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まさおレポート

村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」はAIを連想させる

作家は近未来の予言能力で評価されるのではないかと思える時がある。村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を三回目に読み直しているが、30数年前に読んだときにはまったく理解できず、8年前にもよく理解できなかった、不思議なことを書くもんだとばかりに雰囲気だけ味わい読み飛ばしていた箇所が、今読み返してみると現今のAIを先取りしているとしか思えない箇所に遭遇した。村上春樹の予言能力に驚くが「僕の能力ではなく、無意識が書いたことだ」との回答が返ってきそうだ。

インタビュー集「夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです」の文と合わせてみるとき一層創作の秘密と仕掛けをよみとることができる。創作の秘密といっても実は無意識であって、脳の奥深く隠れていて作家自身も解明不可能な核なのだという結論が抽出されるので、結局創作の秘密はどこを探しても見つからないのだが、少なくとも無意識というものだとは理解できる。

作家にとって書くことは、ちょうど、目覚めながら夢見るようなものです。それは、論理をいつも介入させられるとはかぎらない、法外な経験なんです。夢をみるために僕は毎朝目覚めるのです。僕は何かを決めて小説を書くわけではない。やってくるものをそのまま文章にするだけです。インタビュー集「夢をみるために毎朝僕は目覚めるのです」)

AIを先取りしているとしか思えない箇所は「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」の次の引用箇所だが、やってくるもののありかと正体を示しているではないか。(とはいっても結局は無意識という不可解がのこるのだが。)そしてAIの機械学習を思わせる核の存在を説明する文章に驚いた。

私のシャフリングのパスワードは〈世界の終り〉である。私は〈世界の終り〉というタイトルのきわめて個人的なドラマに基づいて、洗いだし《ブレイン・ウオッシュ》の済んだ数値をコンピューター計算用に並べかえるわけだ。もちろんドラマといってもそれはよくTVでやっているような種類のドラマとはまったく違う。もっとそれは混乱しているし、明確な筋もない。ただ便宜的に「ドラマ」と呼んでいるだけのことだ。

パスワードは現今のブロックチェーンで有名になったハッシュ関数を脳の核に埋め込まれたアルゴリズムに置き換えたような究極の暗号化を連想させる。無意識だから絶対的究極の暗号化になる。もし解読しようとするならば核を埋め込まれた人から核を抜き出す作業を行わなければならない。そしてそれを誰か他の人に埋め込む。しかし核はそれぞれ固有のもので他人に埋め込まれただけでは核は拒絶し作動しない(だろう)。

あるいは核をインプラントされた人を探し出し、強制的に暗号解読をさせるか。

しかしいずれにせよそれがどのような内容のものなのかは私にはまったく教えられてはいない。私にわかっているのはこの〈世界の終り〉というタイトルだけなのだ。
 このドラマを決定したのは『組織《システム》』の科学者連中だった。私が計算士になるためトレーニングを一年にわたってこなし、最終試験をパスしたあとで、彼らは私を二週間冷凍し、そのあいだに私の脳波の隅《すみ》から隅までを調べあげ、そこから私の意識の核ともいうべきものを抽出してそれを私のシャフリングのためのパス・ドラマと定め、そしてそれを今度は逆に私の脳の中にインプットしたのである。

この部分だが、AIの学習要素の抽出を連想させる。AIでは抽出された機械学習結果はアルゴリズムに組み込まれるが、まさにその様子を描いている。

私を二週間冷凍し云々はもちろん非現実的で文学的飛躍だが、これもシンギュラリティーの先の近い将来に、非人道的な手段としてあるいは使われると思わせるものがある。

彼らはそのタイトルは〈世界の終り〉で、それが君のシャフリングのためのパスワードなのだ、と教えてくれた。そんなわけで、私の意識は完全な二重構造になっている。つまり全体としてのカオスとしての意識がまず存在し、その中にちょうど梅干しのタネのように、そのカオスを要約した意識の核が存在しているわけなのだ。
 しかし彼らはその意識の核の内容を私に教えてはくれなかった。
「それを知ることは君には不必要なのだ」と彼らは私に説明してくれた。「何故なら無意識性ほど正確なものはこの世にないからだ。

ここで無意識の核はAIの学習要素の抽出結果と置き換えられるべきものとして対比している。AIの学習要素の抽出結果は実は論理で追求したものではない、ただただビッグデータをパターンとして追求したものだからまさにAIにとっても無意識の核なのだと連想が進む。

我々が一般に意識の変革と呼称しているものは、脳全体の働きからすればとるにたらない表層的な誤差にすぎない。だからこの〈世界の終り〉という君の意識の核《コア》は、君が息をひきとるまで変ることなく正確に君の意識の核《コア》として機能するのだ。ここまではわかるね?」

