時折何気ない時に昨夜かあるいはその前日等に見た夢を思い出すことがある。「思い出す」というのは正確ではなく、記憶の断片のようなものが流星のように脳裏を走り去るその後姿を見るといったらそれに近い。そしてその流星のように去っていく記憶は一瞬の間だけ、「これは昨日の夢だ」としっかりした認識を与えてくれるが、ホンの数分でその記憶も消え去ってしまう。これは夢を朝目覚めた時に覚えていても起きて歯を磨くころには忘れてしまうのと同じ現象だ。記憶の糸が日常と繋がっていないので夢の記憶は膨大でに有っても思い出すことができないのだ。頭の中にはこんな記憶の流星群が無数に存在しているのだがこれらが自ら何かを自ら語りだすことは無い。夢の中かあるいは日常の亀裂のような認識空間にほんの時折顔を出すのみだ。
こんな夢の記憶空間に重要な意義を認めて熱心にそのことを研究する人もいる。かつて日経新聞の記事に紹介されていたその人は、夢は現実とは別の人生だという言葉で夢の記憶空間を表現していた。しかし残念なことに私も含めてたいていの人は意識的に夢の記憶空間にアクセスできない。夢のほうから一方通行で近づいてくれるのを待つばかりだ。この日経新聞の記事の人は、夢への意識的なアクセス方法を明かしていなかったが何らかの方法を持っているのだろう。あるいは明恵上人のように単に書き留めるという方法なのかもしれないが。
村上春樹は意識的に夢の記憶空間にアクセスできる能力を持っているらしい。彼のインタビュー集「僕は夢を見るために目覚めるのです」の題名がそのまま彼の能力を語っている。彼はたまたまその能力、つまり目覚めたまま夢の記憶空間にアクセスできる方法に目覚めたらしい。そして意識的にその能力を用いて物語を紡ぎだす。紡ぎだすというのは頭で考えだすのではなく、自然に物語が形作られていくらしい。このインタビュー集ではそのことが異なるインタビュアーに、これだけ繰り返されて同じことが語られるインタビュー集も珍しいと思えるほど繰り返し繰り返し語られる。彼の小説創作の企業秘密を明かしているようだが、夢(あるいは夢様の記憶空間)にアクセスできるとは明かしているがどのようにその扉を開けるか、そしてその扉から出てくるかはこの分厚い一冊でもついぞ明かしていない。特には扉から出てこれなくなるという警告までがなされている。
この夢の記憶の倉庫は各人の地下2階にありその入り口に普通の人々は気が付いていないという表現でしかインタビュー集「僕は夢を見るために目覚めるのです」では語られない。きっと地下2階の入り口をあける何か秘密の呪文でもあるのだろうと冗談の一つも飛ばしたくなるのだが。
その記憶の倉庫では記憶は日常の論理や風景、時間軸にそった経験などという分類基準になっていない。この空間では分類基準は「物語」だという。つまり夢の記憶が詰まっている地下2階の中身は「物語」という機能でしか見ることはできない。ここでいう物語は無意識化で生み出されるストーリーで、頭で考えだしたものではない。彼の言葉によると(自己という)虚無(アボイド)が作り出すものらしい。
とすると誰もが絶対に見ることができない存在である虚無である自己を見る唯一の方法が、優れた物語を読むことであるということになるらしい。