このブログの記事の中には、いくつかの独自の見解が含まれていると思う。とくにヘーゲルの概念論については、マルクスや「唯物論者」たちなどによって浅薄に誤解された概念観を訂正して、ヘーゲル自身のありのままの概念観を把握しようとつとめた。私の知る限りでは、これまで日本の大学教授や哲学者の中にも、まだ誰も私の示したような概念観を展開した者はいないように思う。
もちろん、それもまだ極めて未熟で内容も不十分であることはわかっているけれども、根本においてはこれまで誰も示さなかった独自の新しい解釈を示しているとは思う。この「概念」についての研究の充実と深化は引き続きこれからの課題でもある。
政治理論の面でも、自由主義者の集結する自由党と民主主義の思想に生きようとする者の集結する民主党によって、理念実行実現型政治に転換することを主張しているのも独自の見解だと思う。自由党と民主党による政権交代可能な政党政治については誰もが着想しそうなことだが、それを明確に定式化して主張した者はいなかったのではないだろうか。考え方や原理は単純であるけれども、それを理念として自覚し実行してゆく意識と能力をもった政治家が出て来ないだけだ。また世界と日本の歴史的な方向としてはそれしかないと思う。
そして、自由と民主主義の理念を深化させながら、人類は少しずつ自己を解放してゆく歴史になるのだと思う。
19世紀、人々は共産主義革命に、未来の明るい生活の展望を見いだそうとした。しかし、人類の解放を目指したこの運動も一世紀も経たぬうちに完全に挫折する。その後をうけて、フランシス・フクヤマの『歴史の終焉』という本も出たが、人類の将来は、自由と民主主義を模索しながら、その方向に進んで行くと思われる。理念としての自由と民主主義の必然性の解明が課題である。とくに、民主主義の否定的な限界こそ明らかにする必要がある。民主主義をただに「信仰」することなく。「信仰」にはすべからく注意深くあらねばならない。