まさおレポート

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カラマゾフ 作品には主題が「人物と同じ数だけ 椎名麟三

2022-03-13 | 小説 カラマーゾフの兄弟

椎名麟三は日本の作家の中でもドストエフスキーの影響を強く受けた作家として知られているが、彼は戦前、作家修行を始めた頃の昭和17年に、「ドストエフスキーの作品構成についての瞥見」という短いエッセイを書いていて、主題構成の特徴について、実に鋭い、深い洞察を見せている。椎名によれば、ドストエフスキーの作品の主題というのは、人物化した思想であって、「一つの観念の生命がその人物の生命となっているところの人物」であり、そのように人物化した思想の中に事件がとり入れられると、それらの事件が「小説的な生命をもち、何・か・へ・発展しようとする機能をもつにいたる」。また作品には主題が「人物と同じ数だけ」あって、その軽重は人物の位置によって決まるが、「その主題群は相互に連関を欠いているので、ドストエフスキーはその主題の間を緊密にし、全体的な主題の下に制約しようとした」といっている。

椎名のこの指摘は現在の世界のドストエフスキー研究者に大きな影響をあたえたミハイル・バフチンの指摘と見事に重なっている。バフチンによれば、「ドストエフスキーのすべての主要主人公たちは、・・・・めいめい「大きな未解決の思想(イデー)」をかかえ、まず必要としているのは「思想(イデー)を解決する」ことである。・・・。もし彼らが生きている場であるイデーを無視してしまったら彼らの人物像は完全に壊されてしまうだろう。いいかえれば、主人公の人物像はイデーの像と密接に結びつき、彼らから切り離せない」

作品の主題が人物化した思想であるという問題を、『カラマーゾフの兄弟』に即して、具体的に見ていくことにしたい。

 

1.「偶然の家庭」、記憶、思い出の教育的役割

この小説には確かに「父親殺し」が一つの主題としてあるとしても、それを作者の視野に置くならば、彼が農奴解放後の1860年代以降の社会現象として、懸念し、警告していた「父親不在」「家庭崩壊」の現象に関連づけてとらえられるべきものである。ドストエフスキーは「偶然の家庭」(«случайное семейство»)という言葉で当時の家庭崩壊の現象を表現し、『未成年』でこれを主題とした。それに続く『カラマーゾフの兄弟』でもこの問題が基本的な主題となっていることは明らかである。

作家のいう「偶然の家庭」の問題とは何かといえば、怠惰な父親の無責任からくるもので、「家庭に対する父親たちの怠惰のもとで、子供たちはもう極端な偶然にまかされるのだ!」と『作家の日記』に記されている。小説第一部第一編「ある家族の歴史」の章では、父親フョードル・カラマーゾフのもとでの、ドミトリー、イワン、アリョーシャの三兄弟の、幼児の時から他人に引き取られての離れ離れの生い立ちが詳しく述べられている。そこに描かれているのは父親の無責任による家庭崩壊の姿そのものである。このような三兄弟が長男ドミトリー28歳、次男イワン24歳、三男アリョーシヤ20歳という年頃に、それぞれの理由で図らずも、父親フョードルの住む町で際会することになった。

ここから小説の時間が始まる。次男イワンと三男アリョーシャは、フョードルの二番目の妻ソーニャから産まれたのだが、父親は二人が同じ母親の子であるという事実さえ、うっかり忘れていたりする。長男のドミトリーだけはアデライーダというフョードルの最初の妻との間の子供であるが、母親名義の財産をめぐって、さらにはグルーシェンカという女をめぐって、父親と奪い合いを演じている。この親子の骨肉の争いが小説の表面上の主題で、「父親殺し」というテーマを構成する。しかしこのテーマは、あえていえば、読者にとっての表面上の一つの筋立てに過ぎない。フョードルはまさしく「怠惰な父親」の典型である。そこでドストエフスキーが『作家の日記』で特に危惧し、警告しているのは、そうした親の下で、子供がどのような思い出、記憶をもって育つかということである。

「子供たちははるか老年になっても、父親たちの心の狭さや家庭内でのもめごと、非難、にがい叱責、さらには彼らに対する呪いさえも思い出す(воспоминают)<・・・>そしてその後も人生において長いこと、もしかしたら一生、その思い出の汚濁(грязь воспоминания)を緩和するすべもわからぬまま、自分の子供時代からは何一つ受けとることが出来ないで、そうした昔の人々を無闇に非難することになりがちである」(25;180)[iii]

「人間は肯定的なもの、美しいものの胚子を持たないで、子供時代を出て人生へと出発してはいけない。肯定的なもの、美しいものの胚子を持たせないで、子の世代を旅立たせてはいけない」(25;181)

このように、『カラマーゾフの兄弟』の背景を成す1876-1877年の『作家の日記』の主要なテーマの一つは思い出、ことに子供時代の思い出の意義であり、引いては『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ、ゾシマ長老によって担われる主要なイデーにほかならない。

