まさおレポート

松下幸之助と座布団

松下幸之助が亡くなって19年経つことをテレビ番組で知った。昭和天皇が亡くなって5ヶ月後に松下幸之助氏も亡くなったということだから平成の年号がそのまま没後の年数になる。幸之助氏については直接お目にかかったことはないが仕事の関係でいくつかの断片的な思い出がある。

NTTデータに在職していた頃に松下電器産業と仕事をしたことがある。NTTが開発したデータ発注端末を全国の三万店以上あるパナショップに設置し電話線で即時に松下製品の発注ができるようにしようという試みであった。このときに松下電器産業という会社と様々な社員と接して感じたことがいくつかある。

当時パナショップと呼ばれる販売店が三万店もあるということに驚いた。日本国民4000人に一店のパナショップがあることになる。コンビニが40、000店郵便局数が2万強だからこの多さはすごいものだ。(現在は家電量販店に押されまくりで激減していることは間違いないだろうが。)パナショップ組織を作り上げた松下幸之助は各店の親父さんたちからは絶大な信頼と尊敬を受けていた。パナショップ店を大事にしていたからだろう。

現在は知らないが、当時は毎年京都国際会議場で全国のパナショップ店を招いて盛大な新製品発表会を数日にわたって開催していた。その発表会に私もかり出されて新発注端末の説明員を担当したことがある。京都市内のホテルに泊まり込んでの仕事であったが販売店の人々の熱気と新製品発表会の盛大さを目の当たりに感じた。今から20年前は、家電量販店が伸びてきてはいるがそれでもショップと均衡していた時代ではなかったか。販売店店主を市内のホテルに数日泊めて食事もレストランで食べ放題というもてなしであったように記憶している。

そんな関係もあって接している松下の幹部社員から松下幸之助氏のエピソードなどもおりおり聞くことがあった。記憶しているのは宴席の座布団の敷き方だ。接待の席でほんの少しでも座布団が完璧に位置に整っていないと烈火のごとく怒られるそうだ。こうした日常のしつけが全社員に浸透しているのはさすがと思った。こうした社風の育成は社長が数年で替わっているような会社では無理で創業者にしかできない。

当時すでに90歳を超え高齢のため松下記念病院で生活をされていたが仕事の報告は日々受けておられた。しかし話される内容は老齢のために聞き取りにくく専門に通訳する人がいたそうである。これは当時の私の部下が発注端末の説明に幸之助氏の病室まで伺う機会を得て、直接その場の状況を聞いて知った。この年になっても現場の第一線でなにが起きているかを知りたがる意欲に感心したが、さらに最前線の担当者から直接話を聞きたいというその姿勢もやはりただ者ではないとの思いを深くした。

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