まさおレポート

住まいの履歴と定番の夢 

定番の夢を見た。何年かに一回見る夢で、ストーリーは少しずつ変わるがこの夢は住まいに特徴がある。玄関から奥のテラスまでに5,6室あり、玄関と反対側のテラスのある部屋まで相当の距離がある。今回のストーリーは荷が整理されて引っ越し直前のたたずまいである。なぜか高校の寮を出るときのように整理されている。

過去にこの定番のような家に心当たりはあるかを知るために住まいの記憶を辿ってみた。もとより夢のような大きな家には住んだことが無いので、夢と現実に住んだ家との間に何か関係するヒントがあるかどうか記憶を点描風に辿ってみた。

これまでに何回住まいを変えたか。旅行での長期滞在を除いて数えてみると、実に14回も家を変えている。そのほかにも仮住まいを加えると17カ所にもなる。住まいの履歴としてはかなり数が多い方だろう。

1 生まれ育った大阪府箕面市・・・旧西国街道に面した、江戸時代は参勤交代の馬も収容できる茶屋の後だと聞いた。馬小屋の部分には太い梁が天井を走る年代物の家で、長い間何故天井が無いのか不思議であったが、馬小屋の跡だと分かって合点がいった。江戸の昔、西国街道を大名行列してきて休憩所として利用したものだろう。相当ガタがきていたが太い立派な木材を使っていたために昭和の時代まで持ったということだろう。このむき出しの梁をネズミが縦横無尽に走り回り、時折はそれを追う白い蛇が梁に見え隠れした。家の中で代々繁殖した青大将が暗闇の為に白蛇となり、ときどき姿を見せては幼少の私を驚かせた。

2 小学6年の一時期住んだ大阪府豊中市上新田村・・・数十戸の一戸建て市営住宅群の一つに兄と住んだ。二間とキッチンに不釣り合いな広い庭があった。まだ未開発の原っぱや山が多く残り、愛犬と兎狩りが出来た。当時は銭湯までバスで20分ほどかかるという僻地。火葬場のむき出しの人骨の山、土埃を舞挙げて走るダンプカー、各学年一クラスしかない小さな小学校だが濃密な友人や恩師との関係など、短い期間ながらも思い出は深い。

3 高校の寮 香川県詫間町・・・今となっては不思議な縁と言うしかない。ふとしたきっかけで親元を離れて大阪から単身四国の片田舎の高校寮に入ることになる。旧海軍航空隊宿舎跡をそのまま高校の寮や実験棟に利用したもので木造の三階建て二棟が寮になっていた。8畳ほどの畳部屋に二,三人が住む。数は少ないが五人部屋もあった。近くの海岸には滑走路跡があり、投げ釣りでキスなどが釣れた。旧海軍宿舎にありがちな、トイレには幽霊がでるという話が伝わっていた。辺りは鄙びた漁村で月の出ていない夜は目の前に人が歩いていても見えないほどの真の闇を経験した。自家製の味噌でつくるうまい味噌汁と麦の混ざったごはんにいくらでもお変わりがきく自家製の黄色い沢庵が朝食だったこと、夕食時にはひょっこりひょうたん島をみながら仲間と雑談する。浜にある養豚場の近くで埋めた豚の肉を知らずに触ってしまった経験からトンカツが食えなくなったことの記憶がある。

4 NTT学園の寮 東京都調布市・・・二人部屋に、二段ベッドが置かれており、カーテンを閉めると多少のプライバシーがあった。大浴場、冬場のスチーム暖房のカチカチとなる音、お隣さんの部屋と共同で作るソーメンの夜食などが記憶にある。日活撮影所からロケに来た和泉雅子がグランドのベンチで相手役の誰かと座って語り合うシーンを目にしたこと、休日に急きょ三船プロからのエキストラ出演依頼があり、応じたこと、食堂にあったテレビでの大相撲観戦が日課であったこと、ある朝に晴れた青空にオレンジ色に光るUFOを目撃したことなどが記憶に残る。

