まさおレポート

クズネツォフ著 「アインシュタインとドストエフスキー」と埴谷雄高著「ドストエフスキー」 メモ

2016-10-19初稿

クズネツォフ著 「アインシュタインとドストエフスキー」と 埴谷雄高著「ドストエフスキー」よりメモ。出典ページの書いていない箇所はクズネツォフ著 「アインシュタインとドストエフスキー」より引用。

何が魅了したのか

アインシュタインはドストエフスキーを愛読していたという。科学の進展で一頭地を抜いた存在のアインシュタインにドストエフスキーの何が魅了したのか。

ドストエフスキーの問いは未解決の問いである。

彼はどんな思想家よりも多くのものを、すなわちガウスよりも多くのものを私に与へてくれる。

アインシュタインも宇宙の調和を物理学で目指すが特殊相対性から一般相対性へとたどり着くがその先には量子力学が広がり彼の調和追及は一筋縄ではいかない。ドストエフスキーの問いは未解決の問いである。これがアインシュタインを魅了したのだろう。


思想家と芸術家(クズネツォフ)
「アインシュタインのドラマ」というのは恣意的な概念である。天才による三十数年の熾烈な努力をもってしても統一場理論は生み出されなかったという事実は、疑いもなくドラマチックである。しかし、アインシュタインは理論探求のあらゆる場合において、一瞬たりともその原理的可能性を疑わなかった。彼は、非ユークリッド的幾何学をさらにいっそう非ユークリッド的(いっそうパラドキシカルな意味における)な幾何学へと一般化していくことによって目的に到達すると考えた。彼は宇宙の調和の存在をますます確信するようになった。
 ドストエフスキーのドラマはまったくのところ、悲劇的で融和しようのないドラマであった。彼は神的調和への単純かつ伝統的な「ユークリッド的」信仰から出発し、逆説的な「非ユークリッド的」調和を認め、そしてそれが個人の運命を無視するものであることを知ると、世界は知りえないのだと宣言して「ユークリッド的」信仰と公認正教へともどっていった。これは思想家の展開であった。芸術家は引き返すことなどできなかったし、創造的な芸術の論理は不可逆的であった。そして心の底で、ドストエフスキーは「反逆者」たらざるをえなかったのである。 (一九七二)

[出典] ボリス・クズネツォフ『アインシュタインとドストエフスキー』(小箕俊介訳、れんが書房新社、一九八五)。
*ボリス・クズネツォフ(生年不詳):ロシアのアインシュタイン学者。彼によればドストエフスキーはどんな思想家にもましてアインシュタインの仕事に霊感を与え、両者は相対的世界における調和の追及という問題を共有していた。ただし没自我的になりうるアインシュタインと思想家と芸術家の内的分裂を抱えるドストエフスキーとでは、問題への対応が違っていた。つまり同じゲームを別のルールで戦っていたのだ。

https://www.dsjn.jp/dsj-archive/words/


神はサイコロを振らない

イワンが非ユークリッド的調和を受け入れることを拒否するのはなぜか。

私は大っぴらに自分の絶滅を要求する。奴らは、だめだお前がいなければ何もかもなくなってしまうから生きていろという。もし地上のあらゆるものが理性にかなってしまったら何事もおこりはしまい。出来事はなければならんというわけさ。・・・苦しみがなければ、人生からどんな喜びが見いだせるかね。なにもかもが無限のお勤めに代わってしまうのが落ちだろう。それは神聖かもしれないがいささか退屈というものだ。

わが地球と来たら百万回繰り返してるのかもしれないんだぜ。地球は死に絶え、凍り、罅割れ、粉みじんにくだけ、その構成要素に分解されて、水が再び天空を多い、そして再び彗星が生まれ、再び太陽が生まれ、再び地球が太陽から生まれる この進行はおそらく無限回繰り返される。はなはだ体裁の悪い退屈な営みなんだ

アインシュタインは神はサイコロを振らないと量子力学を終生拒絶した。アインシュタインは非ユークリッド的調和を受け入れないイワンに自分を見ているのかも。(非ユークリッド的調和そのものは受け入れたがゆえに一般相対性が生まれたのだが、ここでは自分の感性に合わないものを受け入れないということのみがポイント)

