植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

野球に怪我は付き物だけど、故障は避けられる

2021年07月09日 | スポーツ
 松坂大輔さんが引退だそうです。40歳、年齢からみればとっくにやめていてもおかしくないのです。22年前夏の甲子園での彼の投球は鬼気迫るものがありました。準々決勝でPL相手に250球投げた翌日、1イニング救援登板したのに、決勝戦でノーヒットノーランという離れ業を見せました。

 高校生の松坂選手の姿は精悍で古武士を思わせるような風貌でした。灼熱の甲子園で泥と汗にまみれた松坂が黙々投げる姿に心を動かされた人も多かっただろうと思います。
 しかし、その時に感じた「違和感」あるいは懸念が払拭できませんでした。これは、投げさせすぎではないか、いつかそのツケをおわされるのではないかという思いでした。現在では肩は消耗品ということが常識で、メジャーリーグでは徹底した投球数の制限を行っていますし、子供たちに過剰な投球をさせないように規定があると聞きます。

 名将と謳われた渡辺監督が過酷なまでのプレーを強いたのは、松坂はじめ高校生球児に優勝させたかったからだ、と賛辞の声を贈る人もいます。高校の監督は学校から優勝しろとプレッシャーをかけられるでしょう。また自分の名声を得るために、生徒を犠牲にしてもいいと考えてるのではないか、そんな疑念が払拭できないのです。高校野球では,かつてから頭抜けた好投手を擁するワンマンチームでほとんどの試合に一人で投げぬくということがよくあります。そして、怪物とも呼ばれるようなその才能を生かしきれないまま野球人生を終わる投手もたくさんいます。その多くは酷使による肩や肘の故障が影響します。
 

 古くは昭和の怪物江川投手、藤浪晋太郎などを思い出します。登板過多、投げすぎは徐々に体に蓄積し、いつか怪我・故障を引き起こします。休養・治療、手術などを繰り返すようになるとほとんど元の様には投げられなくなります。特に肩の故障は治りにくいのです。

 高校野球夏の大会で過去30年の中で最も球数を投げたのはあのハンカチ王子斎藤佑樹、2位が日ハムに行った吉田輝、3位川口知哉、今井重太郎、島袋と続きます。大野倫はプロに進みましたが甲子園の過剰登板で投げられなくなり、野手に転向しました。投球数の多い10人のうち、まともにプロで活躍できたのはわずか二人です。他の選手は怪我に悩ませられて野球をやめた人が多いのです。

 松坂選手は西武に入った後、8年間エースとして頑張りましたが目立ったのは最初の二年くらい、あとは彼のポテンシャルにしてはさほど抜きんでた活躍をしたとは思えません。そして、2007年ボストンに移籍します。

 その時の記者会見の得意満面の笑顔が印象に残りました。その頃はすでにあの甲子園の風貌とはうって変わりまん丸のふっくらした顔でありました。無邪気な笑顔を見せた松坂を見て、おそらくメジャーでは大した成績を残さないだろうと感じました。MLBへのチャレンジャーのはずが、成功者になったような態度だったからです。案の定、故障に苦しみ8年間で通算56勝43敗という凡庸な成績を残して帰国しました。その後日本の球団で投げてますが昔日の勇姿は消え、球威の無い球しか投げられなくなっていました。

 かつて怪物江川は、何度も他球団のドラフトを拒否し大学などで回り道をするうちに劣化し故障を起こし選手生命を縮めました。巨人引退前の数年間は、投球動作に入る前に不調の肩を回すしぐさが目立ちました。今、田中マー君がヤンキースを解雇され、楽天で投げています。彼はMLB挑戦が決まっていた日本シリーズで何試合も投げさせられ星野監督に潰されたと思っています。

 いずれ野球選手は、家族やチームメイト、監督や球団の協力や指導・援助によって成長すると同時に、それらに翻弄され人生を左右されるリスクもあるのです。

 エンジェルスでは、世界を驚嘆させるほど大谷翔平選手が大活躍してます。高校の時は何度か故障し、甲子園に出場できませんでした。日ハムからエンジェルスに在籍する間も、何度か怪我に見舞われ肘にメスを入れることになりました。本人の希望もあり、エンジェルスやMLBの事情で二刀流を続けてはいますが、バッター一本に絞っていくべきだろうと思います。彼の選手生命を考えたら、体に負担の大きい投手は、あと数年で断念すべきでしょう。あれだけのホームランを打てるのですから。



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