まさるの一口馬主日記

「一口馬主」の視点から競馬を語ります。競馬以外では男声合唱、野球観戦、ヘラブナ釣り、旅行等で余暇を楽しんでいます。

神馬ディープインパクト

2006年11月27日 22時31分46秒 | 今日の日記
ディープインパクトの勝利で日本競馬は救われたと言ったら大袈裟でしょうか?

人間の巷説や喧騒などお構い無しにディープインパクトは彼自身の競馬をしてくれました。本当に素晴らしい胸のすくようなレースでした。レース自体のあがりが早い中で、最後方からの豪快な大外からの捲くりの競馬。直線は飛んでいましたね!
私は電気屋で失神しそうになりました。

サッカーのワールドカップで3敗して日本サッカーは「10年後退してしまった」などとマスコミで叩かれていましたが、同じような事が競馬でも言われたかもしれません。
そう、今回の勝利はまさに日本競馬の威信を示すものだったと考えます。

武豊騎手は将来のこのようなシナリオをイメージして「英雄」と名付けたわけではないでしょうが、実際日本競馬の「英雄」になったレースでもありました。
やはりユタカ騎手は展開が読める天才だったのです(笑)

今日のディープ

2006年11月27日 21時49分15秒 | まさるの「この一頭」
池江泰郎師「勇気もらった」/ジャパンC(11月27日)

検量室前でディープインパクトを迎える池江泰郎師の表情は、終始硬かった。ノーザンファームの吉田勝己代表から握手を求められた時にわずかに笑みをこぼしただけで、再び口元をギュッと結んだ。喜びだけではない、特別な感情に支配されていた。「胸がじーんとなった。熱くなって、体内の流れは涙でいっぱいだった。ディープにありがとう。もうそれだけだったですね。感謝、感謝です」。
声を絞り出し、ゴールの瞬間を振り返った。

 凱旋門賞3着の敗戦ショックが冷めやらぬ10月19日、禁止薬物検出の知らせがもたらされた。失格処分が確定した16日、そしてこの日の帰国第1戦を終えるまで、気の休まる日は1日もなかった。薬の不正使用はしていない。その点に関して、揺るぎない自信を持っていた。しかし主催者間の申し合わせで沈黙を守ったことと、結局は不注意が原因とされたことで、非難を浴びせる世間の声とのギャップに戸惑った。

 「この2カ月近い期間は、自分にとって1年を思うような過ごし方だった。1日が苦しく長かった」。65年間の人生でも最大の試練を課され、1人で悩みを抱える調教師を救ったのは、無垢な馬の走りにほかならなかった。「ディープは何も知らない雰囲気で、ディープらしい姿を見ていると、このままじゃダメだと思った。ディープに勇気をもらう毎日でありました」と頭を下げた。調教に際しては普段と変わらず職人として目を配った。そして無駄な脂肪をそいだ究極の馬体に仕上げ、インパクトを送り出した。

 「人生、山あり谷あり。つらい時があれば倍になって返ってくる。そんな思いです」。馬に対して責任を果たしたトレーナーは、残る有馬記念に全力で臨む。

今日のディープ

2006年11月27日 21時42分25秒 | まさるの「この一頭」
武「本当の走りができた」/ジャパンC(11月27日)

凱旋門賞(3着後失格)の雪辱を期したディープインパクト(牡4、栗東・池江泰郎)が、直線で外から豪快に伸びて圧勝。ダービーを勝った思い出の地で、その実力をあらためて見せつけ名誉挽回を果たした。2着はドリームパスポート、3着はウィジャボード。2番人気のハーツクライは直線で失速し、10着に大敗した。インパクトはこの後、引退レースの有馬記念(G1、芝2500メートル、12月24日=中山)で有終の美を目指す。

 拍手と歓声の風の中、ディープインパクトは重心を沈ませ一気に突き進んだ。過去最大のプレッシャーから解き放たれた武豊騎手はゴールの瞬間、右手を握り締める。ウイニングランでは、12万人が埋め尽くしたスタンドに向けてこぶしを突き上げた。そして、何度も何度もインパクトの首筋をたたき、激走をねぎらった。期せずして沸き起こるユタカコール。これにこたえて、万歳を繰り返した。「フランスでは残念な結果だったし、負けられないと思っていた。この馬の本当の走りができて良かった。気分よく走ってくれたし、いい形で運べた。直線は楽しそうに走っていた」。

 武からのゴーサインは残り700メートルで送られた。最後方に位置していたインパクトが、ジリジリとポジションを上げる。世界一のデットーリ騎手が乗るウィジャボードを視界にとらえ、離陸の機会をうかがった。最終コーナーを回る時には「何よりもうれしかった」(武)声援が、ゴールデンコンビをバックアップ。直線の広大なスペースで、インパクトは小柄な体を思い切り伸ばした。首を投げ出して一刻も早くゴールへ、1センチでも前へと四肢を伸ばす。坂の下で飛び始めた時に、天才は「『よし!』というより『大丈夫!』という感じ」と勝利を確信していた。デットーリは「ウィジャボードは世界一の牝馬だけど、世界一の牡馬に負けたんだから仕方ない」と武を祝福した。

 凱旋門賞からの帰国後、年内での引退発表、禁止薬物の検出と、インパクトを取り巻く環境は一変した。レース前、武は「この一戦に臨むスタッフの気持ちは皆さんにも理解してもらえるはず」と話した。すべてを払しょくするためには、勝つしかなかった。インパクトの力を誇示するしかなかった。「彼らしい走りができるように、乗ることだけを心掛けた」。無心で乗った。ゲート内ではインパクトの首を横に向け、あえて気をそらせた。「じっとしているのが嫌いな馬なので」。細心の注意を払ったスタートで、勝負の大半は決した。苦楽を共にしたパートナーの能力を信じ、あとは楽しむだけだった。

 この後に待つレースは有馬記念ただ1つ。「もう1回だけじゃなく、もっと乗りたい。でも、もう決まっていること。すべてをかけたい」。90年の有馬記念、オグリキャップがラストランを勝利で飾った。その時も、あん上は武。16年の時を経て、再びスーパーホースを栄光へ導く。