まさおレポート

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紀野一義の「ええなあ!という人生 肯定、肯定、絶対肯定して生きる」

2019-08-26 | 紀野一義 仏教研究含む

町田図書館で紀野一義の「ええなあ!という人生 肯定、肯定、絶対肯定して生きる」が目に入ったので読んでみた。この方の本は結構読んでいて内容は知っている話が多かったが繰り返しても大変面白い。

宮沢賢治の煩悩の詩、そして流し目、横目で人を見る男女には気をつけろの忠告がこの本の収穫だった。そういえば政治家の某氏は横目で人を見る癖があるな、一度目にしたことのある某宗教団体リーダーも横目で人を見る癖があった、黒革の手帳の米倉涼子は演技で盛んに横目を使っていたなどと思いながら読んだ。実に鋭い観察眼だ。

ところで紀野一義氏の述べるように肯定、肯定、絶対肯定して生きるというのは現代においては実に難しい。成功者、勝ち組などの言葉がはびこり、グローバル社会で成功を収めるビリオネアがもてはやされる世の中だ。清貧などというのは死語になりつつある。ビジネス中心に回る世界でだれもそんなことは歯牙にもかけない。私が小学生の頃にはまだ清貧を目指す人も存在したが今は皆無に近い。

自身もそうだったが我が子にもやはり社会に出て成功してほしい。豊かな生活をしてほしい。だからみんな成功者になってほしい。しかしこの願望の根本的な矛盾を誰も口にしない。かつては紀野一義氏のようにバランスを口にする人も存在したが今は目にすることがない。

成功者がいないと日本の国は困ることになる。だからどんどん成功者を目指す若者が出てこなければ国は衰退する。グローバル社会になればなおさらだ。しかしバランスというものがある。この成功願望の根本的な矛盾についても知る必要があるがそんなことを考えていてはネガティブだと切り捨てられる。こうして私自身も含めてこの種の思考回路は閉ざされ埋もれてしまい、考えることすら極めて難しい課題になっている。

思えばインドで発祥した仏教も商業の発達とともに姿を消し、南と北に流れてタイや日本などで生きながらえている。清貧と経済活動がうまく融和したからだ。今ではそうした葛藤の歴史も忘れられ葬式の儀式のみで人々と接している存在になっている。

キリスト教の国でもプロテスタントがビジネスとの葛藤の悩みを解き放ったと学んだがやはり今では当時の悩みを抱えている人は少数だろう。

世界の思想の潮流は数百年単位で波を描くともいう。再びかつての悩みと逆の思考の模索を始める時が来ている気がする。

初稿2019-08-26 13:21:09

藤井4段で升田幸三を思い出す 幸田文、升田幸三、紀野一義、加藤登紀子、吉田健一、西堀栄三郎で思い出すこと

 
 

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