カラマーゾフ家の「偶然の家族」のなかで、人間の将来の人生にとっての思い出、幼年時代の記憶の重要な意味を体現するのがアリョーシャである。それは幼児の時、彼の記憶に刻みこまれた母親の顔で、「彼はまだほんの数え4歳の時に母親に先立たれたが、母親の顔、愛撫を生涯、覚えていて、<まるで母が私の前に生きて立っているかのようで>あった」(14;18)と語り手は幼児の頃の思い出の深い意義について強調している。

「このような思い出は早い年齢、2歳頃からでさえも記憶に残り(このことは誰も知っている)、暗闇のなかの明るいスポットのように、絵のキャンバスの一断片 ― その断片を除いて、全体が消え、消滅してしまった大きなキャンバスの断片のように、生涯を通じて、ひたすら浮かびあがるのである」(25;180)

語り手は、アリョーシャが修道院へ入るにあたって、この幼時の思い出が影響した可能性さえほのめかす。「彼の幼時の思い出のなかに、母親に連れられて礼拝に行ったわが郊外の修道院についての何かしらが残っていた可能性がある。ヒステリー女の母親がアリョーシャを抱えて聖像画に向かって差し伸べた時に、聖像画に射しこんでいた日没の斜めの光線が影響したのかもしれなかった。もの思いがちな彼はその時、もしかしたら、ただ一目見るためにわが町にやってき<・・・>そして ― 修道院で長老に出会ったのである」

このように、アリョーシャは幼児の時の母親の思い出に導かれて、ゾシマ長老に出会い、長老の没後、回想録という形式で、生前の長老の言葉の聞書きを残す。このアリョーシャが記憶をたどって記録したゾシマ長老の説話の中でも、さらに、若くして死んだ長老の兄マルケルの思い出などが、入れ子式に重要な役割を担っていく。ゾシマ長老は人間にとっての幼い頃の思い出の重要さを次のように強調している。

「両親の家庭から、私は大切な思い出だけをたずさえて巣立った。なぜなら、人間にとって、両親の家庭での最初の幼時期の思い出くらい貴重な思い出はないからである。それはほとんどいつもそうなのであって、家庭内にほんのわずかな愛と結びつきさえあれば足りるのである。もっとも劣悪な家庭の生まれであったとしても、大切な思い出というものは、本人の心がそれを探し出す力をもっているならば、心に保たれているものなのである」(14;264―265)

ゾシマ長老のこの遺訓をあたかも実践するかのように、小説の最終場面で、アリョーシャは石のそばで少年たちに演説する。長い小説の最後のこの感動的なパッセージは読者に忘れ難い印象を残す。

「何かすばらしい思い出、それもとりわけ、まだ子供時代に、親の家で作られたすばらしい思い出以上に、これからの人生にとって、尊く、力強く、健康で、有益なものは何一つないのです。<・・・>子供時代から大切に保たれた、何かそのような美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育なのです。一生の間にそういう自分の思い出をたくさん集めることが出来るなら、その人は生涯救われるでしょう」(15;195)

このイデーは『カラマーゾフの兄弟』という幾つもの主題からなる長編小説の最も奥深い基礎的な大主題であると思われる。亀山がいうように、このイデーの担い手アリョーシャが、13年後の革命家の群れに投じ、皇帝暗殺に加担するとは、作品の論理として考えにくいのである。

2018-03-26初稿

ところで、このアリョーシャとは対照的に、同じ母親の腹から生まれ、幼児の頃は同じ環境で育ったはずの3、4歳年上のイワンには、「思い出」や「記憶」というものの意味はまったく与えられていない。また父親殺害の嫌疑に包まれたドミトリーは、決定的な瞬間に母親が祈ってくれたとのべて、記憶の中での母親の存在の重みを暗示はするが、これ以外には、彼にとって、「記憶」「思い出」の意味は浮かんでこない。ではこの二人の兄弟の担う主題は何であろうか?

2.イワンの主題

イワンの主題は思想的な主題としては、父親殺害の筋立てと並行して、小説の中心に位置する。彼は表向き無神論者で、神が創造したこの世の数々の不条理、何の罪もない子供が苦しみ、犠牲にならなければならない現実、その社会的な数々の事件を、新聞報道の社会面から拾い上げてアリョーシャに指摘し、神の存在は認めるとしても、神の造った世界は認めないと語る。

イワンのこの神への反抗のテーマは、父親殺しという「読者にとっての筋立て」、すなわち低次のテーマに並行する形而上学的な高次のテーマといえよう。私にはソ連時代の思想家・文学者ヤコフ・ゴロソフケルという人の『ドストエフスキーとカント―『カラマーゾフの兄弟』とカントの『純粋理性批判』についての一読者の思索』(「みすず書房、1988)という拙訳があるが、この本でもっぱら論じられているのは、この形而上学的な高次のプランである。

