美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

美津島明  江藤淳『作家は行動する』についての覚書  (イザ!ブログ 2012・12・25 掲載)

2013年12月05日 22時52分39秒 | 文学
本作品は、書き下ろし長編評論として、講談社より一九五九年一月に刊行されました。吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』(一九六五年)の先駆的な作品と位置づけることも可能でしょう。吉本は『言語美』において、言語の本質としての自己表出性と指示表出性を導きの糸にすることによって文学作品の本質にアプローチするという当時としては斬新な批評スタイルを採っています。その五年ほど前に、江藤は本作品においてすでに、文体の特徴から文学作品の本質にアプローチするという、日本の文芸批評史において画期的な批評スタイルを採っています。何が書かれているかにではなく、どのように書かれているかに江藤は着目したのでした。そこから、吉本が、言語それ自体に着目して作品を論じるところまでは、あと一歩のへだたりであったといまからなら振り返ることができるでしょう。二人ともに、文学の自立的価値とは何かについての深い洞察と鋭い直観があります。彼らの斬新な営為は、それに基づいたものなのです。

当時としては、いずれも随分見栄えの良い、つまりカッコイイ批評スタイルだったものと思われます。鋭敏な若い人たちは、そんな彼らにぐっと惹きつけられたのではないでしょうか。日本の良質な知性がそのエネルギーを惜しみなく傾注した文芸批評の黄金時代ならではの精神風景と言っていいでしょう。ほかに小林秀雄や福田恆存や竹内好なんかもいたわけですからね。思えば、いまではみんな死んでしまってこの世にはいないのです。私の心の少なからぬ部分は、いまだにその時代を彷徨っていることを白状しておきましょう。私がこの世に生を受けてまだほんの二・三年経ったくらいのときのことなんですけどね。これは、おそらく一生続くのでしょう。一種の病気です。

年譜をながめてみると、本作品の誕生をめぐって、当時の江藤は少なからず屈託があったものと思われます。講談社文芸文庫から引用します。



・一九五七年(昭和三二年・二五歳) 三月、慶応義塾大学文学部英文科を卒業。四月、同大学院に進学。指導教授は西脇順三郎。五月、三浦慶子と結婚。仲人は奥野信太郎。武蔵野市吉祥寺に住む。

・一九五八年(昭和三三年・二六歳) 一月ごろ(?)、「ものを書いているなら大学院を辞めるように」という勧告を受け、以後、大学に行かなくなる。春、講談社から書き下ろしを依頼され、夏から秋にかけて執筆(『作家は行動する』として翌年刊)。十一月、『奴隷の思想を排す』(文芸春秋新社)刊。

・一九五九年(昭和三十四年・二十七歳)一月、『作家は行動する』(講談社)刊。三月、大学院を中退。八月、『海賊の唄』(みすず書房)刊。秋、目黒区下目黒に転居。

・一九六〇年(昭和三五年・二八歳)五月、安保騒動があり、石原慎太郎・大江健三郎・谷川俊太郎・開高健・羽仁進らとともに「若い日本の会」に参加。抗議集会を開いたり、声明を出したりした。

屈託の最たるものは、「ものを書いているなら大学院を辞めるように」という勧告の件(くだり)でしょう。これは、西脇順三郎によってなされたものなのでしょうか。それはとりあえず措くとして、自分の筆力に深い自信を持っていたにちがいない江藤からすれば、この勧告にはひたすら反発を覚えたに違いありません(五六年に江藤は『夏目漱石』を上梓しています)。愛する女がそばにいることも、心を強くする材料になったことでしょう。怖いものなんかありません。これまでずっと優等生だった江藤は、このとき生まれてはじめて本格的に「グレ」たのだと言えるでしょう。

「グレ」の本質は、既成の秩序の担い手としての「父なるもの」への抗いです。当時の江藤にとって抗いの対象としての「父なるもの」とは、大学院の指導教授としての西脇順三郎であり(要論証)、安保改定をゴリ押ししようとする岸信介首相であったのでしょう。彼が、安保をめぐって大江健三郎と肩を並べていたなんて、時代を感じさせますね。そのせいでもないのでしょうが、本作品において、江藤は大江をほとんど絶賛せんばかりの筆致を危うく示そうとするほどの評価ぶりです。例えば、こんなふうに。

