美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

小泉進次郎氏の農林中金批判を真に受けてはいけない (美津島明)

2016年01月14日 18時47分59秒 | 政治
小泉進次郎氏の農林中金批判を真に受けてはいけない (美津島明)



昨日のブログで、ちょっとばかり小泉進次郎氏の悪口を言ったところ、今日早速、氏の農林中金批判を目にしました。

農林中金いらない…小泉進次郎氏、融資姿勢批判
読売新聞 1月14日(木)8時11分配信

 自民党の小泉進次郎・農林部会長は13日、農林中央金庫について「(貸出金残高のうち)農業の融資に回っているのは0.1%だ。だとしたら、農林中金はいらない」と述べ、融資姿勢を批判した。

 茨城県で肥料や農薬の流通現場を視察した後、記者団に述べた。小泉氏は、自民党が今秋に策定する「農林水産業骨太方針」で、日本農業の構造改革を示す必要があると指摘。「構造の一つにはお金の回り方もある」と述べ、農林中金は農業への融資を増やす必要があるとの考え方を示した。


農林中金は、小泉内閣(2001.1~06.9)の構造改革によって投資銀行に変貌して以来、長らく米国金融資本のターゲットであり続けています。90兆円という国家予算レベルの預金残高が、彼らにとって垂涎の的なのでしょう。ちなみに、小泉進次郎氏は、「(貸出金残高のうち)農業の融資に回っているのは0.1%だ。」などともっもらしく農林中金を批判しているかのようですが、よくぞそんな口がきけたものだと、その鉄面皮のような図太さに呆れてしまいます。というのは、農林中金を、日本の農林漁業のために資金を投資する金融機関ではなく、日本の農林漁業が生み出した資金を掻き集めて国際金融資本家の利益を生み出すために投資する機関に作り変えたのは、ほかでもない彼の実父・小泉純一郎その人なのですから。どのツラ下げて、というのは、まさに進次郎氏のためにある言葉です。
参考http://blog.nihon-syakai.net/blog/2009/06/1165.html

農林中金は、米国商工会議所の意向を受けて目下推進されている農協改革において矢面に立たされている存在でもあります。昨今マスコミを賑わしている農協改革のねらいの核心は、農林中金を株式会社化することによって、米国金融による買収を容易にすることなのです。それが、農協改革の最終目的です。米国商工会議所は、その意図をまったく隠していません。隠しているのは、日本のマスメディアなのです(GHQのWGIPがいまだに効いているのでしょうかね)。安倍政権は、かつて小泉政権が米国の年次改革要望書を受けて郵政民営化で断行したことを、いままさに農協改革で断行しようとしているのです

だから、ある政治家が農林中金を批判する場合、それが煽情的なものであればあるほど、その批判は、米国金融資本の意向に沿ったものである疑いが濃厚になります。それゆえわれわれは、「小泉進次郎は、米国金融資本の走狗である。すなわち、売国政治家である」という仮説を立て、それを徹底検証するという厳しい視線で、彼の言動を精査し続けなければなりません。ネットでは、「進次郎、よくぞ言った」的な賛同の意見が大勢を占め、農林中金のメールボックスには罵詈雑言のメールが殺到しているとの由。いずれも、進次郎氏のショック・ドクトリン的言動に踊らされているだけの衆愚の反応であると断じるほかはありません。小泉純一郎元首相に、あれほど痛めつけられておきながら、日本国民は、性懲りもなく、今度はそのドラ息子に痛めつけられたいのでしょうか。一度はパパ小泉にまんまとだまされてしまった「前歴」を持つ私は、それだけはまっぴらごめんです。
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オバマ大統領の最後の一般教書演説(美津島明)

2016年01月13日 23時43分25秒 | 政治
オバマ大統領の最後の一般教書演説(美津島明)



今日、私ははじめて、米国大統領の一般教書演説をBBCワールドニュースの実況中継でつぶさに見ました。それについて、見たままを報告したいと思います。印象に残ったところを感覚的に記そうと思っているのですね。だから、同演説についての客観的な報道を確認なさりたい方は、末尾にそれらしきものを添えておきましたので、ご覧いただければ幸いです。

***

BBCワールドニュースでは、今日(1月13日)の午前11時から約2時間、オバマ大統領の最後の一般教書演説が特集されました。

最初の約1時間は、オバマ大統領の演説の実況中継でした。会場に姿を現してからの十数分間は、議員たちとの交歓に費やされ、特にほとんどの女性議員たちとのいちいちの抱擁と頬の接触(おそらくこれは、もっと適正な名詞的表現があるものと思われます)には、政治文化の違いを感じての新鮮な戸惑いがありました。

結論からいえば、私は、それほど熱心に聞いていたわけではないのですが、最後の10数分は、オバマ演説にすっかり心をつかまれてしまいました。図らずも、涙さえにじんできました。オバマ大統領の、アメリカ国民への信頼や愛が心の底から吐露されていて、そこにオバマの運命愛さえも感じられたからです。

「もしも私にリンカーンやルーズベルトほどの才能があれば、もっと巧みに政党間の対立の融和を実現できたかもしれない。アメリカの民主主義はむずかしいのだ」という言葉には、無類の率直さが感じられて好感が持てました。聞いているうちに、オバマ大統領の寛容な移民政策が正しく思えてくるから不思議です。オバマは、やはり演説の名手なのです。


