で文献を渉猟しないズブの素人だからであって、西尾の分裂症とは関係しない。
ついでにシベリア拉致強制連行・大量殺戮事件について、その基本概要を述べておこう。八月十九日から武装解除が始まった関東軍の将兵が、鉄格子つきの貨車に載せられシベリアへと北送されていく強制抑留は、九月二日の降伏の日から開始された。八月十八日に事実上終了した北海道北半占領問題から二週間たった後。シベリアへの強制連行の最盛期は一九四五年十月~十一月で、翌年春まで続いた。
シベリアに拉致・強制連行された日本人男児はおよそ百五万人。帰還した数を差し引けば、四十~五十万人が殺害された。死亡したのではなく、ホロコーストの大量殺戮である。これが、ほぼ正確な確定数字である。
これに関して多くの資料があるが、最も学術的に高い評価を得ているのは『シベリア強制抑留の実態』(注6)。この本への言及がないシベリア抑留問題の書物など、信用が措けない。
さて、上記の引用文には「トルーマンは、在シベリアの日本人八十万人を強制労働させることをスターリンに同意し協定に署名(サイン)した」との、西尾幹二の真赤な嘘創作がある。そのような「米ソ協定」など、幽霊ですら実態物に思えるほど、むろん存在しない。西尾幹二の分裂症の幻覚は、これほどひどいのである。
西尾幹二が、強度の幻覚症状の中で嘘歴史を綴っていく様は、チェーホフの小説『第六病棟』の主人公さながら。戦慄するほかない。
なお、米国こそは、ソ連に抑留された日本人男児の解放に全力あげてソ連に圧力をかけ続けた最高の偉大な友邦であった。米国の援護なしに、約半数の五十万人帰還は、ありえなかった。
西尾幹二を精神病院に入院させなくて、本当に大丈夫か
『日韓大討論』は、西尾幹二が重度の精神異常者であることを示す多くの嘘歴史の陳列館だが、事例をもう一つ。次の荒唐無稽な嘘話は、馬鹿馬鹿しくて読む気になれないだろうが、我慢して読んでいただきたい。
「(米国は、日本の)真珠湾攻撃より前に東京空襲が計画されていました。使用しようとしていた飛行機がドイツの方に必要になったので取りやめになったのですが、いきなり東京を攻撃する計画でした。ですからもし日本が真珠湾をやらなければ、アメリカが日本に先制攻撃していました」(注7)。
幻覚で歴史をデッチアゲル西尾幹二の、上記の嘘歴史は、私立中学を受験する東京の小学生五年生でもわかるもので、わざわざ解説するのは気が重い。が、以下の通り。
一九四一年末までの米国には、政府にも軍にも東京空襲などの計画は全く不在で煙ほどにも無い。そんな渡洋爆撃(空襲)ができる武器=航空機が存在せず、計画検討すら発想する以前だった。
どうやら西尾幹二は、一九四四年秋に実戦配備になったB29爆撃機が、一九四一年に米国に存在していたと“幻覚”している。そして、一九四一年の半ば、米国はB29爆撃機の大部隊で横須賀軍港を先制攻撃することができたと“妄想=幻覚”している。
だが、B29の初飛行は、一九四二年九月二十一日。運用開始は、一九四四年五月八日。シナの成都から九州への爆撃は、一九四四年六月十六日が最初。東京への最初の爆撃は、一九四四年十一月二十九日の二十九機。その発着基地はテニアン島。
要は、西尾幹二は、「一九四一年」と「一九四四年」の相違が、“分裂病の狂人”らしく、識別できない。だから、「一九四四年に初めて戦場に現れた米国のB29の爆撃機は、一九四一年に実戦配備されていた」と妄想し、「この対日用B29が、ドイツ空爆に転用され、一九四一年に使われた」とのもう一つの大妄想(幻覚)を重ねている。
西尾の“妄想”は、一九四二年四月十八日のドーリットル中佐が率いるB25爆撃機十六機と空母「ホーネット」による東京ほかへの対日空襲を、「米国は一九四一年に実行する予定だった」の“妄想”とも考えられるので、不必要かもしれないが、補足しておく。
ルーズベルト大統領は、真珠湾の奇襲攻撃で意気消沈する米軍の士気を昂揚させるべく、東京を含めた日本本土攻撃の研究を命じた。一九四二年一月十六日だった。だが、日本近海に米国の航空基地がなく、また艦載機の爆撃では効果が弱すぎるので、陸軍の双発爆撃機B25十六機を空母から離艦させ(帰還のための着艦はできないので、空襲終了後は)支那大陸に逃避してその沿岸にパラシュートで着地する(爆撃機は全機墜落自壊)というサーカスのような戦術を思いついた。
勇敢さで歴史に名を遺した「ドーリットル空襲」で日本側が蒙った被害は、横須賀の軍港が破壊されたわけではなく、若干の人命喪失と家屋被害が出たのみで、パールハーバーの被害とは比較にならない軽微なレベル。米国が喪失した爆撃機やシナ大陸に不時着した乗員の処刑等による犠牲に比すれば割りの合わない、軍事合理性のまったく無いもの。パールハーバー・ショックから米軍の士気を立ち直らせる目的がなければ考案されることはなかった。
それなのに西尾ときたら、「米国は一九四一年、パール・ハーバーより先に、先制的な横須賀奇襲攻撃/東京空襲をしたはず」と主張する。狂気の幻覚や妄想なくして、とても発想できるものではない。西尾幹二の偽造歴史は、“嘘づくり妄想の連鎖”ででっち上げられている。
日露間の明快な国境(ロシアが侵略している日本国領土)が、はっきりしない???
