使徒言行録6章
3節「それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう」(新共同訳)
1節「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである」小見出し『ステファノたち七人の選出』ここで、信徒が増大することにより、新たな課題が起きたことが書き記される。ギリシア語を話すユダヤ人とは原文通り訳すと「ヘレニスト」であり、ヘブライ語を話すユダヤ人は「ヘブライスト」である。バビロン捕囚以降ユダヤ人たちの多くが国外に住むことを余儀なくされ、BC2世紀マカビヤ時代には「離散の民」と呼ばれギリシア語訳聖書(70人訳)で、ユダヤ教信仰を続けていた。婚姻関係その他の事情でエルサレムにも多く定住していた。ユダヤ人社会で両者間に緊張関係があったが、新しいキリスト共同体ではこれを克服していくことになる。
2節「そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない』」。既に教会に中には「相互の交わり」(コイノーニア)とこれに伴う「恵みの共有」(パンタ・コイナ)があった(2章43~47、4章32~36節)。ユダヤ社会にあった働きを真似て「パンの籠」と呼ばれる援助金をいれる器が備えられ、それを適宜配分するような形が出来てきていた。
3節「それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう」。この解決方法は「食事の世話をする」者と「祈りと、御言葉の奉仕」に専念する者という職務分担を決めたことである。共同体が選んだ7人は苦情処理や弱い人や貧しい人々への適切な配慮に当り、12人の使徒たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念する。ここで「世話をする」(ディアコノス)と「日々の分配」(ディアコニア)は同じで、「ディア」(通る)と「コニオールトス」(塵)の二つの言葉からできていて、塵や灰を頭に被りながら仕事をすることで謙遜でなければ、務まらない。奉仕者に選任される条件は先ず「あなたがたの中から」で選ばれる。次に謙遜になって祈りつつ聖霊の導きを求める人、第三は「知恵に満ちた人」。知恵は知識でなく、清い良心から来る叡智(第1テモテ3章9節)、第四に「評判のよい人」(マルテュルーメノス)で、家庭人としても仕事の上でも、非難されることなく主の証が出来ている人である。選任の基準は「祈りと御言葉の奉仕」に専念する者である(4節)。これらの四つの条件を満たす、信仰と聖霊に満ちている人ステファノ、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオ7名の名前が挙げられた(5節)。ステフアノとフィリポの二人しか、この後には登場しない。使徒たちは彼らの上に手を置いて祈ったことに留意しなければならない。何故なら、奉仕は神からの賜物だからである。
8節「さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」小見出し『ステファノの逮捕』。ところがキレネとアレクサンドリアの出身者で「解放された奴隷の会堂」(ルベルテンの会堂)に属する人々、キリキア州とアジア州出身の人々が立ち上がり、ステファノと議論した(9節)。然し彼らは歯が立たなかった(10節)。そこで人々を唆せ、神を冒涜する者だと言わせ、民衆や律法学者らを扇動し最高法院に引いて行って、ナザレの人イエスと同じの言動をしていると訴えた(10~14節・マルコ14章58節see)。最高法院の席にいた者らは、聖霊に満ちたステファノの顔がさながら天使の顔のように見えた(15節)。
3節「それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう」(新共同訳)
1節「そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである」小見出し『ステファノたち七人の選出』ここで、信徒が増大することにより、新たな課題が起きたことが書き記される。ギリシア語を話すユダヤ人とは原文通り訳すと「ヘレニスト」であり、ヘブライ語を話すユダヤ人は「ヘブライスト」である。バビロン捕囚以降ユダヤ人たちの多くが国外に住むことを余儀なくされ、BC2世紀マカビヤ時代には「離散の民」と呼ばれギリシア語訳聖書(70人訳)で、ユダヤ教信仰を続けていた。婚姻関係その他の事情でエルサレムにも多く定住していた。ユダヤ人社会で両者間に緊張関係があったが、新しいキリスト共同体ではこれを克服していくことになる。
2節「そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない』」。既に教会に中には「相互の交わり」(コイノーニア)とこれに伴う「恵みの共有」(パンタ・コイナ)があった(2章43~47、4章32~36節)。ユダヤ社会にあった働きを真似て「パンの籠」と呼ばれる援助金をいれる器が備えられ、それを適宜配分するような形が出来てきていた。
3節「それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう」。この解決方法は「食事の世話をする」者と「祈りと、御言葉の奉仕」に専念する者という職務分担を決めたことである。共同体が選んだ7人は苦情処理や弱い人や貧しい人々への適切な配慮に当り、12人の使徒たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念する。ここで「世話をする」(ディアコノス)と「日々の分配」(ディアコニア)は同じで、「ディア」(通る)と「コニオールトス」(塵)の二つの言葉からできていて、塵や灰を頭に被りながら仕事をすることで謙遜でなければ、務まらない。奉仕者に選任される条件は先ず「あなたがたの中から」で選ばれる。次に謙遜になって祈りつつ聖霊の導きを求める人、第三は「知恵に満ちた人」。知恵は知識でなく、清い良心から来る叡智(第1テモテ3章9節)、第四に「評判のよい人」(マルテュルーメノス)で、家庭人としても仕事の上でも、非難されることなく主の証が出来ている人である。選任の基準は「祈りと御言葉の奉仕」に専念する者である(4節)。これらの四つの条件を満たす、信仰と聖霊に満ちている人ステファノ、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオ7名の名前が挙げられた(5節)。ステフアノとフィリポの二人しか、この後には登場しない。使徒たちは彼らの上に手を置いて祈ったことに留意しなければならない。何故なら、奉仕は神からの賜物だからである。
8節「さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」小見出し『ステファノの逮捕』。ところがキレネとアレクサンドリアの出身者で「解放された奴隷の会堂」(ルベルテンの会堂)に属する人々、キリキア州とアジア州出身の人々が立ち上がり、ステファノと議論した(9節)。然し彼らは歯が立たなかった(10節)。そこで人々を唆せ、神を冒涜する者だと言わせ、民衆や律法学者らを扇動し最高法院に引いて行って、ナザレの人イエスと同じの言動をしていると訴えた(10~14節・マルコ14章58節see)。最高法院の席にいた者らは、聖霊に満ちたステファノの顔がさながら天使の顔のように見えた(15節)。