まさおレポート

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公正世界仮説とカラマーゾフの兄弟

2020-05-05 | 小説 カラマーゾフの兄弟

公正世界仮説は世の中は公正で安全で秩序のある世界だと信じたい人々の認知バイアスであり、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものであると考える思い込みだとの仮説だ。世の中が理不尽で不合理なものだと知るとそれを社会システムのせいと考えず被害者の落ち度だとあきらめる傾向がある。つまり人々は世界を予定調和だと考えたい傾向があるという。

カラマーゾフの兄弟でイワンは予定調和を否定する。これは公正世界仮説の否定だろう。

「世界のフィナーレ、永久調和の瞬間にはすばらしく価値ある何かが起こり、現れてすべての人間の心を満たし、すべての怒りを鎮め、人間の罪や、彼らによって流されたすべての血をあがなう、しかもたんに人間に生じたすべてを許すばかりか、正当化までしてくれる、とな。・・・やがて平行線も交わり、おれ自身がそれをこの目で見て、たしかに交わったと口にしたところで、やはり受け入れない。」

「俺が受け入れないのは神じゃない、いいか、ここのところをまちがうな、おれが受け入れないのは、神によって創られた世界、言ってみれば神の世界というやつで、こいつをうけいれることに同意できないんだ」亀山訳

「・・・ついでに言っておくと、・・・悪魔は甘いものが大好きなんだそうだ・・・俺はこう思うんだ。もしも悪魔が存在しないなら、つまり悪魔を人間が作ったんだとしたら、人間は悪魔を自分の姿に似せて作ったという事さ」亀山訳p226

「銃殺にすべきです」・・・「おまえの心のなかにも悪魔のヒヨコがひそんでいるってわけだ、アリョーシャ! ・・・この世には、そのばかなことがあまりに必要なのさ。世界はこのばかなことのうえに立っているし、もしもこのばかなことがなかったら、世界にはきっとなにも起こらないかもしれないんだ。おれたちが知っていることなんて、たかがしれているんだよ!・・・おれは理解しないって決めたんだよ。・・・事実に寄り添っていることに決めたのさ」 亀山訳p241

「苦しみは現に存在する、罪人はいない、万物はしごく単純素朴に原因から結果が生まれ、流転し、均衡を保っている。・・・おれに必要なのは復讐なんだよ。・・・無限のかなたじゃなくてこの地上で実現してほしい。・・・おれが苦しんできたのは、自分自身や、自分の悪や苦悩で持って、誰かの未来の調和に肥やしをくれてやるためじゃないんだ。おれは自分の目で見たいんだよ。鹿がライオンのとなりに寝そべったり、切り殺された人間が起き上がって自分を殺した相手とだきあうところをな。・・・調和なんていらない、人類を愛しているから、いらないんだ。それよりか、復讐できない苦しみとともに残っていたい。・・・おれは神を受け付けないんじゃない。・・・その入場券をつつしんで神にお返しするだけなんだ。」 亀山訳p243

この世界において全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられると考え、そうであることを期待する傾向は予定調和そのものだ。この世に正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、ダルマが存在する感覚や 「いつか罰が当たる」「正義は最後に勝つ」「努力すれば必ず報われる」と未来に対してポジティブな姿勢をもつ傾向がある。カラマーゾフの兄弟でアリョーシャは公正世界仮説の信奉者と描かれる。つまり神への信仰をもつかどうかと重なる仮説であることがわかる。

公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合「現実は非情である」とは考えない。現実を合理的に解釈して「犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する。アリョーシャやゾシマ長老は公正世界信念の保持者だ。下記のゾシマ長老の引用では両親の家庭での幼時期の貴重な思い出に合理的な原因を求めている。 

「両親の家庭から、私は大切な思い出だけをたずさえて巣立った。なぜなら、人間にとって、両親の家庭での最初の幼時期の思い出くらい貴重な思い出はないからである。それはほとんどいつもそうなのであって、家庭内にほんのわずかな愛と結びつきさえあれば足りるのである。もっとも劣悪な家庭の生まれであったとしても、大切な思い出というものは、本人の心がそれを探し出す力をもっているならば、心に保たれているものなのである」原訳

公正世界仮説を信じている人は、生活満足度と幸福度が高まり、神経症的傾向や抑うつ的な感情が減少し心理的なバランスや長期目標、幸福感を維持する基盤となっているともいう。信じない人は抑うつ的になるとも。ゾシマ長老の言葉を借りよう。

「この地上においては、多くのものが人間から隠されているが、その代わりわれわれは他の世界-天上のより高い世界と生ける連結関係を有しているところの、神秘的な尊い感覚が与えられている。それに、われわれの思想、感情の根源はこの地にはなくして、他の世界に存するのである。哲学者が事物の本質をこの世で理解することは不可能だというのは、これがためである。神は種を他界より取ってこの地上にまき、おのれの園を作り上げられたのである。そして人間の内部にあるこの感情が衰えるか、それともまったく滅びるかしたならば、その人の内部に成長したものも死滅する。そのときは人生にたいして冷淡な心持になり、はては人生を憎むようにさえなる」亀山訳