――「ロシアへの日本の北方領土返還要求の根拠は無い」と主張する西尾幹二
西尾の歴史偽造には、一貫しているものがある。それは、真偽を越えて何事であれ、「米国が悪魔、ソ連が天使」という構図。これは、虚偽歴史を書きなぐる厖大な数の雑文すべての基本構造となっている。
「アメリカ政府は、ソ連と日本が永久に仲が悪くなるように、アメリカ政府は、サンフランシスコ講和条約において、北方領土の境界をはっきりさせず、あえて国境線を不明確にし、どこまでが日本領なのかをわからないようにしました。これは永遠の争いのタネにするためです」(注7)。
これを読んだ時、思わず、西尾幹二はロシアの情報工作員かと思ったが、たまたま彼をよく知るので、それはありえない。つまり、ロシア工作員でないが、西尾とは、過激な親ロ人士で、ロシア一辺倒の“反日の言論ボス”。
日本国にとって、日本固有の領土である樺太を奪い、ニコライエフスク港で日本の一般邦人七百名を虐殺し(一九二〇年三月)、満洲で(一九四五年八月~四六年四月)日本人婦女子二十万人を殺害した“永遠の敵性国家”ロシアとは、日本は万が一にも仲良くなってはいけない。
ところが、日本の国益が転倒的に見える“狂気の非国民”西尾幹二は、逆さにも「日本はロシアと仲良くすべきだ」を強い信条とする。西尾幹二に“性悪の売国奴”を感じない日本人は、共産党員でないなら、自らが売国奴の資質濃厚だと猛省されたい。
上記の引用文は誤謬満載の放言暴言のたぐいともいえるが、それ以前に、このように、西尾幹二とは、シベリア追放処分が急がれる、祖国叛逆の犯罪者的な思考しかできない人物。
なぜなら、日露間の係争は、樺太や国後・択捉・千島列島の領土問題だけではない。ロシアによる残虐極める日本人大量殺戮問題がある以上、万が一にも、日本はロシアと友好関係をもつことはできない。もし仮に、日本がロシアと友好な関係をもつならば、それこそ人倫の道に違背し祖先を足蹴にする、祖国を冒涜する行為ではないか。日本国の存続のレーゾン・デートルすら瓦解する。
ロシアは、一九四五年八月、日ソ中立条約を蹂躙しての満洲侵略・朝鮮北部侵略・樺太侵略を今なお詫びてはいない。この時、日本人男児百五万をシベリアに拉致して極寒の中での強制労働で四~五十万人を殺戮したことを今なお詫びてはいない。このとき、満洲や樺太で日本の婦女子に対して言語に絶する陵辱をなし殺戮を縦にしたが、これについてもロシアは一言も詫びてはいない。
満洲で十歳以上の日本人女性はほぼことごとくレイプされた。とりわけ、十代の日本女性に対するレイプは、阿鼻叫喚の地獄絵であった。例えば、一週間で百名から二百五十名のロシア兵に犯され、そのまま死亡した者は数知れず。また多くは、レイプされた後、自殺した。母親や祖母が発狂した日本人の女児・女子を殺してあげた。レイプ殺戮の日本女性の被害者数の総計は、一万人を超える。
ために、満洲から十代の女学生で生きて福岡県博多港に引き揚げてきた者はわずかであった。また、博多港の岸壁では、レイプされて妊娠した日本女性の掻爬が行われたが、この掻爬の順番待ちをして長々と並ぶ光景は、鬼気迫るものがあったという。
ロシアと仲良くするのが良いなどとは、西尾幹二が悪魔すらたじろぐ人間性皆無(ヒューマニズム欠如)の人格の持ち主だからである。西尾が、事の理非や善悪を弁えない無道徳・反倫理の人間以下の犯罪者精神の人格だからである。
米国は、日本の北方領土返還問題では、絶えず日本側を応援した。例えば、「ヤルタ秘密協定は、米国政府はいっさい関与していない、ルーズベルトが大統領ではなく個人としてスターリンと交わした私文書である」との国務省声明(一九五六年九月)まで発出したように、あらゆる手を尽くしてくれた。また、国後・択捉島は日本領土である旨の公文書をロシアに突きつけたり、その奪還にかける情熱は、日本人以上である(注8)。
サンフランシスコ講和会議において、ロシアは、「南樺太とクリル諸島(得撫島以北の千島列島)と国後・択捉・歯舞・色丹の領有を講和条約に明記しろ」「宗谷海峡/根室海峡などに面する北海道側を非武装化する旨を明記しろ」などを要求したが、これをすべて拒絶したのが米国政府であった。
ダレス全権は、サ講和条約をヤルタ秘密協定の無効宣言をかねるものとするぞと意気込んでいたが、日本国へのこの約束を完全に守りぬいた。怒ったソ連の全権グロムイコ外相は退場し、講和条約を調印しなかった。ために、南樺太とクリル諸島は日露間では今なお“日本領土”である。
上記の引用文での西尾幹二の主張は、“北方領土をロシアに譲渡し、海峡に面した北海道の一部の主権をロシアと共同主権とせよ”とのことだから、西尾幹二とは、まさに反日の非国民である。そればかりか「日ロ間の国境の境界は、はっきりしない」との西尾幹二の謂いは、「日本の対ロ北方領土返還要求には、正当な根拠が存在しない」との意味だから、「対ロ領土返還要求をするな!」との西尾の真意が言外に露である。
日本領土をすべてロシアに貢がんとした帝国陸軍参謀本部のコミュニスト種村佐孝大佐の継承者のような西尾幹二は、潜在意識では“スターリン万歳のロシア人”だと断定してよかろう。
「ソ連は天使、米国は悪魔」
――“西尾流偽造の嘘歴史”を貫く米国冤罪化
