使徒言行録2章
42節「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(新共同訳)
1節「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」小見出し『聖霊が降る』。「五旬節」(1節ギリシャ語・ペンテコスト)は過越祭、仮庵祭とともに後期ユダヤ教の三大祭であった(レビ記23章)。出エジプト記34章22節では「七週祭」となっている。この日二階座敷に集まり、心を一つにして祈っていた120人余の人々の上にイエスが昇天前に約束しておられたことが起きた(1章4節)。
2節「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。これはシナイ山でのモーセによる律法の授受の出来事に似ている。「激しい風」は神の霊の傾注を示し、旧約律法を凌駕する新しい神の啓示を指している。同時に耳をつんざくような音は、他に何も聞けない、唯神からの声だけを聞くことになる。つまり神は人の耳を支配されたのである。
3節「そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。「舌」(グローッサイ)は言葉の機能を持つ。炎のような舌が降ったのは、一人ひとりの語る舌を神の霊が支配したのである。ここに集まっていた一同は霊が語ることを聞き、それを語るという神の業が起きたのである。
4節「すると一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。復活のイエスが約束された、聖霊の力を受けてユダヤとサマリヤの全土、また地の果てに至るまで証人となることが実現した。「ほかの国々の言葉で」は直訳「他のグローッサイス(舌・複数)で」である。聖霊が弟子たちの舌を支配して語らせたのである。一般に「異言」(グローッサイ・第一コリント14章see)と言われる。この出来事が5節以下に起きた。
5節「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが」。五旬節に、国々に散らされていたユダヤ教徒達がエルサレムに帰ってきていたが、彼らはこの日イエスの弟子たちが「自分の故郷の言葉」を話しているのを聞き、驚き怪しんだのである(6~7節)。その「故郷の言葉」とは、ユダヤを中心に東方(パルティア、メディア、メソポタミア)から、北西(ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア)、さらに南西(フリギア、パンフリア、エジプト、キレネに接するリビア地方)と円環状に記され、遠くローマ、西方のクレア、アラビアにまで及んでいた(8~11節)。これを「神の偉大な業を語っている」と受け取ったが、驚きまどい、一体何事かと不思議に思った(12節)。批判的に取りたて「新しい酒」に酔っているとあざける人々もいた(13節)。
14節「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください」。彼は酒に酔っているのでなく、預言者ヨエルが告げたことが(3章1~5節)、今ここに実現成就したのだと語り始める17~21節」。彼の説教が36節まで続くが、神が旧約の預言された通り、イエスを通してなされた十字架と復活の出来事を告げる(22~31節)。今わたし達は聖霊によって語っている(33節)。あなた方が十字架につけたこのイエスを神がメシアたされたと告げると人々は大いに心打たれ、一体どうしたらよいのかと言った(36~37節)。
38節「すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」。ペトロの言葉を受入れた人々は洗礼を受け、その日三千人程が使徒の教えを聞き、相互に交わり(コノーニア)、パンを裂き(愛餐)、熱心に祈る集団となった(41~42節)。ここに新しいキリストの共同体が誕生したのである。
42節「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(新共同訳)
1節「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」小見出し『聖霊が降る』。「五旬節」(1節ギリシャ語・ペンテコスト)は過越祭、仮庵祭とともに後期ユダヤ教の三大祭であった(レビ記23章)。出エジプト記34章22節では「七週祭」となっている。この日二階座敷に集まり、心を一つにして祈っていた120人余の人々の上にイエスが昇天前に約束しておられたことが起きた(1章4節)。
2節「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。これはシナイ山でのモーセによる律法の授受の出来事に似ている。「激しい風」は神の霊の傾注を示し、旧約律法を凌駕する新しい神の啓示を指している。同時に耳をつんざくような音は、他に何も聞けない、唯神からの声だけを聞くことになる。つまり神は人の耳を支配されたのである。
3節「そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」。「舌」(グローッサイ)は言葉の機能を持つ。炎のような舌が降ったのは、一人ひとりの語る舌を神の霊が支配したのである。ここに集まっていた一同は霊が語ることを聞き、それを語るという神の業が起きたのである。
4節「すると一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。復活のイエスが約束された、聖霊の力を受けてユダヤとサマリヤの全土、また地の果てに至るまで証人となることが実現した。「ほかの国々の言葉で」は直訳「他のグローッサイス(舌・複数)で」である。聖霊が弟子たちの舌を支配して語らせたのである。一般に「異言」(グローッサイ・第一コリント14章see)と言われる。この出来事が5節以下に起きた。
5節「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが」。五旬節に、国々に散らされていたユダヤ教徒達がエルサレムに帰ってきていたが、彼らはこの日イエスの弟子たちが「自分の故郷の言葉」を話しているのを聞き、驚き怪しんだのである(6~7節)。その「故郷の言葉」とは、ユダヤを中心に東方(パルティア、メディア、メソポタミア)から、北西(ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア)、さらに南西(フリギア、パンフリア、エジプト、キレネに接するリビア地方)と円環状に記され、遠くローマ、西方のクレア、アラビアにまで及んでいた(8~11節)。これを「神の偉大な業を語っている」と受け取ったが、驚きまどい、一体何事かと不思議に思った(12節)。批判的に取りたて「新しい酒」に酔っているとあざける人々もいた(13節)。
14節「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください」。彼は酒に酔っているのでなく、預言者ヨエルが告げたことが(3章1~5節)、今ここに実現成就したのだと語り始める17~21節」。彼の説教が36節まで続くが、神が旧約の預言された通り、イエスを通してなされた十字架と復活の出来事を告げる(22~31節)。今わたし達は聖霊によって語っている(33節)。あなた方が十字架につけたこのイエスを神がメシアたされたと告げると人々は大いに心打たれ、一体どうしたらよいのかと言った(36~37節)。
38節「すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます」。ペトロの言葉を受入れた人々は洗礼を受け、その日三千人程が使徒の教えを聞き、相互に交わり(コノーニア)、パンを裂き(愛餐)、熱心に祈る集団となった(41~42節)。ここに新しいキリストの共同体が誕生したのである。