『カラマーゾフの兄弟』をこのように複合的なプランで読む読み方は、20世紀初めのロシア象徴主義の詩人V・イワーノフという人から始まっていて、バフチンのドストエフスキー論の母胎ともなったものである、ゴロソフケルはこのラインで、イワン・カラマーゾフにカントの『純粋理性批判』のアンチノミー(二律背反)的主人公を読み込んでいる。小説の中で、それがどのような形で描かれているかを要約してみると、イワンは「神がなければすべてが許される」「人間に不死(霊魂の不滅)がなければ善行もない」と無神論的な言葉をはき、スメルジャコフに深刻な影響を与える一方で、アリョーシャに対しては、この地上では二本の平行線は交わることのないというユークリッド幾何学式の、つまり地上的に造られた自分の知性では、神がありやなしやなんて理解できるわけがない、自分は論理以前に、「ねばっこい春の若葉やるり色の空」を愛したい、自分には「報い」が必要なのだと、倫理的、心情的な告白をする。

予言的な能力をもったゾシマ長老は小説の発端の場面、カラマーゾフ親子一同が長老の庵室で会した場面で、イワンの「不死がなければ善行もない」という思想を耳にして、「自分ではその論法を信じないで、胸の痛みを感じながら、心のなかではその論法を冷笑しておられる」と、イワンがこの問題で宙吊りの状態にあることを見抜く。そしてこの問題は「もし肯定のほうへ解決できなければ、否定のほうへも決して解決できない」と、イワンの思想のまさに「二律背反」の状態を指摘する。

このようなイワンの精神の宙ぶらりんの状態を踏まえて、ゴロソフケルが推論するところによると、カラマーゾフの父親殺しの真犯人は、イワンの二律背反的な知性に潜む「悪魔」である。その悪魔はイワンのカント的なアンチテーゼ(これは無神論の立場を意味する)の傾きに沿って、まず下男のスメルジャコフに変身して登場し、父親殺しの犯行に及ぶ。スメルジャコフの自殺の後では、幻覚に陥ったイワンの目の前に悪魔自身が紳士の姿で現れ、イワンを嘲笑し、発狂させる。というのも、イワンはアンチテーゼの側に傾くと同じ程度にテーゼ(これは道徳、信仰の立場を意味する)の側への強い渇望を持ち、テーゼとアンチテーゼの両端からなる天秤棒の上で、小止みなく揺れ動くカントのアンチノミー的主人公であるからだ。

ゴロソフケルはこのような高次の形而上的プランでの読みの結論として、ドストエフスキーはイワン=悪魔の形象において西欧批判哲学の理論的知性の宿命的な悲劇性とヴォードヴィル性を描き出し、カントに代表される西欧批判哲学との決闘をおこなったとしている。


神が存在すれば、すべてが許される(ジジェク)
 今から一〇〇年以上も前、『カラマーゾフの兄弟』や他の作品でドストエフスキーは、神なき世界における精神的ニヒリズムに対して警告を発し、本質において、かりに神が存在しなければ、すべては許されると主張したのだった。フランスの哲学者アンドレ・グリュックスマンは、その著書『マンハッタンのドストエフスキー』が示すように、このドストエフスキーの神なき時代のニヒリズムを、九・一一に適用した。ここでの議論は、完全なまちがいだ。というのも、今日のテロリズムが教えているのは、もしも神が存在するなら、少なくとも、神にかわって直接的に行動するように要求する人々にとっては、すべてを、つまり、何千という無垢な傍観者たちをも含むすべてを爆破することが許されているからである。 (二〇〇六)https://www.dsjn.jp/dsj-archive/words/


3.ドミトリーの主題

そこでイワンに対置されるのが父親殺しの無実の嫌疑をうけて有罪とされるドミトリーで、彼が担う主題は二つの深淵の同時に受容という、ロシア的とも言うべき宗教的心情のイデーである。ドミトリーはアリョーシャに対して心情告白という形で語る。自分は虫けらのような情欲を持ち、悪臭と汚辱にまみれながら、神様への賛歌を唱える、「悪魔の跡へついて行こうとも、僕はやはり、神様、あなたの子です。あなたを愛します」(14;99) さらにドミトリーがいうには、カラマーゾフ一族の血には虫けらが巣食っていて、情欲の嵐を巻き起こす。美というものは恐ろしい謎で、両極端が一緒に出会い、あらゆる矛盾が一緒に住んでいる。自分が我慢できないのは、「高貴な心と高い知性を持った人間がマドンナの理想から一歩を踏み出しながら、結局ソドム(悪行)の理想をもって終わるということだ。まだそれより恐ろしいことは、ソドムの理想を心にいだいている人間が、同時にマドンナの理想も否定しないで、純潔な青年時代のように、美しい理想のあこがれを心に燃やしていることだ。いや、人間の心は広い、広すぎる。できることなら少し縮めてみたい。知性の目には汚辱と見えるものが、心にはりっぱな美と見えるんだからなあ!」「美は恐ろしいばかりではなく神秘なのだ。そこでは悪魔と神との戦いがおこなわれ、その戦場が人間の心なのだ」(14;100)

ドミトリーは中学も終えないで陸軍の幼年学校に入り、コーカサス地方の軍隊に将校として勤めたものの、決闘騒ぎを起こして、兵卒に降等処分を受け、ようやく勤めあげて将校の身分に復職したという経歴の持ち主、とにかく放蕩の限りを尽くした、金遣いの荒い男と設定されている。決して教養のある人間とは、世間的には見えないが、ドストエフスキーはこのような男に、深遠な思想をのべさせている。これはイワンの理性から発する知的な論理とは対極に位置する、心情から発するところの民衆のメンタリティを表現する言葉といえるだろう。このような両極端に走るロシアの民衆の宗教的ともいえる感情にドストエフスキーはほかの作品でも度々、言及している。

