まさおレポート

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紀野一義の研究52 宮沢賢治

2022-01-24 | 紀野一義 仏教研究含む

紀野一義氏のyoutube講演録メモです。


土砂降りの雨の中を高村光太郎の山荘を訪れた。そらが日本晴れになった。宮沢清六さんのいるところへ行った成島の毘沙門天へいった。胸突き八丁を登っていくと清六さんは上を向いてああいいなあ、シェイシェイするなと。全山紅葉している。真っ青な空が海みたいに見えるんです。ちくしょうちくしょうとさけびました。お堂のうしろの杉の木が風でごーっとなるんですよ。

宮沢賢治、春と修羅、雲の信号より

あゝいゝな せいせいするな

これは法華経の行者の気持ちをひとことで言い表していると思いますね。

質直意柔軟、つまり馬鹿まる出しを清六さんがわたしに見せてくれた。

しかし賢治はせいせいするなという世界だけじゃないんですね。

この方はもとは念仏だったが東京で法華経に。妹が病気になり盛岡に帰った。宮沢賢治は盛岡に帰り先生をしながら妹の看病をする。


宮沢賢治 屈折率

屈折率
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
  (またアラツデイン 洋燈とり)
急がなければならないのか


明るい森にはいかず陰気な郵便脚夫のやうに急ぐ。宮沢賢治は法華経の信心を確実に届けようとしたんですね。陰気な一面とせいせいしたい面が分裂している、それを阿修羅という。

陰気な生き方しかできない賢治がせいせいする生き方を目指している、そのように読めますね。

インドの霊鷲山は日本では鞍掛山だったわけですね。そこからの景色で自分を励ましていたんでしょうね。

妹のとしこは今度生まれてくるときは自分のことばっかりで苦しまないように生まれてくる。どうせ苦しむんだったら人のことで苦しむように生まれてくる。

としこさんは賢治がとってきた雪を食べて成仏したと思いますが賢治はそれではすまないんですね。北海道へ行き、さらに樺太まで行く。どこまでも続いていく世界というのが人間の世界なんじゃないでしょうかね。

現代人はそうだと思いますがいくらお題目を唱えてもいくらお念仏をとなえても落ち着かない時は落ち着きませんし。

こころ迷えば法華に転ぜられるという世界はあるんですけどやっぱり迷う、それが人間ていうもんじゃないでしょうか。

氏は「せいせいするなと色紙に書いたりするがあれはわたしが書いたんじゃない、法華経が書かせたんですね。」と

肯定肯定絶対肯定という世界ですね。この世の中は大変なのにそんなにうまくいくかという人もでてくるし、出てきて当然だと思いますがそうであってもせいせいして生きていくと言うのが法華経的生き方じゃないでしょうか。

さまざまなことが法華経によって教えられていますので皆さんの中で是非法華の花というものを咲かせていただきたいと。

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