まさおレポート

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カンボジア紀行 3 トレンサップ湖

2024-10-09 | 紀行 シンガポール・マレーシア・カンボジア・タイ・ベトナム・中国・韓国

トレンサップ

トンレサップ湖は、東南アジア最大の淡水湖であり、カンボジアの生活と文化において重要な役割を果たしている。乾季には、その広大な面積はおよそ2,500平方キロメートルにまで縮小し、琵琶湖の約4倍の大きさになるが、雨季にはメコン川の逆流によって面積が約6倍に膨らみ、16,000平方キロメートルに達する。この大規模な水の循環は、湖周辺の人々の生活を支え、豊かな魚介資源や農業用水としての恩恵をもたらしている。

2006年4月に訪れたときは乾季であったため、湖の水位はかなり低くなっていた。この時期、湖の周囲は乾燥した土地が広がり、水が減ったことで湖畔の草地や泥が露出していた。水は茶色く濁り、乾燥期特有の風景が広がっている。写真に映る水鳥たちが集まる浅瀬は、まさに乾季の特徴を映し出している。おびただしい数のアヒルや鴨が水辺に集まり、彼らが群れを成して移動する様子は、生命力あふれる光景である。

湖面は比較的穏やかで、鳥たちはゆったりと泳ぎながら餌を探しているようだ。乾季特有の砂地が湖の周辺に広がり、草木はところどころ緑を保ちながらも、その多くは乾燥の影響を受けている。背後に見える草木も、乾燥した土地の一部に根を張り、雨季の到来を待っているかのように佇んでいる。

トンレサップ湖の乾季は、湖自体の収縮によって水位が大きく変化するが、この時期でも湖の周辺は生物で溢れている。写真から見て取れるように、湖の浅瀬に群れる水鳥たちは、乾燥した大地と豊かな水源の間でその日常を送り続けている。

トンレサップ湖は、東南アジア最大の湖として、非常に豊かな生態系を誇る。その独特の水位の変動は、多種多様な淡水魚にとって理想的な生息地を提供しており、ここには600種類以上の魚が生息している。中でもメコンオオナマズは、最大で体重が100kgを超える巨大な魚として有名だ。

写真に映る水上集落は、トンレサップ湖に住む人々の日常の一コマ。船が生活の一部として機能しており、湖の上に浮かぶ家々が点在している。湖水は茶色く濁り、乾季特有の静かな湖面が広がっている。家々は竹や藁で作られた簡素な構造で、水上生活者たちが日々の営みをこの湖の上で続けている。

漁船がゆっくりと水面を横切り、釣りをする人々や物資を運ぶための小舟が忙しなく行き来している様子が感じ取れる。この湖では漁業が主要な産業であり、人々の生活は湖の生態系と密接に結びついている。湖面に浮かぶ家屋の隙間から見えるのは、人々が生活必需品を船で移動させ、また水中で魚を捕らえている風景。

トンレサップ湖はメコン川とつながっていて、季節によって湖の面積が劇的に変化する。そのため、湖の魚たちもこの変動に合わせて移動し、繁殖する。メコンオオナマズだけでなく、湖にはさまざまな種類の淡水魚が生息しており、その中にはフグの仲間もいる。この湖の豊かな漁業資源は、周囲の集落の人々にとって欠かせないものであり、何世代にもわたってこの地域の人々を支えてきた。

この風景からは、人々と自然の密接な関係が見て取れる。

写真に映っているのは、ワニが飼育されている生け簀であり、トンレサップ湖周辺の水上集落や漁業村でよく見られる風景の一つ。このような生け簀は、養殖の一環として使われており、ワニ革や肉の供給源となっている。カンボジアでは、ワニの養殖が地域の重要な産業の一つであり、観光客向けに見学が行われることもある。

この生け簀は、木造のフレームと金属製の網で囲まれた簡素な構造になっている。床の隙間からは、下にワニが集まっている様子が見え、何頭ものワニが重なり合うようにして横たわっている。薄暗い環境の中で、水の中にじっと身を潜めている姿、ワニの鱗に覆われた硬い体と、鋭い目が、周囲の静けさの中で存在感を放っている。

生け簀で飼われているワニは、成長すると皮革産業に利用されることが多く、その革は耐久性があり、高級品としての価値がある。また、ワニ肉も食用として供給されることがあり、カンボジアでは珍しい料理として提供されることもある。

ワニは野生でもトンレサップ湖周辺に生息しており、湿地帯や川沿いの地域で出没することがある。生け簀の中でのワニたちは、時が止まったのように、じっと息をひそめている。観光客にとっては神秘的でありながらも少し恐ろしい存在。

トンレサップ湖に浮かぶボートハウスの村。カンボジアの水上生活者たちは、乾季には陸に建てられた簡素な家に住むことが多いが、雨季になると湖の水位が大幅に上昇するため、湖面に浮かぶボートハウスに移り住み、漁撈をしながら生活を続ける。

写真に映るボートハウスは、古びた木材で作られた簡素な構造であり、屋根には藁や木の板が使われている。ボートの上には、日用品や漁具が乱雑に置かれ、生活のリアリティを感じさせる。湖の水は茶色く濁っており、乾季特有の低い水位が見て取れる。