 

4.心理学的分析への批判

ドストエフスキーはこのような両極端を併せ持つ人間の心を描くには、通常の心理学的アプローチでは不可能だと考えていた。人間の心理を不確定な、両義的なものとしてとらえる人間観はこの作家に固有のもので、人間の心理を第三者的な立場から、客体化して観察し批評することに対し、作者は作品の主人公自身に反発させた。彼の作家としての出発点を決定づけたのはまさしくこの視点であって、それは処女作『貧しき人々』の下級官吏ジェーヴシキンの意識の描写に如実に表れている。先行作家ゴーゴリが『外套』の主人公を世間の辛辣な目にさらし、自然主義的に客体化して描いていることに対し、ドストエフスキーは、自作の主人公をしてそのような「へぼ作者」に激しく怒り、抗議させたのである。またバフチンが指摘していることであるが、『白痴』でムイシュキン公爵が相愛のアグラーヤという女性に対してイポリートの自殺未遂の動機を分析して見せる場面で、アグラーヤはムイシュキンのその心理分析を人間の魂を対話的ではなく、客体化した「不在の分析」(заочный анализ)であるとして、反発するのである。「あなたがイポリートを判断なさったように、そんなふうに人間の魂を眺め判断するのは、とても乱暴です。あなたには優しさがないのね。真実一点ばりでは、不公平になりますよ」(8;354)

同じくバフチンが指摘しているのが、『カラマーゾフの兄弟』の中の人物、イリューシャ少年の父親で、ドミトリーから侮辱を受けて自尊心に苦しむスネギリョフ大尉が、差し出されたお金を踏みにじる行動をめぐってのアリョーシャとリーザの会話である。アリョーシャがスネギリョフの精神状態を分析して、彼はあとできっとお金を受け取るに違いないと予測するのに対して、リーザが次のように反発する。

「私達のそうした見方に、その不幸な人に対する軽蔑は含まれていないかしら・・・つまり、私達がいま、まるで上から見下すように、その人の心を分析していることに?・・・・お金を受け取るにちがいないなんて、いま決めてかかっていることに?」(14;107)

またコーリャという14歳の少年、-亀山郁夫が将来の皇帝暗殺者と想定している少年―は、仲間にある行為の内面の動機を指摘された時、「ぼくはぼくの行為を分析するようなことは誰にだってさせちゃおかないからね」(14;472)と切りかえす。

このように人間をあらゆる外部からのアプローチや観察、規定に反発する自意識的存在、人格において自由な存在として見る作者は、『カラマーゾフの兄弟』の最後のドミトリー裁判の場面で、検事イッポリートの論告に見られる「心理分析」に対して、弁護士フェチュコーヴィチを通して、批判をおこなう。

では検事イッポリートの論告はというと、まず父親不在、父親の無責任という家庭環境、「偶然の家庭」の社会問題から始まって三人の兄弟の性格づけをおこなう。イワンの「ヨーロッパ主義」、アリョーシャの「民衆の原理」に対して、被告のドミトリーはあるがままのロシアを表現しているという。検事はドミトリー自身のアリョーシャへの告白で読者がすでに知っている、二つの深淵の同時受容、すなわち「頭上に広がる高邁な理想の深淵と、眼下にひらける低劣な悪臭ふんぷんたる堕落の深淵」を、これこそが「カラマーゾフ的性格」だとして特徴づける。検事のこの見解はアリョーシャの友人でジャーナリスト志望のゴシップ屋ラキーチンという青年からの受け売りとされていて、小説を読んできた読者もまた共有している視点である。

検事の論告内容は、読者がたどってきたドミトリーの状況のおさらいであり、情況証拠としては説得力がある。世態風俗小説のリアリズムのレベルでいえば、ドミトリー犯人説は動かしがたい。陪審員達が、有能な弁護士フェチュコーヴィチの弁論にもかかわらず、ドミトリーを有罪としたのもうなづける。では弁護士フェチュコーヴィチの弁論とはどのようなものであったか?

おそらく弁護士の視点こそは作者の目を代表していると思われる。その視点とはこうである。「数々の事実の圧倒的な総和は被告に不利であるにしても、同時に、それらを一つ一つそれ自体検討してみると、批判に堪えうるような事実はただの一つもない」(15;153)「心理学は深遠なものであはるが、両刃の刀に似たところがある(Палка о двух концах 直訳=「両端のある棒」) 」(15;154)

弁護士は検事が動かない証拠としてとりあげた個々の事例について、反対の解釈が成り立つことを解き明かしていく。弁護士の指摘によれば、深層心理の洞察が始末に困るのは、被告に対して何の偏見もなく、ある種の「芸術的な遊びの精神」(«художественная игра»)、「芸術創作欲というか小説創作欲」(«потребность художественного творчества, так сказать, создания романа») にかられてなされる場合であって、心理分析の才能がすぐれている場合にはなおさらである、ということである。読者はイワンとドミトリーのアリョーシャへの心情告白などの場面を通して、小説の主題の高次のプランに触れてきただけに、弁護士の静かな口調での反論に、真実の深さを感じとることができる。真実は弁護士の側にあることを、あらためて読者は了解する。