これまで『日韓大討論』の三ヶ所を引用したわけだが、一番目と三番目は、西尾のもう一つの異常な歴史観を暴いている。それは、ロシアがなした明々白々な対日領土侵略や日本人大量殺戮事件を「米国がなしたもの」と米国に転嫁する、米国に冤罪の濡れ衣を着せる歴史捏造がパターン化していること。換言すれば、「敵国ロシア、友邦アメリカ」を異論なく示す明らかな歴史事実を転倒して、日本人が「ソ連は天使、米国は悪魔」の構図に洗脳されるよう嘘歴史をデッチアゲルのが、西尾流歴史偽造の手口だということだ。
要は、米国を無実の罪で糾弾するための、嘘歴史への歴史事実の転倒である。このような悪意の冤罪づくりは、共産主義者なら当然の行為だろう。だが西尾は、マルクス・レーニン主義者ではない。とすれば、分裂症患者では常態の、善悪を転倒させて入れ替える思考だと考えざるを得ない。西尾幹二は、重度の精神分裂症の狂気によって、善者と悪者のすり替え妄想に遊んでいる。
注
1、『日韓大討論』で、西尾幹二は、私(中川八洋)の著『歴史を偽造する韓国』からかなりの量の知見を“盗用”している。学術論文または学術性のある著作の場合は、引用箇所を明記すれば済むが、一般向きの対談本などでは、他人の作品から一定以上の分量を利用する場合、法律も「許諾が必要」だと定めている。西尾幹二は、著作権法に明白に違反する「許諾なき無断利用」、つまり“盗用”事件を犯している犯罪者である。
また、歴史の偽造のトンデモ本を売りまくる卑しく下劣な売文業者・西尾幹二に、私は、学者としてまた平成日本を代表する知識人として、私の学術的な研究成果を“許諾する”ことは決してしない。そのようなことをすれば、日本国の国益一途の私の学問研究が冒涜的に穢れることになるし、何よりも私個人の名誉と信用が毀損される。すなわち、幻覚と嘘つき常習の“狂気の人”西尾幹二による拙著盗用事件は、私に対する名誉毀損事件でもある。
2、『日韓大討論』扶桑社、三四頁。
3、南方同胞援護会『北方領土の地位』、一三四~六頁。この他にも多くの文献があるが、皆同じ。
4、江藤淳監修『終戦工作の記録 下』、講談社文庫、二三四~九頁。近衛文麿がスターリンに提案する予定の『和平交渉にかかわる要綱案』には、「賠償として一部の労力を提供するころには同意す」との一文がある。
戦後、シベリア抑留問題で、“日本側の主犯”近衛文麿が糾弾されないのは、朝日新聞などソ連や共産党に支配された極左マスメディアの情報工作・洗脳工作の成果である。だが、忘れてはならないのは、これに加えて、西尾幹二のような“歴史の偽造家”のトンデモ著作を面白がって読む“民族系の売国奴集団”がソ連側・日本側の極左を支援し擁護するからである。
5、コワレンコ『対日工作の回想』、文藝春秋、三〇頁下段。
6、阿部軍治『シベリア強制抑留の実態』、彩流社、二〇〇五年刊。
7、上掲『日韓大討論』、一六二頁、一七七頁。
8、中川八洋『尖閣防衛戦争論』、PHP、二一〇~三三頁を参照のこと。
※出典
中川八洋掲示板
@中川八洋
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-7.html
第三節 民族系論客はなぜ、スターリン史観の狂信者なのか
――西尾幹二の“狂妄”大東亜戦争論Ⅱ
二 〇〇五年の『正論』誌発表のエセーにもとづき、その三年後から西尾が出版したのが、シリーズ本『GHQ焚書図書開封』である。『GHQ焚書図書開封』と は、かいつまんで言えば、二十一世紀の日本人にマルクス・レーニン主義への回帰を説き、時代錯誤の「社会主義万歳!」「共産主義万歳!」「東アジア全体を 共産化しよう!」に傾倒する極左イデオロギーの復活への雄たけびである。
西尾幹二は、日本を今でも骨の髄まで汚染しているマルクス・レーニン主義が、まったく理解できない。むろん、それらの本を、識別・判別するのができない。西尾幹二の知性レベルは、自動車と飛行機の識別ができず、「動くもの」として一緒にする野蛮人並みである。
だ から西尾幹二は、GHQが「市販を禁止し市場から没収させた本」の多くが、教条的なマルクス・レーニン主義の書籍群なのが、とんと理解できない。マルク ス・レーニン主義が瞬時に識別できない“哲学超音痴”の西尾は、それなのに感性でマルクス・レーニン主義に傾倒する。小学校の時に共産主義にかぶれた赤い 教師に洗脳されたのだろうか。
反学問・反歴史の“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』をどう焚書するか
それはともあれ、西尾幹二の『GHQ焚書図書開封』は、“世紀の歴史捏造書”。なぜなら、次のような真赤な嘘を絶対前提に論を立てているからである。
「(大東亜戦争の)戦意形成の背後を知るに値する昭和史の文書類は根こそぎアメリカに運び込まれたままになっているのが事実のようです」
「<焚書>されて本がなくなってしまったために、戦後を『自分でなくて』生きている事実にすら気がつかなくなっている」(注1、三八頁、四三頁)。
いかなる本も、数千部が印刷される。そのうち、「市販禁止本」に限り、おそらく五冊づつほどが米国に送付されたようだから、九十九%は日本国内にそのままある。それがどうして「根こそぎアメリカに運び込まれた」となるのか。嘘としても限度を超えていよう。
ま た、日本人の人格を形成する書籍は、万葉集や平安文学や江戸文学あるいは過去千五百年間に出版された無数の古典的な歴史関連書である。一九二八~四五年間 のわずか十七年間の出版物を読まずとも、日本人の人格形成にはなんら問題はない。しかも、この十七年間ぶんの本は、読もうと思えば、複数の図書館を利用す れば、一冊残らずすべてが読める。それがどうして、「焚書されて本がなくなってしまった」になるのか。事実を愚弄する真赤な嘘話も、ここまでの嘘は聞いた ことがない。
