ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

明けましておめでとうございます(1)

2009年01月03日 | 日記・紀行

 

明けましておめでとうございます(1)

今年は当地では元旦は少し天気がぐずったりしたようですが、全体として晴れやかで美しい天気が続きました。富士山も三ヶ日、きれいに見えたようです。

静岡から京都に戻って来て残念に思うことの一つは、お富士さんのきれいな容姿を容易に眺めることができないことでしょうか。しかし通信技術の発達した今は、実物でないけれどライブでその姿は眺めることができるようになっています。

富士山ライブカメラ
http://www.fujigoko.tv/live/index.html

歌人の西行も生涯を旅に生きました。晩年になって東大寺料勧進のために東北地方に旅したときに、富士の山を見て次のような歌を詠んでいます。

                   あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山を見て

aa                 風になびく     富士の煙の     空にきえて
                           行方も知らぬ     我が思ひかな

この歌は、新潮社版の山家集にはありませんが、岩波文庫版には「覊旅歌」の中の和歌として載っています。藤原定家の編纂になる新古今集の中にもおさめられているらしいですが、手元にこの本がないのでわかりません。この歌からもわかるように西行にあっては旅そのものが仏道修行でした。この歌も「我が思ひ」をどのように解釈するかで、さまざまに詠みとることができるようです。たんに旅の叙情を歌ったものではなく、無常の歌とも恋の歌とも言われています。

昨年の秋に待賢門院璋子のゆかりのお寺の法金剛院を訪ねたり、また、桑子敏雄氏の著書『西行の風景』を読んだりして、西行についてもかなり理解も深まったと思います。この本は、まだ書評も書き上げていないのに、すでに図書館に返却してしまいました。

とにかく西行が日本の歴史のなかでも文化史的に大きな位置を占めている歌人だということはあらためてよくわかります。これまで山家集の西行しか知らなかったのですが、西行がとくに晩年にみずからの芸術の価値をよく自覚して残した「御裳濯河歌合」や「宮河歌合」などは、伊勢神宮に奉納もされたそうです。また、西行が和歌のなかで、月に仏教を、櫻に神道を象徴させているらしいことも、今になってはじめて知ったことです。

当時にあっても仏教は外来の思想、宗教であり、それが古来の神社信仰とは異質の、時には忌み嫌われる関係にあったこともあらためてわかりました。西行はこの矛盾する神社信仰と仏教の二者を、神仏冥合の思想によって、しかも和歌の世界でその統一を実現しようとしたようです。西行をはじめとするそうした試みは日本の先人たちの優れた思想的な営みだったと思います。

ところが、せっかくのこの優れた西行の頃からの伝統的な遺産も、明治期になると狂信的な「廃仏毀釈」運動によって破壊され、その生命を絶たれてしまったようです。明治維新や明治政府の指導者たちが、せめて西行などの神仏冥合の思想を正しく理解することができていれば、その後に昭和の時代の狂信的な国家神道もなく、太平洋戦争も避けることができたかもしれません。狂信的で破壊的で生ける命を殺してしまう悟性的思考の害悪を思うばかりです。たんに真言僧の歌人と思っていた西行が、神仏冥合の考え方のうえで文化史的にも大きな位置を占めていることを知りえたこともうれしい新しい発見でした。

さまざまな宗教の和解という問題は、たんにその昔に西行が仏教と日本の民族宗教である神社神道との関係で思想的に苦闘したばかりではなく、今もなおイスラム教とユダヤ教のあいだをめぐってイスラエルとパレスチナで殺戮の応酬が続いています。また、アフガニスタンやイラクでのアルカイダのテロ行為にもイスラム教とキリスト教との関係が背後にあります。

ヒンズー教と仏教の軋轢をめぐって、正月早々にセイロンでも戦闘が行われています。昨年の晩秋にインドのムンバイで起きた同時多発テロの背景にも、イスラム教とヒンズー教の軋轢があります。諸宗教の調和の問題は今世紀においても、引き続き人類の大きな問題であることに変わりはありません。このブログでもテーマにしてゆくつもりです。

 

 

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