ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

小泉首相は英雄か

2005年10月01日 | 政治・経済
 

およそ英雄とか偉人と呼ばれる人は、彼と同じ時代を生きた人々の、民衆の求めているもの、欲しているものを、しかも、彼らが言葉に言い現せないものを、彼らに代わって言い表わし、また、それらを実行して実現すると言われる。

だとすれば、先の郵政総選挙で国民の圧倒的な支持を受けて自民党を勝利に導き、構造改革を進め、郵政民営化を実現しようとしている小泉首相は英雄なのではないだろうか。

小泉首相までの日本の内閣総理大臣は、率先して指導力を発揮しようとせず、官僚のお膳立てにのって、一部の階層や利益団体の利益を代弁するだけで、切実な民衆の声を、国民の声を聞き届ける耳を持たなかった。その一方で、野党も空念仏を唱えるばかりで、国民の付託にこたえようとする真摯さもなく、野党の地位に安住し、その無能力、無責任を恥じようともしなかった。

官僚や一部の族議員がその特権をほしいままにする中で、国民は高い道路通行料を支払わされ、今の世代だけでは到底払いきれない膨大な借金を子供たちに付け残すという国家財政の破綻を前にして、不幸な国民は、いったい誰に、どの指導者に自分たちの未来を託してよいのか途方に暮れていたのである。

そうした情況の中で小泉首相はそれまで誰も手をつけようとしなかった、「道路公団」や「郵政公社」の民営化という困難な課題に取り組もうとした。たしかに、これまでの首相職を担ってきた歴代の自民党の総裁の中では、誰一人、時代の声を聞き取る耳を持つものはいなかった。彼らに比べれば小泉首相は英雄としての要素を多く持っていると言える。

何ら為すすべを知らない、統治能力を失ったかのような政府や官僚たちに代わって、それまで永田町では変人と言われ、それまで権力の中枢を担ってきた田中角栄の派閥系統からは遠く位置して来た、群れない一匹狼のこの小泉首相に、自民党総裁選挙でようやく国民は希望を託そうとした。

 

しかし、小泉首相は党内の族議員や官僚たちの厚い壁に阻まれて、彼の構造改革路線は、道路公団や郵政公社の改革でも、妥協に妥協を重ねて来た。しかし、それでもなお、小泉首相の言ういわゆる「抵抗勢力」は、首相の妥協に満足せず、ついには、参議院で「民営化法案」を葬り去ることによって、ついには小泉首相の政権さえ潰しにかかったのである。

 

さすがにここに至って、小泉首相は「抵抗勢力」との妥協を断念せざるを得なかった。この点で、先の郵政総選挙は首相にとっては受身の選挙であった。もし、小泉首相の改革の意志が強固で、妥協を許さないものであったなら、国民の民意を問う総選挙は、もっと早い段階で行われ、自民党ももっと早く分裂せざるを得なかっただろう。

 

要するに私の言いたいのは、小泉首相が英雄としての資格を持つためには、もっと改革の意志が強固で、より妥協なきものでなければならなかったのではないかということである。

とはいえ、これまでの首相の中で、小泉首相ほどはっきりと国民の声を聴こうとした首相はいなかった。民主主義がたとえ一国の国是になったとしても、国民の意志を、民意を実現しようとする指導者が、英雄がいなければ、それは、建築されない家屋の青写真に過ぎない。英雄をもち得ない国民ほど不幸なものはない。小泉首相はそのことも明かにしたのではないだろうか。

いずれにせよ、小泉首相についての歴史的な評価については、もちろん私のような一個人の賢しらしい判断ではなく、後世と歴史そのものが行うだろうが。

 

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