いまから20数年も前の事、甲南大学のS先生とNTT接続問題を打ち合わせをするために赴いた神戸のビジネスホテルのベッドで、朝の5時に目が覚める。夢うつつの中にどこからともなくオペラのアリアを歌うテノールが聴こえてくる。夢かと一瞬思ったがしっかり現実だった。声が徐々に近づいてきて遠ざかっていく様子からこの歌声の主は朝の散歩途中に気分の赴くままに歌っているらしい。あるいはどこかで明け方まで飲んでいての帰りかもしれない。
歌声は5分ほど続いた。今思い出してみても声の質と言い、音量と言い、音程の確かさといいプロのレベルにあると思った。このような経験はそう度々あるものではない、現に一回きりの出来事であり、それ以前もそれ以降もない。可能性を考えてみた。外国のオペラ公演が神戸であり、出場中の歌手が朝の散歩に出かけて練習に一曲歌って見せたのだろうか、あるいはどこかで夜明けまで飲み明かしての帰りか、女のところからの朝帰りか、しかしとても鼻歌で軽く歌うようなレベルではない、しっかりと歌いこんでいることがまだ寝ぼけている頭にもしっかりとわかった。それにしても不思議な体験だった。