この作品(『飼育』のことー引用者)の中心的なイメージは、「黒人兵」と、「夏」と、「戦争」である。しかも黒人兵は「光り輝く逞しい筋肉をあらわにした夏、僕らを黒い重油でまみれさせる」汎神論的な子供達の夏であり、「僕ら」と「黒人兵」とは「暑さ」という「共通な快楽」で結ばれている。これらの有機的に一体化したイメージと「遠い国の洪水のような戦争」とは対比され、いわば一種のフーガを奏しているであろう。そして黒人兵がにわかに兇暴な敵になり、「僕の指と掌をぐしゃぐしゃに叩きつぶし」はじめるとき、いままで弱奏されていた「戦争」の主題が急に接近し、「子供達」の主題は急に消えて行く。「もう僕は子供ではない」という「啓示」と、現に自分が「戦争」に接触したという経験――その二つの主題の交錯をこのように明瞭に描き出していくものは、いうまでもなく作者の「文体」以外のものではない。この豊富なイメージの世界は、かりに繊細であるにせよきわめて論理的な、明確な行動によって支えられている。

大江の『飼育』は、『文学界』一九五八年1月号 に発表され、その年の芥川賞受賞作品となっています。当時においていまだ評価の定まらない話題作についての、いまにおいても通用する評価軸 を早々と確立してしまった江藤の批評的辣腕ぶりには、舌を巻かざるをえません。江藤は、『飼育』の秀逸性を当時においてすでに的確に捉えていたのです。

的確な評価軸の確立という観点からすれば、本作品における江藤の、第一次戦後派の文体上の達成への着眼を取り上げないわけにはいきません。

(野間宏『暗い絵』の主人公―引用者注)は絵を見ている。(中略)彼はすでにブリューゲルの絵のイメージが反映している荒涼とした「自然」のなかを、重い足どりで進みはじめている。そしてその「自然」は、一九三〇年代の京都帝大の学生にとってのリアリティーであると同時に、現に作者の周囲にひろがっている混沌とした「現実」でもある。要するにこれは完全に主体化された風景のイメージであって、鋭敏な読者はこの文体に参加するとき、弱音器をつけて奏せられるコントラバスの低い、重い、あえぐような繋留音の持続にふれるであろう。それはほかならぬ作者自身のあえぎであり、大地も、太陽も、地平線も、一様にアニメイトされ、いま彼の「存在」と切りはなすことのできないものとしてある。このような持続感は、過去のどのような表現、語彙、文脈によってもあらわされない。野間氏はあえぎ、「悩みと痛みと疼き」によって歩みつづけながらきわめて大胆に形骸を切り開き、まったく新しい行動の軌跡――「文体」をのこしていく。

この『暗い絵』に対する評価が、吉本の『言語美』における『暗い絵』に対するそれに濃い影を落としていることは、私見によれば、言を俟ちません。第一次戦後派に対する評価のテンプレートは、江藤・吉本の両氏によって形作られたと言っても過言ではないでしょう。

ところで、先ほど私は、当時の江藤は「グレ」ていたと申し上げました。その明らかな痕跡が本作品にも見られます。それは、小林秀雄に対する意外なくらいの低い評価です。というか、乗り超えるべき、日本文学の最大の強敵として小林がイメージされていというべきでしょう。

志賀直哉、小林秀雄氏らは、現実に負の行動の論理――負の文体を確立しえた人である。文学史家は、彼らにおいて最高の批評があり、最高の小説があるというであろう。しかし、そのような評価は、価値を完全に逆立ちさせている。われわれはむしろ、彼らにおいて文学が完全に圧殺された、ということを証明しなければならない。近代の日本文学においては「最高の批評」が批評を殺りくし、「最高の小説」が小説を絞殺している。その事実を知らないかぎり、散文はわれわれにとって永遠に無縁のものとならざるをえない。

