また行きたいな! ハワイ島

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マックヘンリー要塞 2 (4/30)

2018-07-18 05:34:23 | 2018/4 アメリカ横断
ビジターセンター内にあった展示物、そして短編映画を鑑賞した後は
お待ちかねマックヘンリー要塞へ向かいます。
ビジターセンターからだと、距離にして約300mぐらいでしょう。



1812年からの米英戦争当時についてのサインボードが、通路に
数か所置かれていました。

1814年、英国軍はアメリカ東海岸の制海権を掌握します。
その後、ワシントンD.Cへ上陸しついに首都を陥落させます。
1800年完成の大統領官邸だった、ホワイトハウスは焼き打ちに
あってしまいます。
ホワイトハウスは石積みの外壁を残して、全てが灰になったと
いいます。
アメリカに最後のとどめの一撃を食らわそうと、英国軍はさらに
北の港町ボルチモアに向け進軍を開始します。



マックヘンリー要塞内には、星条旗が掲げられています。
要塞の周りには、ポプラの木が植えられています。



マックヘンリー要塞は、函館市内にある五稜郭とほぼ同じ
容をしています。
その大きさも、同じぐらいだと思います。





要塞敷地の内部へ入ってみます。



我が家が訪れた時、現在の星条旗が掲げられていました。



半地下部分へ、入室してみると・・・・



こちらは弾薬庫だった様です。



1814年9月14日、英国海軍との激しい戦いの末に勝利しました。



要塞の内側には、2階建てレンガ造りの建物がありました。











マックヘンリー要塞に掲げられた国旗を作製した、ボルチモアの旗
職人メアリー・ピッカースギルさんです。
国旗の大きさは、縦9m×横12mもある特大サイズです。
約6週間掛け、手縫いで完成した特注品です。

現在その国旗は、ワシントンD.Cのスミソニアン国立歴史博物館で
大切に保管されています。







当時の食事の様子も再現されています。





マックヘンリー要塞から、湾の方向を観ているアングルです。
1814年9月13日~14日にかけて、ここに多くの英国海軍の船が
集結しアメリカ合衆国軍と戦っていたことでしょう。



マックヘンリー要塞の中央部分へ戻ってみると・・・・
大勢のボルチモア市民と思しき方々が、国旗掲揚台近くに
集まっています。



現在の星条旗が、掲揚されています。



米英戦争時代のアメリカ合衆国国旗を掲揚しようしていました。
星の数が15個、赤白ストライプも15本のものです。



15星の星条旗は、ゆっくりと掲揚台をあがっていきます。



米英戦争以降、アメリカ合衆国の州が増えると国旗も新しくなります。
その際まず、フォートマクヘンリー要塞のこの場所に掲揚されることが、
伝統になりました。
実際に国旗の星の数が49個になった時も、そしてハワイ州が加わり
50個になった時も、最初にこの要塞で掲げられました。
それらの国旗は、要塞内に保存されているといいます。

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4 コメント

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行燈入道 さん (ホノムボーイ)
2018-07-19 06:05:03
もし米英戦争で、イギリスに負けていたら・・・歴史は変わったかも。
イギリスにしてみれば、アメリカを子分と考えていたのでしょうから。
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マハロパパ さん (ホノムボーイ)
2018-07-19 06:03:01
日本の場合、国民をも巻き込んで多数の犠牲者を出しました。
原爆に対して竹槍では、どう考えても・・・そう思ってしまいます。
返信する
Unknown (行燈入道)
2018-07-19 05:47:17
若い国 歴の浅い国とアメリカを見てました。
しかしどんな国にも、激動の時はあるのだと
感じました。もしこの要塞が玉砕していたら、
今のアメリカは無かったかも知らませんね。
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Unknown (マハロパパ)
2018-07-18 07:36:15
日本が戦争に負けて、アメリカに併合されなくてよかったです。
(もしそうなっていたら、北海道はロシアになって、九州は中国になっていたらしいです。)
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