自身の学習や経験はそれなりに重要だが無意識の核のもとに動き出してこそ真の意味をもつもので、自身の学習や経験は脳全体の働きからすればとるにたらない表層的な誤差にすぎない、無意識の核で意味を与えられてこそ真の意味を表すと考えているのだろう。

「わかります」と私は言った。
「あらゆる種類の理論・分析は、いわば短かい針先で西瓜を分割しようとしているようなものだ。彼らは皮にしるしをつけることはできるが、果肉にまでは永遠に到達することはできない。だからこそ我々は皮と果肉とをはっきりと分離しておく必要があるのだ。もっとも世間には皮ばかりかじって喜んでいるような変った手合もいるがね」
「要するに」と彼らはつづけた。「我々は君のパス・ドラマを永遠に君自身の意識の表層的な揺り動かしから保護しておかなくてはならんのだ。もし我々が君に〈世界の終り〉とはこうこうこういうものだと内容を教えてしまったとする。つまり西瓜の皮をむいてやるようなものだな。そうすると君は間違いなくそれをいじりまわして改変してしまうだろう。ここはこうした方が良いとか、ここにこれをつけ加えようとしたりするんだ。そしてそんなことをしてしまえば、そのパス・ドラマとしての普遍性はあっという間に消滅して、シャフリングが成立しなくなってしまう」
「だから我々は君の西瓜にぶ厚い皮を与えたわけだ」とべつの一人が言った。「君はそれをコールして呼びだすことができる。なぜならそれは要するに君自身であるわけだからな。しかし君はそれを知ることはできない。すべてはカオスの海の中で行われる。つまり君は手ぶらでカオスの海に潜り、手ぶらでそこから出てくるわけだ。私の言っていることはわかるかな?」
「わかると思います」と私は言った。

無意識が世界の終わりというのはそうとう怖い話で、作家村上の無意識のキーワードが世界の終わりなのかもしれない。

「もうひとつの問題はこういうことだ」と彼らは言った。「人は自らの意識の核を明確に知るべきだろうか?」
「わかりません」と私は答えた。
「我々にもわからない」と彼らは言った。「これはいわば科学を超えた問題だな。ロス・アラモスで原爆を開発した科学者たちがぶちあたったのと同種の問題だ
「たぶんロス・アラモスよりはもっと重大な問題だな」と一人が言った。「経験的に言って、そう結論せざるを得ないんだ。そんなわけで、これはある意味ではきわめて危険な実験であるとも言える」
「実験?」と私は言った。
「実験」と彼らは言った。「それ以上のことを君に教えるわけにはいかないんだ。申しわけないが」

「人は自らの意識の核を明確に知るべきだろうか?」が何故ロス・アラモスで原爆を開発した科学者たちがぶちあたったのと同種の問題だ」となるのか、おそらくパンドラの箱を開けるかいなかは誰にもわからないということなのだろう。

作家がこの長大な物語を作り上げたAIの知識はごくわずかな暗号理論と脳科学とコンピュータの知識がベースであることに驚かされる。この当時にAIはあるにはあったが現在のように機械学習といった概念はなかった。

村上春樹は小説を書くために特段猛烈な勉強をしているわけではないのだ、それがこの作品の中から上記の知識に関するものを抜き出した以下の引用でわかる。以下の引用はこの作品のなかに散りばめられた科学風の知識の開陳部分だがこの程度のものでこの長大な作品の科学風の骨組みを作っているのだ、作家がわずかばかりの知識でここまで膨らますことのできることに改めて驚いている。


案の定それは長い仕事になった。数値の配列自体は比較的単純なものだったが、ケース設定の段階数が多かったので、計算は見かけよりずっと手間どった。私は与えられた数値を右側の脳に入れ、まったくべつの記号に転換してから左側の脳に移し、左側の脳に移したものを最初とはまったく違った数字としてとりだし、それをタイプ用紙にうちつけていくわけである。これが洗いだし《ブレイン・ウオッシュ》だ。

ごく簡単に言えばそういうことになる。転換のコードは計算士によってそれぞれに違う。このコードが乱数表とまったく異っている点はその図形性にある。つまり右脳と左脳(これはもちろん便宜的な区分だ。決して本当に左右にわかれているわけではない)の割れ方にキイが隠されている。図にするとこういうことになる。

要するにこのギザギザの面をぴたりとあわせないことには、でてきた数値をもとに戻すことは不可能である。しかし記号士たちはコンピューターから盗んだ数値に仮設ブリッジをかけて解読しようとする。つまり数値を分析してホログラフにそのギザギザを再現するわけだ。