ここで小林秀雄は志賀直哉と並べられ、徹底糾弾をされています。一〇年後のゲバルト学生も顔負けなくらいの激しさです。当時の江藤にとって、小林秀雄は、抗うべき文学上の「父なるもの」としてイメージされていたのではないでしょうか。

ところが、安保闘争で大江と共闘を組んだ一九六〇年の翌年に、江藤は『小林秀雄』を上梓し、小林秀雄賛歌を朗々と歌い上げました。この「転向」は周囲を驚かせ、「変節」として批判され、安保で敗れたとはいうもののまだまだ意気盛んだった当時の進歩派言論界において、江藤はほとんど四面楚歌のような孤立を余儀なくされました。しかし、そのことによって江藤の文学的な確信が揺らぐことはついにありませんでした。ここから、江藤と戦後的なものとの間に決定的な隔たりが生じはじめ、江藤の保守思想家としての個性的な足跡が印されていくことになります。

『小林秀雄』において、江藤は小林をいわば文学的な意味での「永遠の青年」として描き出しています。そのことで、かつての自分が小林に投影していた、抗うべき対象としての「父なるもの」という観念からの自己脱却を図り、それを実現しえたという確かな手応えを感じたからこそ、江藤は揺らがなかったのではないでしょうか。

では、「父なるもの」は、江藤においてその後どうなったのか。それについての突っ込んだお話は、私などより、当ブログの寄稿者である先崎さんに、いずれ存分に語っていただいた方が良いように思われます。
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妄想科学小説・iPS細胞は人類を救う? (イザ!ブログ 2012・12・5 掲載)

2013年12月04日 23時05分29秒 | 文学
妄想科学小説・iPS細胞は人類を救う?
                                   美津島明

今年の10大ニュースのトップを飾るのは、なんだろうか。私見によれば、山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞である。これは、多くの人に賛同していただけるのではないかと思う。今年の流行語大賞は、「iPS細胞」なのではないか、とも。アメリカ・アップル社の大人気商品「i POD」にヒントを得て、山中さんは世界中の人々に注目されるように「I」を小文字の「i」 に変えた。そのポップ・センスは大したものだと思う(などと言っていたら、今年の流行語大賞は、すぎちゃんの「ワイルドだろぉ」に決まったと報じられた。私は、一度もその言葉を耳にしたことがない。電波系芸人たちの痴呆的な笑い声が聞こえてきたら即座にチャンネルを切り替えることにしているので)。


ヒトiPS細胞 ( http://www.cira.kyoto-u.ac.jp/nakagawa/?page_id=1163より)

これから話すのは、iPS細胞を小道具に使ったSF小説のあらすじのようなものである。だから、「お前は、iPS細胞のことをまるで分かっていない」と眉間にシワを寄せて私を難詰するのは勘弁してほしい。また、愛国心溢れる山中教授の画期的な研究成果にイチャモンをつけようなどという魂胆などまるでないことも合わせて言っておきたい。

中東アフリカで猿人「ルーシー」が誕生してから数百万年間。人類にとって最大の問題であり続けてきたのは「食料問題」である。「日本の食料自給率は、カロリー・ベースで約39%である。穀物自給率はもっと低くて28%である」という事実を突きつけられると、心穏やかではいられなくなるのは、そのことの名残なのかもしれない。高度資本主義は、食料問題をおおむね解決した、とはしばしば耳にする言葉である。が、私はそれをにわかには信じられない。「食料問題」と格闘してきた人類の記憶は、われらが高度資本主義の住人たちのDNAにも深く深く刻み込まれているに違いないと考えるからである。

それよりもなによりも、現在十分に栄養の取れない飢餓人口は9億6300万人であり、その数は毎年増加傾向にあり、毎年約1500万人、4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡している(国連食糧農業機関の統計(2008年))という事実が、世界レベルにおいて、「食料問題」がいまだに深刻な問題であり続けていることを雄弁に物語っている。

そこで、心ある科学者たちは、iPS細胞の技術を応用・改善して食料問題を解決しようと叡智を絞った。

やがてドクターP.D.を中心とする科学者グループZが、食料問題の究極的な解決法を考案した。

それは、葉緑体をiPS細胞に組み込んでそれを人体に移植する、というものであった。ご存知のように、葉緑体は光合成を行う場である。光合成によって、水と二酸化炭素から酸素とでんぷんなどの養分が作られる。

