12章にはパウロの身に起きた二つの誇りとする事柄が出ている。14年前に第三の天にまで引き揚げられた不思議な体験(2~4節)、そして思い上がらないために身に棘が与えられていること(7~9節)である。後者こそ11章30節で述べたのと同じで大いに喜んで受け入れている誇りだという。
この棘については諸説がある。しかし「わたしは弱い時にこそ強い」と告白できるのは尋常ではない。主に在ってすべてを受け入れる時はじめて可能である。
信じるとは受容することである。
12章後半には、教会内の問題がまだ解決出来ていない状況があり、三度目の訪問(14節)の時を心配している。彼の本心は19節「わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです」。
この「造り上げる」は口語訳「徳を高める」新改訳「築き上げる」と三様に訳されている。信仰が淘汰され訓練され、成長するということである。
ここに牧会者パウロが見えてくる。
(写真 第13station イエス十字架より降ろされる)
この棘については諸説がある。しかし「わたしは弱い時にこそ強い」と告白できるのは尋常ではない。主に在ってすべてを受け入れる時はじめて可能である。
信じるとは受容することである。
12章後半には、教会内の問題がまだ解決出来ていない状況があり、三度目の訪問(14節)の時を心配している。彼の本心は19節「わたしたちは神の御前で、キリストに結ばれて語っています。愛する人たち、すべてはあなたがたを造り上げるためなのです」。
この「造り上げる」は口語訳「徳を高める」新改訳「築き上げる」と三様に訳されている。信仰が淘汰され訓練され、成長するということである。
ここに牧会者パウロが見えてくる。
(写真 第13station イエス十字架より降ろされる)