家内によると、使い捨てマスクの備蓄は、310枚だそうです。今年1月中旬にホームセンターに普通に積まれていたものを見かけ、2,3箱買っただけでした。すでに、コロナ肺炎の情報は出ていましたから、ある時に買おうと思いました。従って、決して買い占め、マスク不足には関与しておりません。
家内によると、家にあるマスクの大半は、あの東北大震災の後に、息子の友人(関西在住)が、送ってくれたものだとか。彼は、神戸の震災の時に片付けや外出の際の粉塵がものすごかったので、当地に被害が及んでいるかと心配して段ボールで送ってきたのです。経験という情報と友情・好意の賜物でありますな。かれこれ8年ほどうちの納戸の奥に眠っていたのです。
ワタシは、ほとんどマスクの必要は感じません。建物の裏手でのガーデニングと、ブログ・書道という一人の室内作業が生活の大半です。人と接触するとしたら、コンビニでコーヒーを買ったりお昼ご飯を外食にするくらいですから。町中のスーパーに出かけるときの1時間程度は着用することにしましたが。
ただし、最悪の事態、つまりパンデミックになり、周囲が収拾が付かないくらいに蔓延した場合に備え、農薬散布に使う防塵マスク20枚とゴーグルを取り寄せました。かなりの出費でありましたが、使う機会が無ければそれでよし。殺虫剤他の薬を撒くときに使えるので無駄にはなりますまい。
使い捨て、というネーミングは適当でないと思います。簡易タイプのマスクは、使用状況によって、あるいはメンテナンスによっては数日使うべきだと思います。人ゴミや濃厚接触に近い環境が長ければ、帰宅後すぐ捨てるとしても、普段用心して短時間つかったものなら、さっとアルコール消毒する程度で翌日利用しても構わないと思います。活発な町内活動家であるお向かいさんは、一日4枚使うと豪語しておりました。この人、何十年もマスクしています。マスクフェチですかな。
政府は、例によってマスクの生産・供給体制を強化したとか、備蓄を放出するとか、テキトーなことを言っています。いくらメーカーが増産しても、高く売れるとわかっているものがおいそれと末端には出回りません。普段使わない人たちが毎日消費するようになったのですから、無くなるのは当たり前でもあります。政府の備蓄マスクの総量聞かれたら、答えられません。それは、そもそも満足な量の備蓄が無く、公務員が優先的に使って(横流しして)空っぽなのでしょう。初めから、自治体が備えることにしております、というべきでしたね。国の想像力の欠如・準備不足でしたと謝ればいいのに。
マスクを着用して自衛し、人に感染させないようにするとは、誰でも言えます。しかし、ただ表を歩く時や一人だけでいるときまで着ける道理はありません。一つのマスクを適正に使用して長持ちさせれば早晩一時のマスク不足は解消するのです。
手に入らない人、必要とする人に回す配慮を社会全体でするべきだとも思いますね。少なくとも、買い占めたり、転売したりする、さもしい根性は恥ずかしいことだ、という国民教育が必要でした。あのオイルショックの時に、日本人が持っていた素晴らしい相互扶助や廉恥も精神が変質したのを思い出します。
S22に若い判事が栄養失調で亡くなった話は、その当時の日本でも大きな衝撃となりました。法律を守る立場の自分が、法律違反のヤミの食料に手を出すわけにはいかないと考え、配給の食料だけで生活しようとした結果でした。この話は、教員であった亡父から何度も聞かされました。
ヨーロッパの寒村では、当時流行したペストに村人たちが罹った時、閉鎖して一切の外部との接触を絶ったという実話もあります。村人の9割が亡くなっても、他への感染を防いだのでした。
こうした、話の是非を問うことはいたしません。しかし、私欲の為にマスクやトイレットペーパーを買い占める人たち、更にテレビで繰り広げられる無責任な報道、そして空疎で不実の政府答弁や公務員の態度を見るにつけ、同じ日本人としてとても恥ずかしく思うのです。
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