罪のない人々が苦しんでいるという不公正な現実を再解釈して、実は彼らは苦しむに値するだけのことをしたのだとする。それに対してイワンは激烈な非難を繰り広げる。

「俺にはよくわかるんだ。鞭をくれるたびに性的な快楽、そう、文字通り性的な快楽を覚えるくらい熱くなっていく連中がいることをね。・・・ この場合、迫害者の心をかきたてるのはなんといっても子供という存在の持つ無防備さだし、どこにも逃げ場がない、だれにも頼れない子供の天使みたいな信じやすさだ。そいつがまさに、虐待者の呪われた血を熱くする正体というわけさ。」 亀山訳p236
 人間の根底にサド・マゾが潜んでいる。つまり悪魔が潜んでいる。そんなやっかいな呪われた「人間」を何故神は予定調和のもとに創ったのだというイワンの非難だ。鞭身派及び去勢派らしいスメルジャコフを無意識に非難している。

 「この子が犬に石をなげ、足にケガをさせたとのことですという報告がなされる。・・・仕置き小屋から子供が連れ出される。・・・『追え!』将軍が命令する。・・・犬どもは、子どもをずたずたに食いちぎってしまう!・・・こいつをどうすればいい?・・・銃殺にすべきか?」亀山訳

イワンは公正世界仮説を信じている人は退屈な人生をおくるバカだとも非難する。 

私は大っぴらに自分の絶滅を要求する。奴らは、だめだお前がいなければ何もかもなくなってしまうから生きていろという。もし地上のあらゆるものが理性にかなってしまったら何事もおこりはしまい。出来事はなければならんというわけさ。・・・苦しみがなければ、人生からどんな喜びが見いだせるかね。なにもかもが無限のお勤めに代わってしまうのが落ちだろう。それは神聖かもしれないがいささか退屈というものだ。

わが地球と来たら百万回繰り返してるのかもしれないんだぜ。地球は死に絶え、凍り、罅割れ、粉みじんにくだけ、その構成要素に分解されて、水が再び天空を多い、そして再び彗星が生まれ、再び太陽が生まれ、再び地球が太陽から生まれる この進行はおそらく無限回繰り返される。はなはだ体裁の悪い退屈な営みなんだ。亀山訳

イワンは公正世界仮説つまり予定調和を信じない代わりに自己のうちに完璧な調和を求める。それが彼の人格を破壊していくとドストエフスキーは描く。人は公正世界仮説を信じなければ一歩もあるいていけないと言いたげだ。

「あの最後の夜、いったい何のために、泥棒さながらこっそりと階段口に出ていき、親父が階下で何をしているか、じっと耳をすましていたのか?あとからこのことを思い出した時に、なぜいやな気持がしたのか?…モスクワ市内に列車が入るころ、自分はなぜ、<おれは卑劣な男だ!>と心のなかでつぶやいたのか、という問いである。」亀山訳4巻p285

「殺すなどということは……どんなことがあっても、あなたにはおできになりませんし、お望みでもありませんでしたが、だれかほかの人が殺すことは、あなたが望んでいたことでございます」・・・おまえに言わせると、このおれは、ドミートリ―兄貴にあの仕事をまかせ、ひたすらやつを当てにしていたということだな?」亀山訳p296

ドストエフスキーは公正世界仮説つまり予定調和を信じない人々を悪魔と呼びたそうだ。

「そこで彼はなぜかふと、兄のイワンが妙に体を揺らしながら歩き、後ろから見ると右肩が左肩よりもいくぶん下がっているのに気づいた」

「兄さん、話しているときの顔が変です」

「じゃ、だれが人間を愚弄してるんだい、イワン?」
「悪魔でしょう、きっと」イワンがにやりと笑った。
「じゃ、悪魔はあるんだな?」
「いませんよ、悪魔もいません」亀山訳

だからといってドストエフスキーは悪魔を否定すべきものとは考えていない節がある。ヒンドゥ教の善と悪のようにどちらも存在してこそ世界がなりたつと考えている節がある。

「人類は最終的に形が整う。だが、人間のぬきがたい愚かさを考えれば、おそらく今後1千年間は整わないだろうから、すでにもう真理を認識している人間はだれも、新しい原則にしたがって、完全に自分のすきなように身の振り方をきめることが許される。この意味で彼には「すべてがゆるされている」ってわけ。…神の立つところ、そこがすでに神の席ってことだ!」亀山訳4巻p395

イワンの思想に作者の思想をにじませるが、作者ドストエフスキーは公正世界仮説つまり予定調和に従い結局イワンを狂わせざるを得なかった。ドストエフスキーのもう一つの分身であるイワンに公正世界仮説つまり予定調和に戦いを挑ませ一矢報いよとしたが矢折れ力尽きたという悲劇を取った。

公正世界仮説は仮説である。それゆえに両論がいつまでも続くことになる。いつかは仮説がとれる時代がくるのだろうか、あるいは永遠にその仮説を続けるのだろうか。おそらく永遠に続けることになるだろう。すると最後は好き嫌いで判断する以外にない。


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