とはいえ通俗的な意味で、迫力を感じさせるのはどちらかといえば、検事イッポリートの論告であることに変わりはない。小説の高次のプランと無縁な世間の人々、世俗的な、低次の筋立てのプランのレベルで生きる作中の人物達にとっては、説得力があるのは、検事の論告である。世間の情報や噂話がより真実に聞こえ、事件についての物語が独り歩きするという状況があって、その中で活躍するのが、ラキーチンやホフラコーワ夫人といった噂話を生きがいとする人物達なのである。

ラキーチンはアリョーシャの友人で、町中のことにかけては何でも知っているという情報屋であるが、検事の論告の多くはこのラキーチンの証言に依拠している。彼はこの事件をジャーナリズムへ売り込むための足がかりにしたことがのべられている。ホフラーコワ夫人というのはこの田舎町の社交界の物見高い、好奇心の強い、噂話には目が無い女性で、言葉と行動の支離滅裂な人物であるが、裁判前から、ドミトリーは有罪ではあるが、「心神喪失」という医者の鑑定を受けて無罪放免になるだろうと、言い触らしていた。ドストエフスキーはこの頃すでに世論を形成するようになったジャーナリスティクな言説や風説、噂の機能にも目配りをしていて、現象の奥にある真実、真相に迫るには、ありきたりの一元的な、自然主義的なリアリズムでは不可能だと理解していた。だからこの裁判での検事と弁護士の対決の場面の主題は、ドストエフスキーのリアリズム観の展開という側面をもっている。作家は自分のリアリズムの特徴をこうのべていた。

「完全なリアリズムをもって人間の内なる人間を見出すこと。・・・私は心理学者だといわれるが、間違っている。私は要するに最高の意味でのリアリスト、つまり人間の魂のあらゆる深淵を描くのである」(27;65) バフチンはドストエフスキーのこの言葉に注目して、この時代の心理学に対して、それが学問上であろうと、文学的であろうと、裁判審理上であろうと、作家は否定的であったとしている。その理由は人間の魂の自由、不確定さ、不完結性を見ないで、モノとして客体化してしまうからだというのである。ドストエフスキーは常に、「最後の決断のど・たん・・場・に立たされて、魂の危機・・と不安定な―予測・・も・つかぬ・・・―転換のある一瞬にある人間を描く」[iv]とのべている。

 

5.幼児の苦しみと罪の意識(イワンとドミトリーの場合)

 

作者の人間観の立場からいえば、理論的知性の経験論(アンチノミーのアンチテーゼ)の立場では物事の本質は見えてこないということであろう。理論的知性であるイワンは「神はありやなしや」、「大人の罪ゆえに、なぜ何の罪も無い幼児が苦しまなければならないのか?」という問題にも、あくまで論理的な解決を求めた。イワンは幼児虐待記事の収集家で、外国や国内の残忍な幼児虐待の数々の事例をもちだして、何ゆえにこのような不合理がありうるのか、ひとつ説明しくれ、とアリョーシャに迫る。このような子供の無辜の涙の上に築かれる人類の「調和」への入場券を自分は謹んで返上する、とのべる。そしてイワンは、「ぼくは事実にとどまるつもりだ、<…>何か理解しようと思うと、すぐに事実を曲げることになるから、ぼくは事実にとどまろうと決心したのだ」(14;222)と告げ、あくまで地上的な経験論の立場にとどまろうとする。それでいて、いっさいは「流れ流れて」(つまり因果関係の継起で)罪人はいないという、「ユークリッド式の野蛮な考え」によって生きていくのは承知できない。自分には「報い」が必要なのだと、まさしく二律背反(アンチノミー)の逆転の論理を展開する。イワンがあくまで理論的知性としてアンチテーゼ(無神論の立場)に執着したことに、彼の悲劇の原因があり、その結果スメルジャコフの犯行の思想的共犯者として罪責感にさいなまれ、譫妄状態で悪魔の幻覚に苦しめられ、発狂するに至る。

イワンと対照的なのが、ドミトリーで、彼はフョードル殺害事件の直後、グルーシェンカの後を追っかけたモークロエ村の宿屋で、自分へのグルーシェンカの愛をめぐって絶望から希望へと劇的な転回を体験した直後、父親殺しの容疑で、捜査当局に踏み込まれる。その取調べの合間にまどろむ瞬間があって、ドミトリーは次のような「幼児」の夢を見る。

11月の初め、みぞれの降る道を馬車で走っていると、焼け焦げて真っ黒な百姓家が立ち並ぶ村があって、道端にはやせ衰えた女達がたたずんでいる。その中でも20歳くらいの若い女の腕の中では赤ん坊が泣き叫んでいる。母親の乳房はしぼんでいて、一滴の乳も出ないらしい。そこでドミトリーは御者にいう。「なぜ焼け出された母親たちはああして立っているのか。なぜあの人達は貧乏なんだ。なぜ赤子はあんなに可哀そうなんだ。<…>なぜ不幸な災難のために、あんなにどす黒くなってしまったんだ。なぜ赤子に乳をやらないんだ?」(14;456)