宮元啓一

ゲーテは、実在が論理的枠組みには還元されないえないことを指摘している。

友よ理論は灰色だが、命の木は永遠に緑である。

イワンがねばねばした木の新芽を好むのと同じ。宮元啓一は他世界空間といったが、ゲーテも同じことを言っている。

なぜ冗長か、その根拠

 ドストエフスキーが冗長であるという評価は当時からあったようだ。夏目漱石も弟子に問われて冗長と答えている。

ドストエフスキーの設定は人生の不調和を表現するものであり設定は精確で記録文学にさえ似ている。 ドストエフスキー 埴谷雄高より

ただ、非現実的なものを描きながら、しかも、生々しい現実感をもたらすという唯一ののっぴきならぬ評価がドストエフスキーを文学史のそとに捨て去ることを許さなかったのでした。p12

科学者が用いる装置が過程に影響を及ぼすように、実在の創作的表現の手段は見る角度に変化を及ぼし、作者の主観的意図になかったものを読者に洞察させる。

ドストエフスキーは主人公を一層引き立てるために、盛り立て役の人物を導入する。

ドストエフスキーは、簡単に規定できないある雰囲気を通して影響を及ぼしていく。

粘っこい小さな葉は調和を壊された世界への無益な愛着

幼年時代の記憶が、終生消えぬロシアの大地への信頼感をもたらした。p29

ドストエフスキーは、個人の実存が天体の音楽と、すなわち進展する宇宙と融合するという想定のための原型を見つけ出すことができなかった。融合するということは幻想的であり、病的でもあった。

 調和を見つけることができなかった。

ドストエフスキーの作品は、肯定的な面よりも否定的な面のほうが目も眩むほどの恐ろしい深さで描かれることを示しています  ドストエフスキー 埴谷雄高p167

大審問官を述べるイワンを、ゾシマ長老の物語で屈服せしめることを意図していたにもかかわらず、ゾシマはイワンに対抗できない、何故ならイワンは苦しめられる子供たちをもっているから、 ドストエフスキー 埴谷雄高p160

ドストエフスキーの半合理主義的意図がどうであれ彼の合理主義的詩学はそれを裏切る。

カラマゾフの兄弟で伝統的信仰と反逆的理性の相克を描き、伝統的理性が勝利することを意図したが結果は神による調和に対する攻撃はますます予言的性格を帯びていった。

パンフレット作家のドストエフスキーは単純なユークリッド的信仰に屈服することを望んだ。芸術家ドストエフスキーは何ものに屈服することをも拒絶した。

意図と成就の矛盾がドストエフスキーの作品で絶頂に達するのは、1879から1880にかけての頃である。カラマで伝統的信仰と反逆的理性との闘いにおける決定的構想を示し、そこで反逆的理性が失墜させられる図を描いてみせるはずだった

イワンの議論は非常に説得的な、個人的なものの抑制と、非常な真正性をもって運ばれており、ために不滅のものとなった。神に対する調和に対する攻撃ははますます予言的性格を帯びていった。

芸術家ドストエフスキーの疑惑と疑念、それに道徳的調和に対する彼の熱望を表明する人物たちである。それはイワンカラマーゾフの神である。摂理的調和を彼があれほどまでに論理的独創的説得力をもって拒絶するところの神である。

摂理的調和を確立した神はこの調和が微視的不合理の無視にもとづくものであるというまさにその理由のゆえに、彼には受け入れがたいものであった。

ドストエフスキーはそれをアリョーシャやゾシマや正教のうちに見出させようとしたが、彼の詩学は、彼の描写能力の全重量を天秤の反対の受け皿に投じてしまったのだ。融合するということは幻想的であり、病的だった。

その他メモ

いま幾分かたったら、なんらかの方法でこの光線と融合してしまうのだ、という気持ちがしたそうです。ドストエフスキー 埴谷雄高p18

いやしがたい賭博壁があり、ルーレットの前に立つと、どうしても自分を押さえることができないのでした。 ドストエフスキー 埴谷雄高p79

苦痛は快楽である ドストエフスキー 埴谷雄高p84

では、私もひとつ自分の話をしよう ドストエフスキー 埴谷雄高p85

主題は 人はパンのみにて生きるあらずものにあらず ドストエフスキー 埴谷雄高p155

幸福は幸福の中になくて、ただその獲得の中にのみある、 ドストエフスキー 埴谷雄高p157

パン奇跡権威 ドストエフスキー 埴谷雄高p142

AFP通信によると

AFP通信によると、手紙はアインシュタインが晩年の1951~54年に、友人の物理学者らに宛てたもので、署名付きで英語で書かれている。

 54年に理論物理学者のデビッド・ボームに宛てた手紙には、「もし神が世界を創造したならば、最初に考慮したのは、我々に容易に理解させないことだったに違いない。私は50年来、それを強く感じている」と記している。手紙はボームの夫人の遺品から見つかった。

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