ボートは、漁業のための小型の木製船で網や道具が積み込まれている。彼らは、湖での漁撈を主な生業とし、メコンオオナマズなどの大物やその他多くの淡水魚を捕り、生計を立てている。

トンレサップ湖の水上生活者は、推定で百万人以上に及ぶが、その正確な数を把握することは非常に難しい。多くの住民は正式な戸籍を持たず、国籍が曖昧なままで生活しているため、カンボジア政府による調査や統計の把握は困難。これらの水上生活者たちは、湖の変動に合わせて住まいを移動させながら、漁業を中心とした生活を送っている。

写真に映るように、水上の家々は簡素な木造や竹でできており、屋根は時折わらや波板で覆われています。青く塗られた家も見え、村全体が一色に統一されているわけではなく、それぞれの家庭が独自の資源を使って生活を維持していることが伺える。家の構造や大きさはバラバラであり、設備も非常に簡素。彼らの生活は、常に水上で営まれ、陸地に根を下ろすことなく、湖と共に暮らす独特な生活様式を示している。

この写真に映る男性は、トンレサップ湖の水上生活を見つめながら、何か深い思いに浸っているように見える。彼の顔には、少し疲れたような表情が浮かび、目元は少し陰っている。彼が何を見ているのか、何を感じているのか、その内面を想像させる瞬間だ。言葉は必要なく、その表情だけが、この旅の中で彼が抱いた感情を雄弁に物語っている。

彼の目に映る風景は、決して豊かではないが、その土地に根付いた独自の文化と生活が広がっている。言葉にしなくとも、彼はこの風景に対して何かを感じている。水上で暮らす人々のたくましさや、自然の中で生きるための知恵に感銘を受けているのかもしれない。湖面は静かで、船はゆっくりと漂っている。何も語らず、ただその場にいることが、彼にとっては最も自然だ。

魚をとって遊ぶ子供たち。

この建物は、トンレサップ湖に浮かぶ小学校で周囲のボートハウスと比べて、この学校は鮮やかな色彩で塗装され堅牢な作り。赤、青、緑、黄色のカラフルな配色が目を引き、子供たちが通うための場所として、活気ある雰囲気を感じさせる。湖の生活者たちにとって、子供たちの教育を支えるこうした施設は、地域社会において重要な役割を果たしている。

この湖では、スーパーや病院などの公共施設も水上にあり、住民の生活を支えている。湖上の村に住む子供たちは、手漕ぎのボートやタライ(洗い桶)を使って学校に通う。

学校の建物は木材や鉄骨を使ってしっかりと作られており、雨季の水位の変動や激しい天候にも耐えるように設計されている。上層部には金網が設置され、通気性を確保しながら安全性も高めている。周囲のボートに比べ新しく丈夫な構造で、子供たちの学習環境が配慮されている。

子供たちは、水上の孤児院で生活しながら、教育を受けている。青い看板から「Ay Ouddom孤児院小学校」と読め、地域社会によって支援されている。

青く塗られた木造の校舎は雨季や乾季を通して湖の湿気や風を防ぐための工夫が凝らされ、生活の基盤が不安定な子供たちが安心して過ごせるようになっている。

扉の隙間から顔をのぞかせている子供たちは、訪問者に対して興味を持っている。

クイティウは、米粉で作られた麺料理でベトナムのフォーに似ている。透明感のある豚骨スープが実にうまい。塩味が効いてさっぱりとした薄味で具を自分で選ぶ。肉、牛肉団子やエビ、野菜を入れ魚醤、チリソース、唐辛子、香辛料を入れ、ライムを搾る。テーブルには必ず香草、生モヤシ、ライムや調味料が置いてある。

これはチキンスープのおかゆでボーボーといい、ボーボー・ソーつまり白粥とボーボー・サッチモアンつまり鶏粥がある。バリではおかゆをブブと言っていたがおそらく語源が同じ。ソーはスープかな。

カンボジアのアンコールワットを訪れた時のこと、ホテルの朝食は例によってバイキングでメニュウは中華風のお粥やビーフン野菜炒めなどが豊富にあった。その中でなにやら豆腐ヨウを少し大きく切ったようなものがあった。お粥の近くにあったのでお粥に添えて食べるといいのだろうと思い試してみることに。

一口食べてみて驚いた。豆腐ヨウそのものの味だ。しかも素晴らしい味だ。豆腐ヨウは沖縄の特産だ。紅麹と泡盛で豆腐を漬け込んで作る。それがカンボジアでローカルな食べ物として出ている。ということは豆腐ヨウのルーツはカンボジアか。

発酵食品に目がない。大きめの豆腐ヨウを5,6個もお粥と一緒に食べたらそれまでたまっていた和食への郷愁が満たされた。決して味噌汁とご飯ではないのだがそれでもなにか体が芯から満足したようだ。味噌も豆腐ヨウも共に大豆の発酵食品で、お粥はお米だ。その組み合わせがいいのだろう。

その日の午後、アンコールワットの暑くてヘビーな遺跡巡りを難なくこなせた。今思い出しても凄い急な石の階段をへばりつくようにして上った。60度の傾斜はあったと思う。ひょっとして豆腐ヨウと粥が力を与えてくれたのかも知れない。

ちなみに豆腐ヨウは豆腐餻と書き、餻は羊羹に通じるのかも。


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