道管がなくても、人間は水分を摂取できるからその点は問題ない。ところが、光合成によって作られた養分を体全体に運ぶ師管が人体にはない。

これをめぐって、グループZは少なからず試行錯誤を繰り返した。しかしながら、ほどなくその問題は解決された。彼らは、体中の葉緑体で作られた養分を血流の利用によって胃にまで運ぶ新物質アルファ(これは宇宙船での無重力実験によって偶然見つかったものである)を含有した新薬を開発したのである。

彼らの献身的かつ英雄的な研究活動によって、人類誕生以来自分たちを悩まし続けてきた「食料問題」は究極的最終的に解決されたのである。

「食料問題」の最終的な解決は、人類社会に文字通り革命的な変化をもたらした。最も大きな変化は、人類が労働から最終的に解放されたことである。経済は、根本的な変化を被り、衣と住関連を除けば、諸文化活動だけで構成されることになった。

また、人類は死の恐怖からも最終的に解放された。食の問題の消滅は、死の恐怖が「食料問題」に直面し続けてきた人類の切迫した歴史に基因する幻想に過ぎなかったことが、全人類レベルにおいて判明したのである。さらに、過剰な金銭欲からも解放された。もちろん、戦争の恐怖からも解放された。戦争を起こす根本動機としての動物的な自己保存欲求が希薄化したからである。自己保存欲求と死の恐怖とは表裏一体だったのである。

ささいなことを付け加えれば、人類は、哲学なるいかがわしいものからも解放された。死の恐怖が消滅したので、「死のレッスン」という遊戯のしようがなくなったのである。

このように、「食料問題」の解決は良いことだらけのようだが、問題がないわけではなかった。

まずは、見た目の問題があった。つまり、全身に葉緑体を移植された人間は、要するに、緑色なのだ。その見た目の異様さに慣れるまでに結構な時間がかかった。しかし、これも単に慣れの問題なので時間が解決した。各国政府が各種メディアを駆使して「Green  is  beautiful」のキャンペーンを大いに盛り上げたことが功を奏した、という面もあった。結局は、人類が皆緑色になってしまえば、それが常識になってしまうということである。

もちろん、葉緑体の移植を拒む少数派が存在した。彼らは「人間らしさの保守」をスローガンに立ち上がった。しかし、彼らは、金銭欲や征服欲や破壊衝動の肯定者として社会的に反動と見なされ危険視され差別されたので、人類の進歩の名においてその人権を剥奪され圧殺されてしまった。

もう一つの問題は、より深刻だった。「食料問題」の解決は、動物としての意識の希薄化をもたらしたのである。つまり、人間の植物化が進んでしまったのである。エサを求めてうろつきまわるという動物としての習性の必要がまったくなくなったので、その習性と不可分の関係にある、活性化された意識状態が保てなくなったのだ。

そうすると、メスを求めてうろつきまわるオスの習性も希薄化してきた。気に入ったオスを誘惑するメスの手練手管もその存在根拠を失った(ついでに言えば、飽くことなく人間のスケベ心を扱い続けてきた文学なるヤクザな存在も消滅した)。「食料問題」の解決は、人類を性衝動からも解放してしまったのである。これは、出家僧や敬虔なキリスト教徒ならいざ知らず、人類の存続にとっては由々しき事態である。

結局、人工授精の普及によって、人類はこの問題に対処した。

科学の力で、人類は存続の危機から脱することができたかのようであったが、そうは問屋が卸さなかった。肉食動物たちが、逃げ回る衝動そのものが希薄になった人間を格好の餌食にするようになったのである。これは、悲劇かそれとも喜劇なのか。ドクターP.D.は、考えあぐね、酸素まじりの溜息をつくのだった。

人類を脅かし続けてきた大問題の根本的な解決によって、人類が、肉食類の餌食になることに怯え続けるか弱い存在に成り下がった、というお話。

(もし、類似のストーリーがあったとしても、私はそれを参考にしたわけではありません。悪しからず)