さて、西尾幹二の七冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズは、大東亜戦争とその前夜の歴史をあらん限りに歪曲し恣意的に改竄するのが目的。だが、こんな荒唐無稽な嘘の大掛かりな舞台までつくってまで、なぜ歴史の捏造をする必要があるのだろうか。
答 えの一つとして、人格が分裂的に浮遊する西尾幹二が、七十歳になった二〇〇五年を契機に、自分を大東亜戦争とその前夜の「ゼロ歳から小学校児童」であった 時代に仮構的に回帰し、対英米戦争をパソコン・ゲーム(蜃気楼)で楽しむ妄想に耽ることにした、と考えれば、西尾の真黒い思考の深層とその著の真相を抉る ことができるのではないか。
つまり、大東亜戦争そのものを歴史学的・学問的に考察するのではなく、「読者よ!二〇〇五~一三年の今も、日本は七十 年前の大東亜戦争をやっているのだ。帝国陸軍・帝国海軍の対英米戦争を、もっと大声でフレー/フレーと応援したらどうだ!」と檄を飛ばしている狂書、それ が“世紀の有害図書”『GHQ焚書図書開封』である。
紙幅が足りなくなったので、『GHQ焚書図書開封』全七巻の具体的な解剖は、次回に省察する。ここでは、これらがなぜ、『GHQ焚書図書開封』が、反学問で反歴史の有害図書なのかを、少し説明しておきたい。
大衆への教宣本を分別せず読む西尾型の雑想では、歴史は全くの暗闇のまま
大東亜戦争の真相に迫るには、陸海軍を含めた時の政府の意志決定を詳査して正確に再現する作業をすることであり、当然、最低限、内閣/外務省/陸軍省/海軍省の部内資料を渉猟するほかない。だが、驚くことに、西尾幹二は、これら政府部内資料の引用が全くのゼロ。
つまり、西尾は、大東亜戦争を意志決定していった政府の、その史料を一点として読んでいない。西尾幹二とは、歴史に関して“超ズブの素人”であるだけでなく、自分なりに歴史を明らかにしようとする最小限の意思もない。
次 に、渉猟すべきは、これらの政府の意志決定に少なからず影響を与えた、当時の三大メディア媒体の『朝日新聞』『中央公論』『改造』は、一九三二年以降、手 抜きすることなく読破され研究しつくされねばならない。大東亜戦争を決定し推進した、当時の日本の政治家・官僚・軍人は、これら三大紙・誌を欠かさず読ん でいた。
だが、『GHQ焚書図書開封』がとりあげている、一般庶民を洗脳・煽動するための大衆駄本などは、日本国の戦争決定を左右するものではな い。それらは、国益に反する「反日」戦争だった大東亜戦争の政府・軍部の決定に対して、良識ある国民が批判や非難をする思考を麻痺させるプロパガンダ本が 過半である。
つまり西尾幹二は、政府の戦争決定の影響を与えた書籍と戦争遂行への批判封じ込めの洗脳書籍との峻別作業をいっさいしない。そのような学問的な発想が、学者ではない“売文業者”で大衆煽動家の西尾幹二には、欠けて存在しないからだ。
学 問は、方法論で、その成否が決まる。歴史学は、体系的・分類的な史料分析が生命である。私事を明かすのは趣味ではないが、大東亜戦争の考察・分析にあたっ て、徹底的に研究したのは、(対英米戦争を御前会議で最初に決定した総理)近衛文麿の側近であった尾崎秀実の検事・予審判事の尋問調書であった。これを踏 まえて、尾崎秀実の発表した雑誌論考をすべて読破して、この訊問調書との比較検討をおこなった。ついで、尾崎以外の近衛周辺のかなりの数の知識人(学者・ ジャーナリスト)の著作を雑誌論文はもとより(経済学を含めた)学術書にいたるまで、広く深く渉猟した。
これらの作業を通じて、当時の言語「東亜 秩序」とか「大東亜共栄圏」とかの正確な意味を把握した。言葉の意味は、時代、時代で大きく変遷する。だから、大東亜戦争前夜の一九三二~四一年の時代を 理解するには、自分の頭を“一九三二~四一年の日本人”に改造するしかない、と考えた。むろん、大衆の日本人ではなく、総理官邸のエリート政治家の頭への 転換、陸軍・海軍の中枢で政策を立案するエリート軍人の頭への転換である。後者のためには、『戦史叢書』全百巻を丸暗記しておくぐらいは最低条件である。
ところが『GHQ焚書図書開封』の西尾幹二ときたら、大東亜戦争の意志決定過程について何ら関心がない。当時の国際政治や国際情勢がどうあったかについても関心がない。日本を地獄へと導いた日ソ中立条約や日独伊三国同盟への批判はおろか言及そのものがない。
この事実は、ソ連(ロシア)やドイツが日本の国防や国益とどう関係していたかなど不在だったとする虚構が、西尾幹二の前提になっているのを示す。すなわち、西尾幹二は、初めから嘘歴史を捏造することを企図し、その手段として『GHQ焚書図書開封』を書いたのである。
つまり、『GHQ焚書図書開封』は、西尾が表向きにいう「一九二八~四五年の、日本人の歴史再発見」のためではない。意識して「一九二八~四五年の歴史を日本人から剥奪・抹殺するための偽情報・洗脳工作本」として、“ニーチェ的狂気の人”西尾はそれを書いた。
GHQの「市販本禁止」などより数千倍も数万倍も過激また濃密に、日本人を歴史の真実から隔離・監禁し、日本人から正しい歴史知見を剥奪するためである。西尾幹二著『GHQ焚書図書開封』は、日本人にとって最凶の危険本である。
