Netflix 「罠の戦争」一介の大臣秘書が息子の事件をきっかけにその犯人を探すためにひょんな事で国会議員になってしまう。息子を傷つけた犯人探しに熱中するうちに首相補佐官になり、本来の息子を傷つけた犯人探しを口実に権力を追い求め、そんな自己を正当化して全く顧みない男になる。
「弱い人を助けるためには力がいる」と権力を追い求めているうちにどんどん権力欲が肥大していく人間の恐ろしさを実に上手に描いている。
初心は純粋だった志、世界の人類のためといった事業への欲求はいつしか自己目的化して自らの財力のための財を求める人間に変質していく。追い落とされるか上り詰めるかの2者択一を迫られることになり、それを言い訳にして何ら恥じることがない、権力と金には魔力があると言ってしまうにはイージーすぎる人間の本質が背後にある。これを業とか無明というのだなと。
主人公は幸途中でその危険性に目覚める。この魔性のサイクルに入ってしまうことを避けるにはどうすれば良いのか。ここでは主人公の妻が離婚を迫り、初めて主人公は目覚める。
魔性のサイクルに入るのをこれらの世界では一皮むけるとか大人になるとか言う。
かつて映画「冒険者」をみて、当初は弱い農民のために革命に身を投じ、権力を持つと逆に圧政側に変身する人間という存在を強く印象づけられたが、邦画ではこのようなテーマを扱う作品を初めてみた。