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「櫻田淳氏の村上春樹批判」についての批評家・由紀草一氏のコメント  (イザ!ブログ 2012・10・27 掲載)

2013年12月02日 01時53分21秒 | 文学
小浜逸郎氏に続いて、由紀草一氏からもコメントをいただきました。由紀草一氏は、公立高校で教鞭をとりながら、他方で、切れ味鋭い教育論や文学論を展開なさっている方です。さらには、『軟弱者の戦争論 憲法九条をとことん考えなおしてみました。』(PHP新書)で、憲法9条についての深みのある議論を展開なさっている方でもあります。コメント掲載の快諾に対して、感謝の意を表します。

********

教えてくださったブログの記事は、家に帰る前に携帯電話にて面白く拝見しておりました。

しかし、変わりませんなあ。日本の知識人の生態というのは。

薄甘い左翼、あるいはピンク。共産主義革命が望ましいとまで言うわけではなく、海外の、広義の共産主義勢力に甘く、日本とアメリカには辛い。でも、日本はアメリカと手を切れ、と言うでもなく。少しでも尖った愛国心、のようなものには冷笑を浴びせる。こういうスタンスが、朝日新聞の読者にはウケるわけですかな。もういいかげんアキてもいいのにねえ。いや、もう私はアキましたですよ。

村上氏も、紅涙を絞る小説の著者であるなら、むしろ「紅旗征戎吾が事に非ず」とでもキメたほうがカッコいいのに。進歩的知識人のほうがノーベル文学賞は取りやすいんですかな?そうだとすると、世界的にセコいんですな、文学者の世界というのは。

しかし、櫻田さんを登場させること自体、朝日も少しは方向転換を図っているのかな?

てな観測も、確か20年前にされていたような。で、それからあんまり変わらないんですね。いや、実は私は読んでいないんで、本当はよくわからないんですけど。

櫻田さんへの疑問もあります。パステルナークやソルジェニーツィンに比べたら日本の文学は「生ぬるい」というのは、 二葉亭四迷の、「文士には真剣味が足りない」から、「文学は男子一生の仕事に非ず」というのといっしょで、これまた文学にとっては有害無益な態度だと感じます。文学者がその作品によってどんな声望を得ようと、逆に弾圧されようと、その作品の価値とは別であるはずでして。「作者が作品に命をかけなきゃりっぱなものにはならない」というが如きロマン主義もよしていただきたい。現代の、あるいはずっと前からの日本文学の低迷は別のところに求めるべきです。

もちろん小浜さんのソルジェニーツィン評価はどうか、読んでみないことにはわかりませんが、まさか、上のような単純なことはないでしょうけどね。

今回ちょっとエラソーになってすみませんが、御教示はありがたく存じております。

今後ともよろしく。

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どうやら、この先の展開がありそうな形勢です。
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「櫻田淳氏の村上春樹批判」についての小浜逸郎氏のコメント (イザ!ブログ 2012・10・26 掲載)

2013年12月02日 01時48分09秒 | 文学
10月23日投稿分の拙文「政治学者・櫻田淳氏の村上春樹批判」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/c783471279e0f20076f423ac8e2f5c7e)について、批評家・小浜逸郎氏から下記のコメントをいただきました。この場を借りて、謝意を表します。

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櫻田さんの文章と、それについての美津島さんの解説、面白く読みました。両氏に百パーセント共感です。

櫻田さんは、格調高く決める人なので、やんわりとした批判に見えますが、事の本質は同じですよね。こういうやんわりとした批判がじつは「朝日」的なものに対する痛烈な異議申し立てだということを、朝日の編集者はわかっていて採用したのだろうか。あまりわかっていないのではないか、というのが私の感想です。

それにしても、当の朝日という場所できちんと思想や文学の原則を通す櫻田さんの芸に脱帽です。

また、11月刊行予定の拙著『日本の七大思想家』の小林秀雄の章で、たまたまソルジェニーツィンに言及したので、その点でも、櫻田さんと符合する点が多く、喜ばしいことだと感じました。