注
第一節
1、西尾幹二責任編集『新しい歴史教科書』、扶桑社、二八六頁、二〇〇頁。
2、 ルーズヴェルトの署名には米国大統領という「肩書き」がない。また「米国政府を代表して」の語句もない。また、発表されず、秘密だった、副大統領トルーマ ンすら一九四五年四月下旬、ルーズベルトの死去に伴い大統領に昇格し、ルーズヴェルトの個人金庫を開け初めて知った。卒倒するほどの衝撃を受けたという。
3、ステチニアス/モロトフ/イーデンの米英ソの三外相が、その公的立場で署名した協定。調印後、公表。
4、藤村信『ヤルター戦後史の起点』、岩波書店、一八二~四頁。
5、 支那艦隊の後継である英国の極東艦隊(東洋艦隊)は、一九七一年十月三十一日、母港のシンガポールを去り、その歴史に幕を閉じた。私(中川)は、このと き、日本政府がこの式典に特使を派遣しなかったこと、(東京か対馬かでの)英国極東艦隊への感謝と惜別の式典を日本政府が主催しなかったことに、英国への 非礼を怒るとともに、自国国防を忘失した日本の病のひどさに愕然とした。「日本は、滅ぶ」、と。
6、日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識し て対抗したわけのではないが、胃腸薬「(忠勇)征露丸」が発売され、当時もその後も、「これでやっとウラジヲストック(日本征服)とバランスした」と日本 人は喜んだ。一九四六年に敗戦で、この薬品メーカーは、「正露丸」に商標名を変更した。が、「正しいロシア」など存在しない。「正露丸」の商標はやめても らいたい。
7、アルゼンチンがイタリアに発注し完成したばかりの二隻の新鋭軍艦「日進」「春日」を日本に斡旋したのは英国だった。しかも、回航に あたってロシア海軍に撃沈されないよう、両艦とも艦長を英国海軍大佐にし、かつ英国海軍の一万四千㌧の当時世界トップの巨大な装甲巡洋艦をセイロン島のコ ロンボまで護衛した。事実上、英国海軍による日本への回航だった。また、ロシアがチリから購入しようとした軍艦二隻は、英国が急いで高額で落札して、ロシ アに売却されるのを寸前に防いだ。
そればかりか、戦争遂行の財政力がない日本は、日露戦争の戦費の四割を英米二ヶ国での外債によってまかなったが、このとき英国国王はイギリスの資産家を国王晩餐会に招待しては、日本公債の購入を勧誘する営業マンに徹したのである。
8、『日本外交史』第三巻、鹿島研究所出版会、二四九~五〇頁。
9、西鶴定嘉『樺太史の栞』、樺太庁「樺太叢書」第六巻、二四~八頁。
10、秋月俊幸『日ロ関係とサハリン島』、筑摩書房、一七三~八一頁。全国樺太連盟『樺太沿革・行政史』、一四二~五六頁。
第二節
1、文部省社会教育局『没収指定図書総目録』、今日の話題社、六頁。
2、西尾幹二「知られざるGHQの焚書と現代の焚書」『正論』、二〇〇五年九月号、引用頁は本文。
第三節
1、西尾幹二『GHQ焚書図書開封1』、徳間書店、二〇〇八年、頁数は本文。
(つづく)
正誤表
△ 民族の魂を世代を超えて紡いでいくものである
○ 民族の魂を、世代を超えて紡いでいくものである
△ さらに日本人の人格から倫理道徳も剥奪したいと、
○ さらに日本人の人格から倫理道徳も剥奪したいとの、
× 「このような対日戦争の擬制の一部をソ連に負担させる代償として
○ 「このような対日戦争の犠牲の一部をソ連に負担させる代償として
× 太平洋憲章の領土不拡大方針に違反して
○ 大西洋憲章の領土不拡大方針に違反して
△ ルーズベルト
○ ルーズヴェルト
注:他行の表記に統一した
× その時期を米国の方が「ドイツ降伏後三ヶ月以内」としたり、
△ その時期を米国の方が「ドイツ降伏後三ヶ月以内」とした、としたり、
× 米国の方が「南樺太やクリル諸島の割譲」を提案したなどは、
△ 米国の方が「南樺太やクリル諸島の割譲」を提案したなどというのは、
× 「米国は太平洋憲章に違反」に至っては、
○ 「米国は大西洋憲章に違反」に至っては、
× デッチアゲル
○ デッチアゲる
△ 日本の固有の領土である樺太をロシアの言いなりに下田条約を締結したばかりに、樺太はロシアに半分貢納された。
○ ロシアの言いなりに下田条約を締結したばかりに、日本の固有の領土である樺太はロシアに半分貢納された。
注:文意を損なわない程度に文を整えた
△ 米国が初めて太平洋に海軍基地をハワイ(パール・ハーバー)に造ったのが一九一九年。
○ 米国が初めて、太平洋のハワイ(パール・ハーバー)に海軍基地を造ったのが一九一九年。
注:文意を損なわない程度に文を整えた
△ それより五十年も昔の一八七〇年とはアメリカが、マゼラン海峡の向こう側の国で"非太平洋国家"だった時代。
○ それより五十年も昔の一八七〇年とは、アメリカがマゼラン海峡の向こう側の国で"非太平洋国家"だった時代。
注:文意を損なわない程度に文を整えた
× その自体、
○ それ自体、
△ 同情されるべき被害者(日本人)とを差別ができず、
○ 同情されるべき被害者(日本人)とを差別できず、
注:または「同情されるべき被害者(日本人)とを差別することができず、」
× 主因とを少し触れて
おこう。樺太に渡航した日本人の最初は、
○ 主因とを少し触れておこう。
樺太に渡航した日本人の最初は、
注:改行ミス。「樺太に渡航した日本人の最初は、」は文頭となる。
△ 工藤平助『赤蝦夷(=ロシア)風説考』(一七八三年刊)
