「タカシマのやっていることは、私に言わせればだが、なにも考えないロボットを作り出すことだ。人の頭から、自分でものを考える回線を取り外してしまう。ジョージ・オーウェルが小説に書いたのと同じ世界だよ。」「脳味噌の纏足のようなものだ」
これはジョージ・オーウェルが「1984年」で描く世界と同じ世界をオームが作り出そうとしていることをのべているようだが、ここからこの本「1Q84という題名がとられている。ジョージ・オーウェルの「1984年」と1984年が「なにも考えないロボットを作り出すこと」という時代性に一致点を見いだそうとしているのか。
「狂いを生じているのは私ではなく、世界なのだ。」
「パラレル・ワールド」
「1Q84」は青豆にそう言わせる奇妙な世界を描く。月も2つあるし。運転手にも「でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。」と念を押されるし。パラレル・ワールドなのだが、「現実というのは常にひとつきり」という世界でもある。
「(シンフォニエッタを作曲したヤナーチェクの国)チェコ・スロバキアを想像した。・・・ヒットラーがいずこからともなく出現し、その小じんまりとした美しい国をあっという間にむさぼり食ってしまうのだが、そんなひどいことになるとは、当時まだ誰一人としてしらない。・・・歴史が人に示してくれる最も重要な命題は「当時先のことは誰にもわかりませんでした」ということかもしれない」
おぞましい事柄もおとぎ話風の表現にしてしまう。おなじみの文体。
「しかしなぜ、その音楽がヤナーチェクのシンフォニエッタだとすぐにわかったのだろう・・・そした何故それが1926年に作曲されたのだとしっているのだろう。・・・開いた窓から一群の鳥が部屋に飛び込んでくるみたいに。・・・その音楽は青豆にねじれに似た奇妙な感覚をもたらした。」
「銃撃戦、と天吾は思った。そんな話を耳にした覚えがある。・・・無理にも出そうとすると、身体全体を強くねじられるような感覚があった。」
青豆と天吾は共通のねじれに似た奇妙な感覚をもっている。青豆はヤナーチェクのシンフォニエッタで天吾は本栖湖の銃撃戦で。
「父親でない男が母親の乳首を吸っているという状況の意味あいが、もちろん一歳半の幼児に判断できるはずはない。・・・時間にして十秒ほどのその鮮明な映像は、前触れもなしにやってくる。・・・今回の発作は長く続いた。・・・まぶたを開くことができるようになるまでに時間がかかった。・・・季節を間違えて、予定より早く目を覚ましてしまった冬眠動物のように・・・天吾の意識はそのイメージを通して辛うじて母親に通じている。」
青豆にはヤナーチェクのシンフォニエッが、自分の記憶にないのに知っている。一方、天吾は「一歳半の幼児に判断できるはずはない」記憶とも呼べない記憶が「感情の平原のどこかで不吉な砂嵐が発生しようとしていた。」予感と共に、繰り返し現れる。両者とも、記憶にないものによって宿命を運ばれていくようだ。この両者の記憶がお互いにたすきがけで、ふたりを結びつけているのだろうが、天吾の「男が母親の乳首を吸っている」記憶がどのように青豆に結びつけているのかはわからない。
「環は青豆が生まれて初めてつくった親友だった。」
その環を襲った男の家を「破壊は念入りだった。」ほど復讐し、
「彼女が関心を抱くのはなぜかいつも、甘い顔立ちの内容空疎な男たちだった。」そんな夫によって「彼女は自宅で首をくくって死んだ。」
この男を青豆は「それを実行に移した。躊躇なく、冷静に的確に、王国をその男の頭上に到来させた。」と復讐を果たす。
「これを境にして私はもう以前の私ではなくなる、青豆は強くそう感じた。」
女友達を襲う男どもに対する復讐が彼女の人生そのものになる。
「母親は日傘を手に、何も言わずにさっと席をたった。・・・何かを訴えるような、不思議な光が宿っていた。ほんの微かな光なのだが、それを見てとることが天吾にはできた。この女の子は何かの信号を発しているのだ。」
「布教活動と集金業務の違いこそあれ、そんな役割を押しつけられることがどれほど深く子供の心を傷つけるものか、」
布教する女と連れ歩かれる子供という情景は村上春樹の「東京綺談集」にも描かれている。繰り返し描かれるこの情景は作者の重要なメッセージなのだろう。
「NHKの集金人が受信人の支払いを拒否した大学生と口論になり、鞄にいれて持ち歩いていた出刃包丁で相手の腹をさして重傷を負わせた。」
天吾の父親もNHKの集金人だが、この事件を何のために挿入したのか。パラレルワールドで起こった天吾の父親の事件なのか。重要な挿話なのだろうが。
「彼の中に含まれている何かを父親は憎んでいる。」
父親は実の親ではなさそうで、逓信省の役人がどうも実の親か少なくとも実の親に絡んでいるらしい。妻をこの男に寝取られたのか、しかしよくわからないまま。
「ひとつ覚えておいていただきたいのですが、ものごとは見かけと違います」
「でもね、メニューにせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」
悪い予感というのは、良い予感よりずっと高い確率で的中する。
「君は小説家になりたいんだろう。だったら想像しろ。見たこともないものを想像するのが作家の仕事じゃないか」
「あいつらはね、忘れることができる」
「でもこっちは忘れない」
「歴史上の大量虐殺と同じだよ」
「やった方は適当な理屈をつけて行為を合理化できるし、忘れてもしまえる。見たくないものから目を背けることもできる。でもやられた方は忘れられない。目も背けられない。記憶は親から子へと受け継がれる。世界というのはね、青豆さん、ひとつの記憶とその反対側の記憶との果てしない闘いなんだよ」
「警察なんて何の役にも立たない。見当違いなところで見当違いなことをやって、話がますます面倒になるだけだ」