ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

安部新政権についての印象

2006年10月02日 | 教育・文化

安部新政権が誕生して5日になる。安部首相の所信表明演説は私も聞いた。

安部首相は「美しい国」を目指すという。それにしても、なぜ「正義の国」を目指すと言わないのだろう。「美しい国」は、たしかに耳ざわりがよく日本国民の甘えにぴったりの、甘ったるいスローガンではある。砂糖の上に蜂蜜をたらすような気がする。それは腐りやすくある。中国やロシアの前に、こんな砂糖菓子のようなスローガンの所信で、国家国民は大丈夫なのかと不安になる。

それに対し、「正義の国」には、ほとんどの国民が後ろめたい。だが、国民は塩で清められてはじめて腐ることなく、国に活力も出る。「美しい国」ではなく、なぜ、「正義の国」のスローガンが指導者から出て来ないか。「正義の国」こそが美しいはずなのに。それは、現代日本の癒しがたい深刻な国民的な病理に由来するのではないかと思う。国民の中からも、誰もそれを主張するものがいない。

安部晋三氏の近著『美しい国、日本』はまだ読んではいない。先般ベストセラーになった藤原正彦氏の『国家の品格』などの影響はあるのだろう。

新首相の所信表明にはカタカナ語が多く、日本語の感度の鈍い人だと思った。それは、安部晋三首相本人のみならず、広報ブレーンなどを担当する世耕弘成氏など政治家ら、新世代の日本人が受けた戦後教育の帰結なのだろう。戦後世代に国家の品格について問う感性と能力があるか。小泉首相の恩師、故福田赳夫前首相などには、かって故安岡正篤氏のような陽明学者など優れた漢学者のブレーンがいて、演説の日本語の品格に心を配ったはずである。日本語の格調を自覚する伝統は風前のともし火である。

指導者が国家の品格と能力を規定する。小泉前首相の場合もそうだが、政治哲学の底が浅いという印象を受ける。聖書の知識をその真の深みにおいて了解することなく、日本国を品格ある国家にして国際政治の舞台に果たして乗り出せるのか、という感想を持つ。これは日本の政治家全体について感じることである。

 

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