○ 工藤平助『赤蝦夷風説考』(一七八三年刊、「赤蝦夷」とはロシアのこと)
△ 松前平角ほか『蝦夷唐太(=樺太)島之記』(1791年刊)
○ 松前平角ほか『蝦夷唐太島之記』(1791年刊、「蝦夷唐太」とは樺太のこと)
× クシュンコタン駐兵監察になった
(一八〇八年)、
○ クシュンコタン駐兵監察になった(一八〇八年)、
注:改行ミス
× さて、話を川路聖謨が締結した(不平等どころではない)"反日の極み"下田条約によって、
○ さて、川路聖謨が締結した(不平等どころではない)"反日の極み"下田条約によって、
注:「話を」を削除
× さらには日本側が被護的に統治していたから、
○ さらには日本側が庇護的に統治していたから、
注:“消極的な”統治、の意味に解した
× これらロシア側の暴力に対して小競り合い対抗を、
○ これらロシア側の暴力に対しての小競り合い対抗を、
注:または、
○ これらロシア側の暴力に対する小競り合い対抗を、
× 日本は"ロシアの属国です"を合意しに行ったも同然
○ 日本は"ロシアの属国です"と合意しに行ったも同然
× いや、それらをそのまましてただ
○ いや、それらをそのままにしてただ
× 対ソ叩頭外交を肇とする戦後日本と酷似して
○ 対ソ叩頭外交をはじめとする戦後日本と酷似して
× 『GHQ焚書』を七巻も出したことにおいて
○ 『GHQ焚書図書開封』シリーズを八巻も出したことにおいて
注:『GHQ焚書図書開封8』(徳間書店、2013年)
× まず、本のタイトル『GHQ焚書』からして、
○ まず、本のタイトルの“GHQ焚書”からして、
注:記事後半では、タイトルが正しく『GHQ焚書図書開封』となっている
× 非学問の低級な嘘宣伝本七冊が
○ 非学問の低級な嘘宣伝本八冊が
注:上掲の注を参照のこと
△ 西尾のような跳びぬけて愚劣
○ 西尾のように跳びぬけて愚劣
× 所狭しと並んでいるのを知らない、西尾が典型的な超劣等生であることがかくも鮮やかに照明されて、
○ 所狭しと並んでいるのを知らない西尾が、典型的な超劣等生であることがかくも鮮やかに照明されて、
注:「照明されて」は「証明されて」のあやまりか
△ 心にもない真っ赤な嘘なのを暴露する
○ 心にもない真赤な嘘なのを暴露する
注:「真っ赤」はあやまりではないが、他行の用例に統一した
× それらの本を、識別・判別するのができない。
○ それらの本を、識別・判別することができない。
× おそらく五冊づつほどが
○ おそらく五冊ずつほどが
× この十七年間ぶんの本は、
○ この十七年間分の本は、
注:変換ミスか
× さて、西尾幹二の七冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズ
○ さて、西尾幹二の八冊にもなる『GHQ焚書図書開封』シリーズ
× 『GHQ焚書図書開封』全七巻の具体的な解剖は
○ 『GHQ焚書図書開封』全八巻の具体的な解剖は
注
× 日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識して対抗したわけのではないが、
○ 日露戦争の直前(一九〇二年)、これを意識して対抗したわけではないが、
追記:
一部、正誤表というよりは校正/修正に該当する記載がございます。非礼の段、平にご容赦くださいますとさいわいです。
by 「中川八洋文献目録」管理人
[11]
正誤表のうち、一か所訂正いたします。
△ 松前平角ほか『蝦夷唐太(=樺太)島之記』(1791年刊)
○ 松前平角ほか『蝦夷唐太島之記』(1791年刊、「唐太」は樺太のこと)
「蝦夷唐太島」は「蝦夷」(北海道)と「唐太島」(樺太島)のことであり、「蝦夷唐太」を「樺太」とした正誤表の記載は誤りでした。おわびして訂正いたします。
by 「中川八洋文献目録」管理人
2014-01-31
※ 出典
中川八洋掲示板 @中川八洋
http://yatsuhironakagawa.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
※追記20140406
上記の
中川八洋掲示板 @中川八洋 は以下の「はてなブログ」に移行されたそうです。
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/
コメント
「立法権」は、国会に、「司法権」は、裁判所に与えられていて、憲法学者に与えられていない、という基本がわからない。日本国憲法の成り立ちを調べたら、GHQの草案を、衆議院の帝国憲法改正小委員会で修正したのであるが、その委員長が芦田均さんだった。そして、将来の日本人のことを真剣に考えて、9条を修正された。芦田さんは、「立法府」の人なので、授権規範として「修正をする権限」が与えられている。その芦田さんが1957年内閣の憲法調査会でその修正の意図を述べられたのだから、1959年の砂川事件が起こった頃、自衛権は合憲なのだから、集団的自衛権が違憲である、などという認識が政治家にも裁判官にも起こりようがない。
それを、日本国憲法9条を、普通に読んで、文法的に見て、そのような意味に解釈できないから、という理由をつけて、その人を中傷のネタにし、その解釈をなかったようにするというのは、砂川判決の最高裁判所の裁判官の憲法解釈、をなかったようにするのと同じ手法である。いくら「信条の自由」、といっても、人間として、不誠実すぎるのではないのだろうか?