ギザギザの面をぴたりとあわせないことには、でてきた数値をもとに戻すことは不可能であるという点に幼稚性を見ることができるが、それは作品の価値をさげるものではない。

彼らがマフィアと違う点は情報しかとり扱わないという点にある。情報はきれいだし、金になる。彼らは狙いをつけたコンピューターを確実にモニターし、その情報をかすめとる。

このドラマを決定したのは『組織《システム》』の科学者連中だった。私が計算士になるためトレーニングを一年にわたってこなし、最終試験をパスしたあとで、彼らは私を二週間冷凍し、そのあいだに私の脳波の隅《すみ》から隅までを調べあげ、そこから私の意識の核ともいうべきものを抽出してそれを私のシャフリングのためのパス・ドラマと定め、そしてそれを今度は逆に私の脳の中にインプットしたのである。彼らはそのタイトルは〈世界の終り〉で、それが君のシャフリングのためのパスワードなのだ、と教えてくれた。

無意識性ほど正確なものはこの世にないからだ。

「人は自らの意識の核を明確に知るべきだろうか?」
「わかりません」と私は答えた。
「我々にもわからない」と彼らは言った。「これはいわば科学を超えた問題だな。ロス・アラモスで原爆を開発した科学者たちがぶちあたったのと同種の問題だ」
「たぶんロス・アラモスよりはもっと重大な問題だな」と一人が言った。「経験的に言って、そう結論せざるを得ないんだ。そんなわけで、これはある意味ではきわめて危険な実験であるとも言える」

「シャフリング・システムは新しい世界に通じる扉だって言ってたわ。それはそもそもはコンピューターにインプットするデータを組みかえるための補足的な手段として開発されたものだけど、使いようによってはそれは世界の組みたてそのものを変えてしまうだけのパワーを身につけることができるようになるかもしれないって。ちょうど原子物理学が核爆弾を産みだしたようにね」
「つまり、シャフリング・システムが新しい世界への扉で、僕がそのキイになるってわけかな?」
「綜合すれば、そういう風になるんじゃないかしら」

新たな暗号化技術、つまり個々に属人的に付与される究極の暗号化技術となり、ハッキングが絶対的にできない技術となることを暗示しているようだ。もちろん村上春樹は無意識にこのことを書いており、最新の暗号化技術やブロックチェーンの重要要素を知っているわけではなかろう。


「百科事典棒というのはどこかの科学者が考えついた理論の遊びです。百科事典を楊枝一本に刻みこめるという説のことですな。どうするかわかりますか?」

「簡単です。情報を、つまり百科事典の文章をですな、全部数字に置きかえます。ひとつひとつの文字を二|桁《けた》の数字にするんです。Aは01、Bは02、という具合です。00はブランク、同じように句点や読点も数字化します。そしてそれを並べたいちばん前に小数点を置きます。するととてつもなく長い小数点以下の数字が並びます。0・1732000631……という具合ですな。次にその数字にぴたり相応した楊枝のポイントに刻みめを入れる。つまり0・50000……に相応する部分は楊枝のちょうどまん中、0・3333……なら前から三分の一のポイントです。意味はおわかりになりますな?」

時間とは楊枝の長さのことです。中に詰められた情報量は楊枝の長さとは関係ありません。それはいくらでも長くできます。永遠に近づけることもできます。循環数字にすれば、それこそ永遠につづきます。終らないのです。わかりますか? 問題はソフトウェアにあるのです。ハードウェアには何の関係もありません。

そして私は発見した。人間は時間を拡大して不死に至るのではなく、時間を分解して不死に至るのだということをですよ」

これは最先端の半導体技術を連想させる。回路線幅が5ナノ(ナノは10億分の1)メートルの半導体を製品化することが可能になった。しかしこの百科事典棒のようにいくらでも線を補足できることは不可能で、原子レベルの加工技術が可能でもやはり原子レベルで理論的限界を迎える。だから理論の遊びだと言っているのだろう。

しかし老博士は時間を分解して不死に至るのだということを発見したと述べる。頭の回転を倍、倍と上げていけば時間は相対的に伸びる。しかしこれとてやはりシナプスの伝達速度を超えることはできないのだから遊びの範囲を出ない。

厳密な意味では破綻をきたすことも作品の中では十分に読者に示唆を与えるという重要な役割を担うことがわかる。これでいいのだ。


僕の場合は簡単に説明すれば情報戦争にまきこまれちまっているんだ。要するにコンピューターが自我を持ちはじめるまでのつなぎさ。まにあわせなんだ」

 

村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と唯識

村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と価値の序列

村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」とぺシミズム

 

今日の笑い 「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹より

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