まさおレポート

アキオ紀行バリ

深谷陽の劇画「アキオ紀行バリ」を知人が送ってくれた。バリでの旅の思い出をつづった劇画でバリ語がそのままアルファベットで字幕のように書かれており、フムフムと思い出しながら読み進めることができる。ENAK〔旨い) や TIDA APAAPA(問題ない)はバリにいるときはよく使う。食べ物もなじみの単語が続々と登場する。サテ・アヤム(ヤキトリ)やサテ・カンビン(山羊肉焼き)そしてミノム(飲む)やマカン(食べる)などなど。シンケンケンもティダアパアパと同じく問題ないという意味(= no problem)でバリ人はよく使うがこの本では出てこない。

バリに旅したアキオがワルン(小さな食堂)の娘アマリアに恋をして言葉や風習で苦労しながらなかなか先に進めないバリ・ウブドでの生活を描いている。身につまされる話やシーンが出てくるので最後まで1時間くらいで読んでしまった。

アキオがウンコがしたくなりフレンドにその旨伝えると、OKといってタオルと石けんを持って川に連れて行かれるところは爆笑ものです。言葉が通じているのか通じていないのか、なんでもOKOKといって結構とんちんかんな誤解は旅先でよく経験する。アキオもそういった経験がしばしばあるのでちゃんとトイレに行きたい気持ちが伝わっているのか心配でならない。トイレではなくてちゃんと川に連れて行って川の中でするはめになる。

バリ(にかぎらないが)でフレンドとはきわめて軽い意味での知り合いにも使う。旅先でやたらフレンドフレンドと近づいてくる人間には要注意なのです。案の状このフレンド君も別れ際に金をせびる。

私も17年ほど前にバリに一人旅をしたときに似たような経験がある。バリ・デンパサールの博物館を訪れた時に二人組のバリ人青年と知り合った。マデとカトーでマデはデンパサールにあるユタヤナ大学の学生、カトーはすでに結婚している僧侶階級の家の息子でマデより年長の27歳だ。バイクで街を案内するという。それ以来連日のようにホテルに迎えに来る。人柄もよく安心できるので毎日のように車やバイクで出歩いた。毎日ガソリン代と食事はこちらで出していた。

カトーの家は豚の丸焼きをサヌールで商っているので家には豚が飼われていた。これが驚くほど清潔に飼われており、日本の豚小屋のイメージからは想像がつかない。豚丸焼きはバビグリンと呼べれるのだが、バビグリン用の豚は洗い清められたような真っ白い毛にゴミひとつついていない。床も水でぴかぴかに洗い清められている。これには大変感心した。その家でビールや食事を振る舞われたりした。カトーの奥さんは乳幼児を抱えて挨拶に来たがかなりチャンティック(美しい 可愛い)な女性であったことを覚えている。

バリに一月ほど滞在し帰国することになって又お礼の意味で少しお金を渡した。そして日本に帰り一月ほどたって彼らから手紙が来た。マデからはウォークマンがほしいと書いてあり、カトーは乗り回したオーストラリア製の車が動かなくなって修理代を援助してほしいと書いてあった。そのときはその無心の手紙にがっかりしたので断りの手紙を送った。

今ではそんなことではがっかりしたりはしない。日本人はこうした要求は不純だと考えてしまう。つまり下心があって近づいてきたのだろうと考え、すっかりそれまでの親切はかすみ逆に腹立たしさが募る。たぶん儒教的な文化のせいだろう。バリでは親切は親切、要求は要求でだめもとなのだろうし、要求することに対してまったく屈託がない。断られればあっさり引き下がることが多い。挨拶代わりだと思えばよいのかもしれない。もっと背景を考えてみればおもしろいかもしれないが今はとにかく彼らに悪気はないのだと頭を整理している。

アキオ紀行バリの続編はどうも書かれていないらしい。ベトナム編が2冊出版されているのみだ。ワルンの娘アマリアとの話はどうなったのか。深谷陽ももうのんびりとバリに行っている暇もないのかもしれないが続きが読みたいものだ。


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