http://ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/073002.pdf
https://news.yahoo.co.jp/byline/minaminoshigeru/20140304-00033189/
「いわゆる集団的自衛権というものの本体として考えられている締結国や特別に密接な関係にある国が武力攻撃をされた場合に、その国まで出かけて行ってその国を防衛するという意味における集団的自衛権 は、日本の憲法上は持っていないと考えている」(岸信介首相の発言。第 34 回国会参議院予算委員会会議録第23号 昭和35年3月31日 p24)
「外国の領土に、外国を援助するために武力行使を行うということの点だけに絞って集団的自衛権が憲法上認められるかどうかということを言えば、それは今の日本の憲法に認められている自衛権の範囲には入らない」(林修三内閣法制局長官の発言。第31回国会参議院予算委員会会議録第11号 昭和34年3 月16日 p27)」
沖縄の返還は、1972年5月15日、返還されれば、沖縄は日本の施政下におかれるわけで、そこから類推すると、集団的自衛権という概念は、学生運動をしている人々、野党(日本社会党や日本共産党)の人々の頭の中では、日米安保を結んでいることもあり、米国の軍用機が沖縄の基地から飛び立って、ベトナムの無辜の人々の命を奪う、ということと同義語、であったのではないでしょうか?
学生運動華やかなりし頃、第二の樺美智子さんを出さないため、無用な社会的混乱を避けるために、政治的に、集団的自衛権は違憲だから、そのようなことを日本政府はできない、という方便に政府が使ったように、私には感じられる。
また、何でも個別自衛権で、そう都合よく自然な解釈ができるとは限らない。いい加減に「安全保障はわかりません」と白状すればよいのにひたすら粘る。日本の憲法学者が、安全保障の専門家でもないのに集団的自衛権など概念をこねくりまわすのが問題。よく比較されるドイツの憲法判断所などと違う。
日本とドイツの違いは、ドイツは戦前のマスコミが占領軍により完全に排除されたが、日本の場合はGHQに命乞いして(戦争を煽った)戦前マスコミが生き残ったこと。(戦前の反動で)戦後いっきに左傾化した無能なマスコミが、教条的な憲法学者を後押しした。
この連中は政治的に政権をとるほどの支持勢力を得られなかったので、メディアや教育を駆使して憲法改正阻止に必要なだけの「抵抗勢力」を維持することに専念した。となれば、現実に政権を担う自民党や官僚は(彼らをおとなしくするために)ギリギリのラインの解釈改憲で(憲法との整合性を保っているかのように)「演出」するしかなかった。この化かしあいの歴史は茶番であるし混迷を極めている。
ベトナム戦争で犠牲者となった人民に対して左翼はさかんに同情や憐憫を煽っていますが、現代のベトナムも社会主義国家でマスコミなど統制されていて、インターネットの自由度なども最低クラスですが、なぜか現代の日本のマスコミはこれを何とかしようとなどしない。結局、自分たちの主張に利用できるからベトナム人の悲劇を徹底的にクローズアップしただけで、本当の目的は左翼の生き残りと延命です。だから中国で人民が大量粛清されても左翼は(日本で荒れ狂うように)中国へ抗議して助けようとしなかったんです。そのくせ日本政府をおとしめることができた慰安婦問題では怒涛のようなすさまじい報道合戦を繰り返して、報道内容もひどかった。
こういうのを80年代以降の青年のころに徹底的に目にしてきたから、今でも個人的には総体的に左翼を蛇笏のように忌み嫌っています。本当に最悪です。日本の大学ランキングが国力に比して異様に低いのも、頭のおかしい左翼が教育機関に巣食っているからでしょう。
「専門外の人」を、どうせわかるまい、とか、わかっていないとか遠ざけておき、専門家の立場を悪用し誤った認識を流布しようとしているようにも思われ、非常に腹が立ちました。
https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/6827.html
http://www.waseda.jp/law-school/jp/about/faculty/profile/hasebe.html
立法の権限のあり、国民の代表者という自覚のある、法律家なら、まっとうに読解し、憲法学者より真剣に考えられるだろうし、また、まともな政党なら、そうでない人を国政のその地位につけない。
同じことが芦田修正、と揶揄されている芦田均さんにも言えるのであって、芦田さんは日本の政治を憂いて、外交官から衆議院議員に転身した方である。美濃部さんの地位改善に奔走した方でもある。彼の新憲法解釈は、当時の国際情勢、日本の情勢、外国の憲法の特色を的確にとらえられているし、日本政府がなぜ、戦争をとめられなかったのか、どうして、この日本国憲法の条文がこうなったのか、の説明に納得できる。それをまったく知らせず、揶揄の対象にし、誤った認識を流布させる不誠実な憲法学者、マスコミに本当に腹が立つ。