ドミトリーはこの疑問を通して、自分の中に強く湧き上がるものを感じる。彼はイワンが論理でもって神に抗議して、あんなにも拒否しようとした万人への罪の意識を積極的に引き受けるのである。ドミトリーは目が覚めたあと連行される直前にこう語る。

「みなさん、わたしたちはみな薄情です。人でなしです。わたしたちはみなの者を、母親や乳飲み子を泣かせています。<・・・>その中でもわたしが一番、下劣な虫けらです。<・・・>今になって悟りました。自分のような人間には一撃が、運命の一撃が必要なのです。<・・・>わたしはあなたがたの譴責を、世間一般からの侮辱の苦痛を引き受けます。わたしは苦しみたいのです。苦しんで自分を清めたいのです」(14;458)

とはいえ、ドミトリーは父親殺しの実行についてはきっぱりと否定して、こう断言する。

「わたしは親父の血については罪はありません! わたしが刑罰を受けるのは、親父を殺したからではなく、殺そうと思ったからなんです。<・・・>わたしは最後まであなたがたと闘いますが、最後を決めるのは神様のご意志です!」(14;458)

ここでもはっきりと、低次のプラン、つまり、フョードル殺しの実行犯は誰かという世俗的主題と高次のプラン、つまり、手を下しはしなかったものの、自分にも罪があるという、形而上的主題が提示されている。イワンの場合、「神がなければすべてが許される」という自分の思想がスメルジャコフによって戯画化されて現実化され、それに苦しむイワンが幻覚の悪魔にからかわれるという、自己意識の分身化の出口のない葛藤、悲劇であるとすれば、ドミトリーは、イワンのような経験論的な価値判断を超えた、超越的な神の意思に、一気にすべてをゆだねようとする。

 

6.ゾシマ長老の思想(世界認識の問題)

 

ここでドミトリーの主題はアリョーシャが回想記の形で復元した、ゾシマ長老の説話の中心的な思想とつながることになる。ゾシマ長老の説話では、長老の思い出の形で、いくつかのエピソードが語られる。若くして病気で亡くなった兄が、病床で窓辺に庭に飛んでくる鳥に向かって罪の赦しを乞うた話や、長老自身が若い頃、決闘騒ぎを起こして、自分の射撃の番になった時、神によってあたえられた周囲に広がる自然の美しさや恵まれた人生を汚す愚かさに気づき、ふいに気が変わってピストルを放り投げてしまい、それをきっかけに修道院入りをしたという話や、かつて殺人事件を犯して、犯行が誰にも露見せず、その後、幸せな家庭を築き、財産を成して、社会的にも尊敬されるようになった紳士が、結局のところ良心の呵責に堪えることができず、逡巡を重ねた後、僧籍のゾシマに犯行を告白したという話しである。(「謎の客」)

 このような世俗的な論理を超えた人間の心の神秘的な動きを認識するための根拠として挙げられているのは、おそらくゾシマ長老の次のような言葉である。

「この地上では多くのものが人間から隠されているが、その代わりわれわれには他の世界との、天上のより高い世界との生き生きとした結びつきという神秘的な内密の感覚が与えられている。それに、われわれの思想、感情の根源はこの地にはなくして、他の世界に存するのである。哲学者が事物の本質をこの地上で理解することは不可能だというのは、これがためである」(14;290)

 ドストエフスキーは人間の魂や意識の土壇場での急転回、神秘的な動きを、経験論の立場を超えた、物自体の領域、天上と地上が響き合う領域でとらえようとした。ゾシマ長老の言葉に、「いっさいは大海のようなものであって、ことごとく相合流し相接触しているがゆえに、一端に触れれば他の一端に、世界の果てまでも反響するのである」(14;290)とあるが、これも物事のそうした本質を伝えようとしたものと思われる。ドミトリーのいう「ソドムの理想」と「マドンナの理想」の二つの深淵を同時に受け入れる、虫けらのような情欲を持ち、悪臭と汚辱にまみれながら、神様への賛歌を唱えるという両極端が反響し合う関係の認識も、こうしたゾシマ長老の見方、引いては「人間の内なる人間を見出すこと」というドストエフスキーの「最高のリアリズム」の領域に属するものといえよう。

 

7.スメルジャコフの主題(虚無的自己否定と去勢派の禁欲)

 

思想的な高次の読みの文脈で見る限り、スメルジャコフはイワンの影であり分身であり、独立した人格ではない。しかし、低次の読者の筋立てで読めば、彼もれっきとした社会的存在である。スメルジャシチナという白痴同然の女性が母親で、カラマーゾフ家の風呂小屋にしのびこんで出産したこともあって、淫蕩なフョードル・カラマーゾフの子ではないかと噂されている。カラマーゾフ家の下男グリゴーリイ夫婦に育てられて、いまや下男として料理人をしている。料理人としての腕は確からしく、コーヒーとピロシキ、魚のスープ(ウハ)が得意で、フョードルからも信頼を得ている。もし事実、フョードルの息子だとしたら、カラマーゾフ兄弟の4男で、「偶然の家庭」の一構成員ということになる。