5 東京都狛江市・・・あるアパート2階の一室。6畳と3畳の二間で共同トイレ。お隣では決まったように毎週の派手な夫婦げんかで壁が壊れるかと心配知るほどだった。警察に通報するか止めに入ろうかといつも心配したが、翌日には青あざを作った奥さんが何事も無かったように挨拶するという不思議な夫婦で、すでにそのころ不思議なSM夫婦の関係を知った。そのさらに奥には親切なご夫妻がいて大変親しかった。日大三校の野球場、野川沿いの散歩道、一度社宅に引っ越しをするために友人の車で引っ越し先まで行ったが、その社宅のあまりにひどさに引き返し、大家さんにお願いして再度住むことになったという可笑しな経験もした。おかげでNTTの厚生担当には当分の間睨まれることになり、なかなか社宅を世話してもらえなかった。

6 東京都三鷹市三鷹台…井之頭公園から歩いて30分ほど。当時はのどかな町だったがその後訪れた時は住宅が建て込んで全く昔日の面影がなかった。このアパートは2間あり、小さなキッチンがあった。かなり大きな物干し場を兼ねた庭があった。部屋に不釣り合いな上等のスカーレット色のカーテン、これまた不釣り合いなステレオ装置があった。この当時は不釣り合いなものが存在するのが特徴のようだ。2階の坊やが思いっきり飛び跳ねる騒音で折角の日曜日の朝寝が損なわれたこと、神田川沿いの銭湯が「かぐや姫」のヒット曲を連想させたこと、ある日のウィークデイに井の頭公園を訪れると、二人の若者がボートに乗ってウィスキーを飲んでおり、その芳醇な香りが湖水を漂ってきたことなどが今でも印象に残っている。この家の台所から見える塀にいつもいた可愛いが決して人になつかなかった雌猫と彼女を取り巻く雄猫たちの生活も観察して飽きなかった。この時に必ずしも強い雄猫が雌猫をものにするとは限らないことを知った。


7 東京都世田谷区 中町…NTTの社宅で2LDKだった。ソフトボールができる広場や砂場、簡単な遊園設備があり、各家には菜園がついていた。沢田研二が社宅内を子ずれで散歩に来たりしていた。近くの駒沢公園では当時はやったローラースケートを楽しんだ。第一園芸でナスやキュウリの苗を買ってきては育てて楽しんだ。

8 兵庫県芦屋市朝日ヶ丘町…お風呂場の天井が落ちてきてひやりとした。2間のアパートで、長期出張の仮住まいであった。奇妙な雰囲気を持つ親子が経営する喫茶店の思い出がある。母親と息子が経営しているのだが、なにかエキゾティックと言ったらよいのか、元宝塚女優のような雰囲気を持った母親と、当時たまに見かけたフォルクスワーゲンのビートルに乗っていた茶髪に染めた息子の組み合わせが妙に印象に残っている。

この後、
9 大阪府豊中市新千里南町
10 兵庫県西宮市堤町
11 千葉県浦安市
12 千葉県稲毛市
13 東京都町田市玉川学園
14 東京都町田市東玉川学園

と住んだが、ここまで振り返ってみるまでもなく、1の箕面市の家だけで定番の夢の根拠はおぼろげながら見えてきている。生まれ育った大阪府箕面市の家を初めとした家々の合成の結果が夢の家になっているのだろうと推測できる。

生まれ育った家は、幼少の頃に3分の2ほどの土地と家を売却してしまったので相当に狭くなったが売却以前は、古い家なら大概そうなのだが、かなり広いもので、2階建てで10室以上あったのではなかろうか。裏庭の彼方には竹藪と畑が広がっていた。どうもこれが夢のベースになっているらしい。

その原風景に普請だけは新しくなって夢の風景を形成している。それに寮を出るときの荷造りの様子やその他の家のパーツパーツが寄せ集まってミックスされて定番の夢が出来上がったと”合理的”に解釈してみたが果たしてあたっているのだろうか。概ねはあたっている気がする。しかし事実はもっと非合理なものによる結果かも知れない。

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