世界ブランド・村上が根の浅いコスモポリタンであることは、私は一向構わないと思っていますが、自分が生んだかわいい子どもが他国でひどい目に合っていることに対して、「意見を述べる立場にはない」などとそこらの官僚みたいな言辞を弄しつつ、ふやけた「自虐ニッポン人」におもねて平然としている態度を、文学を愛する一人として断じて許すわけにはいきません。こういう大江健三郎的戦後知識人のどうしようもなさは、確実に現在にも継承されているのだということを改めて痛感しました。

この線で、これからも闘っていきましょう。
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政治学者・櫻田淳氏の村上春樹批判  (イザ!ブログ 2012・10・23 掲載)

2013年12月01日 18時37分36秒 | 文学
10月15日の朝日新聞デジタル版に櫻田淳氏の村上春樹批判が掲載されています。9月28日の朝刊に掲載された村上春樹氏の長文随筆「魂の行き来する道筋」が取り上げられているのです。私自身、10月17日に同随筆を取り上げて批判した(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/adbe2040fa25ad2ca64e0d700b03f253)ので大いに好奇心をそそられました。その時点で、私は櫻田淳氏の当文章を読んでいませんでした。

拙文をご覧いただいた方も、少なからず興味を抱かれると思われますので、その全文を掲載します。

村上春樹の声望と文学者の「政治」言説/櫻田淳(東洋学園大学現代経営学部教授)

村上春樹(作家)のノーベル文学賞受賞は、お預けになった。村上が「朝日新聞」(九月二十八日付)に寄せた「魂の行き来する道筋」なる随筆は、村上の作家としての声望を反映し、内外に反響を呼ぶものになったようである。

確かに、村上の随筆は、現下の政治上の文脈の一切を無視するならば、それ自体としては何の異論を差し挟む余地もない。「平和は大事だ」というぐらいの正しい議論が、そこにある。

ところで、現在、村上の言葉にある「魂の行き来する道筋」を遮断しているのは、どこの誰なのか。日本政府が、そうした政策判断を下したという話は、寡聞にして聞かない。日本の国民レベルでも、日本の一般国民が中国に対して「魂の行き来」を拒むという事態は、相当に甚大な実害を中国から受けるということがない限りは、蓋然性の低いものであろう。

事実、中国全土で「反日」騒擾が最高潮に達した九月中旬、NHKは、三国志に題材を採った映画『レッド・クリフ』や清朝末に権勢を揮った西太后を紹介する歴史番組を放映していた。それが日本の「空気」である。

片や、中国政府が日本に対する意趣返しの意味で対日交流行事を続々と中止させている話は、頻繁に耳に入ってくる。村上が憂慮する現下の事態は、結局のところは、中国政府の「狭量さ」の結果でしかないであろう。

そうであるならば、何故、村上は、中国政府の姿勢に異を唱えないのか。村上には、是非、北京に乗り込んで、現下の「愛国無罪」の風潮を鎮めるべく、呼びかけてもらいたいものである。

村上は、今年はノーベル文学賞受賞を逃したとはいえ、来年以降も有力候補として数えられるのであろうから、そのくらいの「影響力」を発揮するなどは造作もないことだろう。「ナショナリズム」が「安酒」であるという村上の指摘に至っては、特に第二次世界大戦後、そのナショナリズムの統御が課題として語られ続けてきた経緯を踏まえれば、陳腐の極みであろう。

加えて、村上は、随筆中に書いている。

「中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない。それはあくまで中国国内の問題である。一人の著者としてきわめて残念には思うが、それについてはどうすることもできない。僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動をとらないでいただきたいということだけだ」

村上は、何故、「中国の書店で日本人著者の書物が引き揚げられたことについて、僕は意見を述べる立場にはない」と書いたのか。それは、充分に抗議に値することではないか。始皇帝の時代の「焚書坑儒」とは趣旨が違うかもしれないけれども、少なくとも「権力」を持つ統治層の作為や示唆によって、一時的にせよ日本人著者の書が消されようとした事態には、変わりがあるまい。