ゾシマ長老やアリョーシャがいうように、人間形成にとって子供時代の思い出が重要というならば、スメルジャコフはその点では最も遠いところに位置する不幸な存在である。少年時代は猫を縛り首にして葬式遊びをするのが好きだったという陰気な性格で、育て親のグリゴーリイも少年の人好きのしない態度につらくあたり、「お前は人間ではない。風呂場の湿気からわいて出たんだ」(14;114)とののしったが、あとでわかったことだが、スメルジャコフはこの言葉を絶対に許すことができなかった、と記されている。この一例からも、彼が子供時代から、マイナスの思い出を持って育ったことが想像される。12歳の頃、グリゴーリイが宗教教育として天地創造の話をした時、少年は冷笑的な態度をとり、育て親にびんたを食らわされるという事件があったが、それをきっかけにスメルジャコフは癲癇発作を起こし、その後の彼の持病となった。

少年には潔癖、きれい好きという一面があって、それを見込んだフョードルが料理人にすることに決めて、モスクワへ修行に出した。何年かして帰ってきた時には、すっかり面変わりしていた。「年に似合わない老けこみようで、しわがよって黄色くなったところは去勢された男(стал походить на скопца)のようだった」(14;115)と、記されている。ここで「去勢された男」という表現は、ロシア語では「スコペーツ」で、分離派教徒のセクト「去勢派」の意味でもある。それゆえ、ここは「去勢派教徒のようだった」とも訳せる。もしスメルジャコフが去勢派教徒であったとすれば、フョードル殺しの動機の一端、あるいは正当化の理由の一端がこの点にあったのではないかと暗示させられるものがある。

去勢派というのは鞭身派というセクトから派生した一派で、注目されるのは、去勢派が鞭身派の反動として生まれてきたセクトだということである。禁欲を唱えながら実際には淫乱に陥っている鞭身派に対して、去勢派は禁欲を徹底させるために、去勢という過激で異常なまでの自虐的な行為を教義とした。スメルジャコフがこの過激な禁欲のセクトに近づいた理由もうなづける。つまり、男の性欲の衝動のままに犯された白痴同然の女から生まれてきた自分の血を彼は呪っていたに違いない。育て親のグリゴーリイの不用意の侮辱的な言葉を「絶対に許すことができなかった」と記されているのはその証拠である。スメルジャコフの父親が誰であるかについては、その頃町をうろついていた脱獄囚の<ねじ釘のカルプ>と呼ばれた男だという可能性もあり、フョードル・カラマーゾフだとは確定されていない。フョードル本人は否定していたものの、噂は残り、スメルジャシチナがフョードルの庭の風呂小屋にしのびこんで出産し、従僕のグリゴーリイ夫婦が生まれた子を引き取って育てるにいたり、スメルジャコフは自然とカラマーゾフ一家の一員になっていった。父親の名に由来する父称もフョードロヴィチ(パーヴェル・フョードロヴィチ)と呼ばれるようになったことからも、スメルジャコフ本人はフョードルが自分の父親だと本気で思っていた可能性は強い。そのカラマーゾフ的な血の本質をなす「淫蕩」「淫乱」(разврат)は、去勢派の洗礼を受けた立場から見れば、許し難いものだったにちがいない。

スメルジャヤコフは自分の「父親」である主人に、正直者で料理の腕の立つ忠実な下男として仕え、信用を得ながらも、自分の出生にまつわる運命について、たえず考えるところがあったはずである。彼が漠然とした自分でも明確に輪郭をとらえ得ない、印象とでもいうべきイデーにとらえられて瞑想する人間であったことが、画家クラムスコイの絵「瞑想する人」に描かれた百姓の姿の喩えで、のべられている。彼は恋人のマリヤ・コンドラチェヴァに向かって、こういうことを話す。自分はスメルジャシチナの生んだ父なし子で卑しい人間だと馬鹿にされてきた、生まれてこずにすむんだったら、「腹の中にいるうちに自殺したかった」(«я бы дозволил убить себя еще во чреве с тем, чтобы …. » 14; 204)、自分はロシア全体を憎む、ナポレオンが1812年の遠征でこの国をやっつけてくれればよかった、自分にまとまった金があればこんなところにいない。

スメルジャコフは自分の血を呪い、ロシアを憎み、自分の料理の腕を自慢して、運が向けばモスクワの中心街でレストランを開いてみせるという。そして、何の役にもたたないのに、大金を浪費するドミトリーを馬鹿にする。

彼はイワンとの最後の面談で、自分が犯人であることを告白した際に、フョードルから奪った3千ルーブルの大金で、モスクワか外国で生活を始めようという考えがあったことを打ち明ける。彼がフランス語の語彙集にとりくんでいたというディテールの意味もここで明らかになる。しかし、彼のこの動機は自殺してはてることにより、裁判では表ざたにはならなかった。スメルジャヤコフはここで、すべてはイワンの言葉、「永遠の神がなければ、いかなる善行も存在しない、すべては許される」が原因なのだと、責任をイワンに押し付けた。イワンの言葉はスメルジャコフの内部で鬱屈していたものに火をつけて爆発させる導火線だったという見方もできよう。

