2018/2/9 加筆
スメルジャコフの父がグリゴーリーであるかもしれない、可能性は否定できないと書いたが、その後読み返してみてやはりその可能性はあるなと。さらにフョードルも父親である可能性があるのでスメルジャコフの母スメルジャチフは双方と関係していたのかもしれない。
スメルジャコフの不自然な自殺は謎だがあるいはこの事実と関係があり、書かれなかった第二部への伏線になっていたのかもと想像してみる。例えばグリゴーリーがスメルジャコフ犯行を目撃した事実をスメルジャコフに告げ、それを聞いてスメルジャコフは絶望した可能性もある。
2012-04-10 初稿
彼はなぜドアが開いていたと証言したのか。これがカテリーナの証言である、ドミトリーが酒場で書いた殺人を計画する文書の提示と合わせてフョードル殺人事件での長男ドミトリー有罪の決定打となる。
頑固者の単なる勘違いと読み取るにはこの部分だけがあまりにも不自然だ。弁護士フェチコビッチはグリゴーリーが当時西暦何年かもしらぬ無知な男だと証明するが、さりとてそのことが裁判での彼の証言の信憑性に陪審員をして疑問を抱かせたとしても、彼がフョードルの家のドアが開いていたとなぜ証言したかの説明にはならない。
①グリゴーリーがドミトリーを憎むあまり犯人にしたかった、あるいは②スメルジャコフ犯行をなぜか隠したかった、いずれの妥当性の暗示も作者は示していない。グリゴーリーはドミトリーの母親を毛嫌いしていたことが作中に示されるが、それとてドアがあいていたとしてドミトリーを陥れようと考えることとはちょっと無理がある。
唯一のヒントは「女好きな人々」の章でグリゴーリーとスメルジャコフのなれそめを述べている事で、しかし読者はグリゴーリーが「女好き」だとは非常に違和感を持つと思うが、作者はグリゴーリーの秘密の何かを暗示したかったのだろうか。もしかしてスメルジャチフを腹ましたのはグリゴーリーということもありえるのか、そうするとスメルジャコフは彼の子どもという事になる。
スメルジャチフ(スメルジャコフの母で神がかり)がわざわざ彼の家の風呂に来て子供を産んだということはその可能性も暗示するのか。作者は決定的な説明は避けて、フョードルの息子だと世間が噂しているというレベルでとどめている。しかしフョードルがスメルジャコフの父だとの自覚があるのなら、いくらなんでもスメルジャコフを下男やコックにしてみじめな状態にしておくだろうか。フョードルには自らが腹ましたのならその自覚が多少はあり、なんらかの気遣いを見せるはずだが、グリゴーリーの折檻をやめさせたとあるだけで、折檻に対して激しく怒ったとかの記述はない。まあ、このフョードルならありえることかもしれないことなので一層、フョードルが父でないことはおぼろなことになる。
グリゴーリーは息子スメルジャコフをかばうためにドアが開いていたと嘘の供述をしたかもしれない。「書かれなかった第二部」でその事実は明らかにされるのかと想像を膨らませる事も可能である。