目下、偶々、対日関係の悪化を反映して、日本人著者の書が槍玉に上がったけれども、先々に米国を含む他の国々との関係が悪くなるようなことがあれば、中国政府は、他国に対しても同じような対応を採るかもしれない。とすれば、これは、「言論の自由」の実質性が問われた事態である。それは、村上が書いたように、「それについてはどうすることもできない」という言葉で済まされるものなのか。

筆者は、現代日本の作家の文学作品を余り熱心には読まない。若き日に、アレクサンドル・I・ソルジェニーツィンやボリス・L・パステルナークの文学作品の洗礼を受けた故にか、現代日本の作家の文学作品には、「生ぬるさ」しか感じない。

ソルジェニーツィンにせよパステルナークにせよ、その文学作品は、往時のソヴィエト共産主義体制との「緊張」の上に成り立った。ソルジェニーツィンは、迫害と国外追放を経験したし、パステルナークは、代表作『ドクトル・ジバゴ』をイタリアで刊行しなければならなかった。

今年のノーベル文学賞受賞者と相成った莫言(作家)もまた、中国国内では「反体制色が薄い」と目されているとはいえ、その作品の一つが発行禁止処分を受けた経験を持っているのであるから、こうした「緊張」とは決して無縁ではないのであろう。そうした政治体制との「緊張」が反映された故に、彼らの文学作品は不朽の価値を持つのであろう。

現代日本の作家には、そのような「緊張」は皆無であろう。特に作家が「政治」に絡んだ言説を披露しようとした折に、その傾向は甚だしくなる。現代の日本では、自国の政府に対する批判ぐらいリスクの伴わない営みもない。他方、「権力」を露骨に行使しつつ、「言論の自由」に圧迫を加えようとする他国の政府に対しては、何故か、その批判を手控える。そうした姿勢のどこに、「普遍」があるというのか。

普段、秀逸な人間描写で名を馳せる作家が、「政治」に絡んだ言説を披露し始めた途端に、その議論が陳腐になる。しかも、その言説は、作家としての名声に支えられて一定の「権威」を持ちながら世に広まるのだから、余計に始末が悪い。こうしたことは、現代日本の作家の特性なのであろうか。


村上春樹氏のスタンスの虚偽性を簡潔に突いた秀逸な文章です。そう評価するのは、なにも櫻田氏が村上春樹氏をケチョンケチョンに言ってくれたからというわけではありません。

櫻田氏が乱暴な言葉を控えたところを、私は、毒舌系ブロガーとして、いささか下品に言い換えてみましょう。

村上さんさぁ、あなたが国境を超えた普遍的な文化を尊重する立場に立つのは構わないよ。だったら、中国が政治的な理由で文化(交流)を弾圧したことに対して、真っ先に勇気を奮い、抗議すべきでしょうが。それを「それが政府主導による組織的排斥なのか、あるいは書店サイドでの自主的な引き揚げなのか、詳細はわからない」などと寝とぼけたことを言って、中国政府の文化的暴虐に対して「見ざる言わざる聞かざる」の構えをキープするのは、はっきり言って卑怯だよ。そのうえ、「安酒」の形容によって、日本人が尖閣問題に臨んで抱く当然の危機感を揶揄し否定するなど、もってのほかというしかないよ。自分を何様だと思っているんだ。要するに、あなたは国境を超えた普遍的な文化の立場に立つ者としても不徹底であり、不誠実であるし、他方、日本人であることに立脚して物を言うことをも拒絶している。つまり、あなたはこの世のどこにもありはしない不在の場から、無責任な世迷言を天下の朝日新聞の紙面の上段すべてを使って垂れ流しただけなのだ。一個の表現者として、「安酒」をあおっているのは、日本人一般ではなく、あなたなんだよ。恥を知りなさいって。

と、なります。前回申し上げたように、村上氏には一日でも早く自分の住み慣れた「自分という牙城」に引き返して、そこでしか紡ぐことのできない繭糸のような繊細な言葉を紡ぐことに専念することをお薦めします。そこがあなたの文学者としての本来の場所です。そうしてそこ以外に、文学者・村上春樹の場所はありません。人には分限というものがあります。それをはみ出した役割を演じようと背伸びする者を、かの魯迅は「馬鹿者」と呼びました。

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