このようにスメルジャコフの人物像を細かく見てくると、彼がイワンの影、分身、悪魔の身代わりといった抽象的な存在にとどまらず、社会的な背景をもった生身の人物として描かれていることが分かってくる。彼も「偶然の家庭」の主題につらなり、精神的な支柱となるべき子供時代からのよき思い出を持たないばかりか、むしろマイナスの記憶や印象を蓄えてきた、限りなく虚無的な、自己否定的な人物であり、社会に対して復讐心をもっていたことが推測される。子供時代の思い出の肯定的な意味を説くアリョーシャ=ゾシマ長老とは反対の極に位置する人間といえよう。理念的、高次の主題のレベルではスメルジャコフはアリョーシャ=ゾシマの主題のアンチテーゼということができる。

 

8.スネギリョフ一家の主題(家族の絆)

 

「偶然の家庭」の問題をこの小説の大きな主題として見る時に、貧乏で慎ましやかな退役将校スネギリョフ二等大尉の家庭は、対照的な意味で、小説の結末に光を添えている。イリューシャ少年の死によって、一家は悲しみにつつまれるのであるが、父としてのスネギリョフの存在は、家族に精神的や落着きをもたらしている。

スネギリョフはフョードル・カラマーゾフとドミトリーが財産争いをしている渦中に、フョードルに依頼されて代理人の役をしたために、立腹したドミトリーが、飲み屋で、スネギリョフのへちまたわしのようなあごひげを引っぱって往来に連れ出し、公衆の面前で侮辱した。その時息子のイリューシャ少年がいて、「大声で泣き叫び、父親のために許しを乞うた」。この一件が物笑いの種になり、中学生の少年仲間でも、イリューシャは「へちま」とあだ名されて、いじめの的になる。一連の経緯を経て、アリョーシャはスネギリョフ親子へ兄の行為について謝罪もなしとげ、少年達をも和解させ、結核で死の床についたイリューシャを少年達が見舞う感動的な場面が小説の結末に描かれる。

父親のスネギリョフ大尉は仕事もろくになくて、家族は貧乏のどん底にあり、決して権威のある父親とはいえない。むしろ息子のイリューシャが「父親の名誉のために、侮辱をはらすためにたちあがった」(アリョーシャの追悼の言葉)。父親はまた息子の目を意識して、息子に恥ずかしくない行動をとろうとする。いずれにせよそこには、父と子の精神的一体感、物質的な条件や欲望の充足を超えた家族の結びつき、精神的に支え合うけなげな姿が浮かびあがるのである。そこでアリョーシャの少年たちを前にしての言葉が響く。

「素晴らしい少年でした。親切で勇敢な少年でした。父親の名誉とつらい侮辱を感じていて、そのために立ちあがったのです。だから、みんな、まず第一に、彼のことを一生、記憶にとどめましょう。たとえ僕達がどんな大切な用事で忙しくても、どんなに名誉を手に入れたとしても、あるいはどれほど大きな不幸におちこんだとしても、やはり決して忘れないようにしましょう。僕達にはかってこの地で一度心を通わせ、美しい善良な感情に結ばれて、すばらしい時があったことを、そしてその感情が、あのかわいそうな少年に愛情をよせている間、ことによると僕たちを実際以上に立派な人間にしたかもしれぬことを」(15;195)

この言葉のあとに続くのが、アリョーシャの―「何かすばらしい思い出、それもとりわけ、まだ子供時代に、親の家で作られたすばらしい思い出以上に、これからの人生にとって、尊く、力強く、健康で、有益なものは何一つないのです。<・・・>子供時代から大切に保たれた、何かそのような美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育なのです。一生の間にそういう自分の思い出をたくさん集めることが出来るなら、その人は生涯救われるでしょう」(15;195)というあのパッセージである。

 

こうして見てくると、アリョーシャ=ゾシマ長老による子供時代の思い出、記憶の教育的意義の強調の根底には、家族の絆ばかりではなく、仲間同士の連帯、共有感情、引いては小鳥や植物など自然との交感、他者との関係性における経験的自我の克服を通しての世界の神秘的領域の認識への志向といった複合的なイデーが含まれていて、これが小説の統括的な大主題であると、考えられる。このポジチヴな大主題を、逆説的にネガの形で浮き上がらせるのが、フョードルの主題(カラマーゾフ的淫蕩)であり、イワンの主題(理論的知性のアンチノミー)であり、ドミトリーの主題(ソドムの理想とマドンナの理想の同時受容)であり、スメルジャコフの主題(自己否定+去勢派的禁欲+イワンのアンチテーゼの戯画化)であって、『カラマーゾフの兄弟』というこの長編小説はこれらのネガチブな主題を複合的に構成して、ポジチブな大主題を逆説的論証のスタイルで浮かび上がらせようとするところに成立していると見ることができるだろう。


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