当方は現在62歳になる法律学の門外漢で、憲法については学生時代に宮澤俊義の憲法概説を通読した程度ですが、いわゆる主流派憲法学者の九条解釈には長年違和感を禁じえませんでした。研究室や講壇の中にとどまっている限り他愛もないと敬して遠ざけていましたが、彼らの近視眼の安全保障論議が、政治家や国会論議に陰に陽に無視できない影響を与えていたことは、望ましい安全保障政策の検討上の障害になっていたことは否めません。政策論が憲法の解釈論、つまり法律論にすり替わって先に進まない窮状(九条)は、以前から心ある識者の指摘してやまない政治的貧困そのものです。メディアやジャーナリズムの責任も大きく、国民の正当な関心や議論をミスリードするばかり。救いようのない思考停止状態です。井上達夫さんの怒りはもっともです。田中美知太郎などは早くからそう指摘していました。全面講和か片面講和かで憲法学者や知識人が、今日からみて真摯だけれどナイーヴな議論をしていた時代です。
篠田さんの問題提起、東京大学法学部系の憲法学(影響力の大きさを考えると「東大学派」でしょうか。東北大出身の樋口陽一氏も影響圏内です)への異議申し立てという「正気の議論」の勧めは、安全保障論議のガラパゴスという蚊帳の外に取り残された良識ある一般の国民に覚醒を迫る問いかけとして、まさに現在進行形の慶事への予兆なのかもしれません。どうか、一層のご奮闘を。
全面講和か単独講和か、の日本の知識人たちがナイーブな議論をしていた時代、世界の現実は、本当は深刻だったのではないのだろうか?1949年6月ソ連によるベルリン封鎖が起こり、1950年6月中国、ソ連に支援された北朝鮮による朝鮮戦争が始まった。その為に、西ドイツのアデナウアー政権は、統一したら憲法にするという前提で「基本法」を作ってドイツ連邦共和国を成立させ、英仏米の同意を取り付けて、徴兵制を採用し、NATOという集団的自衛権で国を守る選択をされたし、日本の賢明な吉田茂首相は、1950年8月に警察予備隊を作り、1951年9月単独講和のサンフランシスコ講和条約と共に、自分個人の責任において、日米安全保障条約を締結されたのである。ほかに、国を守る、国民の安全を守るどんな方法があったのだろう。
本来、国際社会が「集団的自衛権」が必要であると確信した「ベルリン封鎖」と「朝鮮戦争」が、「東大学派」の印象操作によって、巧みに論点からはずされている。
ソクラテスは、ソフィストを嫌い、詭弁を嫌ったが、彼らのやっていることは、それそのものなのではないのだろうか?
その点、木村草太氏は表向きは抑制的なスタイルなだけましかもしれない。ただ、何とも空疎な立論だ。当方の専門の哲学もそうだが、議論のプロセスで論点を徹底に展開するため机上の、つまり法理論上のあらゆる可能性を追求するのは何ら問題ない。むしろ望ましい。しかし、自らの立論に都合の悪い事実、論点を避けてしまっては、空理空論にも届かない。一種の論点先取の詐欺だ。木村氏の主張する「軍事権のカテゴリカルな消去」は、自作自演の論点ずらしだ。憲法議論に限らず、もっと全体を見渡したバランスのよい議論に収斂させなくては説得力は生まれない。学者はそこでこそ本領を発揮すべきだ。
どうもわが国の憲法学は、条文解釈に際して過不足なくその含意を引き出すのではなく、想定しがたい、または自分に都合のよい論点を無理矢理持ち込んで立論の根拠とする傾向が強い。解釈改憲は邪道だが、学者による正当性に疑いのある歪んだ解釈より、現実に向き合っているだけ(九条の場合なら安全保障環境)ましかもしれない。政治家は学者が思うほど愚鈍ではない。ただ、専門家の議論に通暁していないだけだ。両者が妥当な法理論的合意を前提に議論する環境が全くないわが国の政治的貧困は深刻だ。
もしない。研究者の役割は、誤った原典解釈に基づく根拠なき空疎な議論を退ける乃至は抑止することだけだ。従って、何物にも囚われない徹底した哲学論議は何人にも開かれている。
宮澤俊義はかつて憲法の神様と呼ばれたが、だったら、その衣鉢を継ぐ多数派の憲法学者の皆さんは聖典である日本国憲法の訓古注釈に徹したらいい。訓古注釈も超一流になれば日本学士院賞ぐらいはもらえる立派なものだ。「法律家共同体のコンセンサス」の聖典化は無理だとしても。ただ、専門外の安全保障分野での学問の名を借りた素人論議には禁欲的であるべきだ。論議したいなら自分たちの占有物にしないことだ。安全保障は学問ではない。国民的合意形成を通じた高度の政治判断を求められる領域だからだ。安倍首相より憲法学者に任せるべき学問的根拠などない。
学問としての憲法学の権威は素人の政治運動に現をぬかすことでは生まれない。無論、一個人としての思想信条の自由や政治活動の自由はある。しかし、政治は学問ではありえず、学者としての優位性などない。提灯持ちのマスコミにチヤホヤされるだけだ。著書を売るのには役に立つだろうが・・・(本日5月21日の朝日新聞広告を見て)。