先日、ある討論番組を見ていましたら、高名な評論家センセイ、名前は伏せましょう(言葉の繋ぎに「えっ」という癖のある方)が仰っていました。
「愚者は失敗に学び、賢者は歴史に学ぶ」
これを聞いてなんとなく違和感を感じたのでちょっと確認のために調べました。言ったのはビスマルク、あードイツ帝国の名宰相だったのか。すっかりそういうことは忘れています。どうも、元の言葉の直訳は「愚者は自分の経験に学ぶと信じる。私は、誤りを避けるため他人の経験に学ぶのを好む。」というようなことであったそうな。
ワタシが感じた違和感は「失敗」という言葉だったのかもしれません。
自分の経験や価値観のみで判断するのは愚かで、過去の事例や歴史の中に起きた失敗や誤ちを学んで、未然に誤りを犯さないことが賢明なのだ、と解することとして「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」が一般的な格言となっています。
それは、なんとなく為政者としての心得としてよく出来た箴言でありましょう。では、ワタシ達庶民の立場からはどうでしょう。
植物栽培で例えてみます。ワタシがいま栽培している苦手な(何度も枯らした)植物に「アジアンタム」と「フクシア」があります。栽培難易度からすると中くらいでしょうか。
アジアンタムは、暖かな地域の湿度が高い山やジャングルの中で育つシダの仲間です。暑さ寒さに弱く乾燥にも弱いが根腐れも用心、というもの。室内での栽培にはそもそも無理があるのですが、沖縄辺りを除くと屋外ではほぼ栽培は困難です。日に当たると茶色に葉焼けし、少しの乾燥でチリチリになります。
以前現役の頃、執務室内で栽培(笑)しましたが、育て方を調べ(他人の経験に学び)いつも注意を払っていましたので、涼し気に葉を揺らす繊細なこの植物の魅力を楽しみました。休みに入る前には段ボールに入れて保湿しましたね。
ところが、退職後家に持ち帰ったらたちまち枯らすことになりました。自分の(成功)経験を過信し、簡単に扱えると誤ったのですね。それから、何度か買い替えてトライしましたがやはり、ちょっとした油断で葉がチリチリになりました。
昨年性懲りもなく4回目の挑戦中です。常時霧吹きで葉水(シリンジ)するグループをまとめ、その一番下、絶対に直射日光が当たらないポジションに置きました。
「フクシア」も、亜熱帯地域に自生する下向きの可憐な花「女王様の耳飾り・貴婦人のイヤリング」を咲かせます。年に数回開花しますが、亜熱帯出身にもかかわらず、暑さに弱いのです。以前はじめてこの植物に出会い、廊下で育てたことがありました。偶然、育て方がうまくいったのか数か月何度も咲く花に癒されました。ところが、春を過ぎて寒さの懸念がなくなったので、外に出して日陰に置いていたら梅雨の前後に枯れてしまいました。多湿はともかく、日本の暑さに負けてしまったのです。
昨秋、再挑戦で二株を購入しました。今回は、徹底的に過保護にし、通年屋内栽培にするつもりです。これは、自分の経験(廊下ではうまく育った、暑い夏が越せない)から学び、かつフクシアの栽培法をもう一度詳しく調べなおします。
つまり、歴史や他人の経験も大事だけれど、自分の経験を生かして行動を決めるのも非常に大事で、もっと上達するコツではないかと。あるいは、前例や常識に縛られることなく創意工夫することも必要ではないか、と考えるのであります。
まず、愚者の下にもっとダメな層があるように思われます。それは、経験からも失敗からも学ばない人達ですね。また、失敗に懲りてあるいは失敗を恐れて何も為そうとしない人も同列です。ワタシが、上の植物を諦めたら何も学ばなかったと同義になりましょうね。
冒頭の引用は、安倍総理の「武漢熱対策」の迷走ぶりを評して言われた言葉でした。かの評論家さんは意図的に経験という文句を「失敗」という言葉に置き換えたのかもしれません。
あぁ、もしかしたらワタシの聞き間違いであったかも。
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