植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

増えるのは薬 減るのは記憶と体力

2023年12月05日 | 雑感
毎日忙しい思いをしています。世の中の年寄りはみんなこんなに忙しいのだろうか?。実際に仕事をもってお金を稼いだり給料をもらっている人はそれなりに忙しいのでしょうが。

若いころからの不摂生が祟ったか、いろんなストレスに苛まれてきたせいなのかは存じませんが、50歳過ぎてから会社の健康診断で「病名」がつくような、各種検査結果の悪化を指摘されるようになりました。高血圧で血液ドロドロと言われ、境界型の糖尿病と診断され、そして薬を貰い、それが1個から2個、と増えていきました。

60歳になって、すっぱり金融機関勤務を辞め「働かないぞ」宣言をしたのが9年前でありました。陶芸・園芸・書道をやりたいからとみんなの前で挨拶いたしました。実はその2年前から、着々と老後に遊んで暮らせるような対策を講じて来ていたのです。それが義母がもつ更地の活用でした。長きにわたって義母は、人を使って競輪の来場客用の有料駐車場を経営していましたが、競輪人気が衰退し、その愛好者も高齢化してきて人件費と固定資産税を払うといくらも残らない、という事が判明しました。

そこで義母が施設に入所するような頃合いに、コンビニから出店希望の話が複数あり、義母を説得して賃貸用の「建物」の建造をしたのです。これで、定年後、安心した不労所得が得られると綿密な計画を立て、会社を退職し念願のガーデニングと書道に取り組みました。バラを植え野菜を作り、心も体も絶頂期であったかもしれません。ところが、そこからだんだんいろんなことに手出しするようになったのがいけませんでした。

めだかの養殖、そば打ち、絵画(水墨画)、ブログ、篆刻、石印材蒐集、Facebookなど今まで知らなかった世界を経験したいという気持ちがどんどん増していきました。その頃から服用する薬がまた増えて、眼精疲労に肩こり、高コレステロール、鎮痛剤などを服用することが増えました。忙しいわりに運動していないのですね。

ワタシは、もとは九州の出で、大学から横浜に住み、結婚後平塚に住むようになって40年経ちます。私自身は「地元民」ではなく、近所に同級生やお友達がいたわけではないのです。ワタシの顔を見知っている人はご近所の数人だけだったと思います。だから、地元の寄り合いやらイベントにも知らん顔で来ました。

ところが何故だか、数年前からは、神社の「評議員」、自治会長、この春からは、ついに菩提寺の世話人という大役を仰せつかったのです。この3,4年でなにかを取りまとめたり集会や行事に参加せざるを得ない局面が急に増えたのです。子供たちの結婚出産・兄の大病などが重なって、あちこちに出向くことが増え多忙な日々がだんだん負担になり、ある時から身心・脳がオーバーフローしたと見えます。ここ2,3年の記憶の多くがどこかに飛んでいるのです。加えて春先から抑うつ状態→軽い鬱病と診断され、また「精神安定剤・睡眠導入剤」が処方されました。うつ病に記憶障害、立派な病人であり立派な老化現象でもあります。

なのに、このところどういう加減かは存じませんが、ワタシに相談がある、会って話がしたいといった、今までになかった申し出、しかもそれまでに全くお付き合いのなかった赤の他人からのお誘いが来るようになりました。それまでにも、在職時から続く「支店長を囲む会」や、小旅行の会、九州の高校同級生の泊込みでのゴルフ合宿など、いろいろと首を突っ込み幹事役までつとめたりしておりました。

今月も、お二人の方が、この仕事場(コンビニの2階)になにかの相談・情報交換に来る予定になっています。その中身や意図はあえて聞いておりません。半病人のワタシでもまぁ、「頼られるうちが花」なので、喜んでお相手をいたします。

結局のところ、老後の生き方は大きく分けると二通り。
長きにわたって苦労し働いてきて、これからは体をいたわりながら、のんびり余生を送る、あるいは、残り少ない人生、何時ジエンドになるかもわからない余命を考えたら、日々を大切に濃厚に意味のある時間を過ごしたい、のいずれかになろうと思います。

実はもう一つ、老後になっても死ぬまで働かないと生活できない、という不運・不幸な方々も多いのです。

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