ニッキー・ヘイリー

その後、ニッキー・ヘイリーという共和党員の現サウスカロライナ州女性知事が登場し、オバマ演説の批判を約30分ほど展開しました。「オバマ大大統領の『アメリカ議会は、意見の対立や憎しみを超えて、アメリカのために協力しなければならない』という主張はもっともだが、彼がやってきたことは、その言葉にそれほどかなったものではない」というのがその話の趣旨ですが、情理を兼ね備えた見事な反論でした。移民問題に関しても、「自分は、誇り高きインド移民の子どもである。合法的な移民を受け入れるのはアメリカのアイデンティティであるが、今はテロの時代である。移民に対する寛容すぎる姿勢は、アメリカの根底をゆるがす」と、自分の出自を明かしながらオバマの移民政策を批判するジェントリーなアプローチは見事でした。終わりの30分は、解説者の冷静な分析が繰り広げられました。「議員やブラウン管の向う側の視聴者の、オバマ演説への感激や興奮に満ちた拍手や支持の表明の直後に、あれだけのことが言えたのは大したことですよ。やりにくいもんですよ」という、コメンテーターのイギリス人らしい知的ユーモアに満ちたコメントが、耳に残りました。

米国大統領の一般教書演説は、世界政治の流れの基調の少なくとも一部分を成す、とても貴重な情報です。それを二時間の特集番組としてきちんと報道するBBCワールドニュースのようなテレビ局が、日本にはひとつもない。この厳然たる事実に、私たち日本人は、少しくらい驚いてもいいのではないでしょうか。

私がおかしいのかもしれませんが、私は、たまに地上波の番組を見てみると、その内容が相変わらずあまりにも牧歌的(もっといえば痴呆的)なので、あきれるやらいたたまれないやらで、すぐにチャンネルを変えてしまうのです。私がおかしいのか、日本の地上波がおかしいのか。

日本の貧弱な報道体制下では、国民の政治意識はいつまでたっても高まりませんし、政治家は大きく成長することもありません。事実、小ぶりなのしかいないじゃありませんか。せいぜい、橋下徹や小泉進二郎などのミニ・トランプクラスの低レベルな政治屋連中がブラウン管を空しく賑わすくらいのことです。嘆かわしいことだと思うのですが、みなさまはいかがお考えでしょうか。

ちなみに、安倍総理がアメリカ議会で演説したことがありましたね。あれを、高く評価する保守派の評論家が少なからずいたと記憶しています。が、今日のオバマ演説とニッキー・ヘイリースピーチを聞いているかぎり、どうしたらそういう評価になるのか、私には理解不能です。残念なことに、レベルがまったく違うのです。大人と大人の真似をする子どもくらいの差があるのです。

***
オバマ米大統領が最後の一般教書演説 7年間の実績アピール
(Sankei Biz)

2016.1.13 12:20

【ワシントン=加納宏幸】オバマ米大統領は12日夜(日本時間13日午前)、2016年の施政方針を示す一般教書演説を上下両院合同会議で行った。08年のリーマン・ショックから景気回復に導いたとして就任後7年間の実績をアピールし、今後、銃規制強化や移民制度改革に取り組む考えを強調。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の脅威から国民を守る決意も示した。

オバマ氏は任期最後の演説で「10年以上先に焦点を当てる」とし、来年1月の大統領退任後も含めた長期的な課題に言及。「民主主義には市民同士の信頼の絆が必要だ」と述べ、党派対立の解消を主張した。

就任前から訴えてきた「チェンジ(変革)」に触れ、「政治過程の変革は(次期大統領で)誰が選ばれるかではなくどのように選ばれるかだ。米国人が求めるときにだけ変革は実現する」と述べた。

また、米軍主体の有志連合によるIS掃討作戦が効果を上げていると強調。先月のカリフォルニア州サンバーナディーノ乱射事件後に大統領選の共和党候補で不動産王のトランプ氏がイスラム教徒の入国禁止を訴えるなど排外主義が広がることに警鐘を鳴らした。

 オバマ氏は同乱射事件を踏まえ、銃の購入者に対する身元調査を拡大するなどの新たな銃規制強化策を残り1年間の任期における重要課題と位置付けている。

 銃犯罪の阻止を訴えるとともに、演説で大統領が訴える政策に関係する人物を来賓として招くための傍聴席の1つを凶弾に倒れた犠牲者のための空席とし、哀悼の意を表している。

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に関し、「TPPがあれば中国は地域の規範を設定できない。米国がそれを行う」と述べ、早期承認を訴えた
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「ローマ法王、決意のアフリカ初歴訪」報道をめぐって (美津島明)

2015年11月27日 13時53分06秒 | 政治
「ローマ法王、決意のアフリカ初歴訪」報道をめぐって (美津島明)



昨日、ローマ法王のアフリカ歴訪にまつわって日本のマスコミの悪口めいたことを口走ってしまいました。しかし、二六日二三時付の産経ニュースが、次のように、きちんと報道しているのを、先ほど目にしました。宮下日出男記者による、一字の無駄もない、必要にして十分な字数の模範的な記事内容であると感服しました。ごらんください。

ローマ法王、決意のアフリカ初歴訪「神の名で暴力は正当化されず」直接、平和を語りかける モスクも訪問

 【ベルリン=宮下日出男】ローマ法王フランシスコは26日、訪問先のケニアの首都ナイロビで「神の名を使って憎しみや暴力が正当化されてはならない」と述べ、欧州やアフリカで相次いでいる過激派によるテロなどを批判した。現法王のアフリカ訪問は即位後初めて。ケニアに続いてウガンダや中央アフリカを訪れる。いずれの国でもテロがしばしば発生しており治安面で懸念はあるが、自ら訪れて平和を訴える意向だ。

 法王は26日、イスラム教指導者らとの対話の際の演説で、「あまりにも多くの若者が不和や恐怖をまき散らすため、過激化している」と述べ、「(宗教指導者は)人々が平和に暮らす仲介者であることが重要だ」などと訴えた。

 パリ同時多発テロでは、過激化した若者のテロが改めて注目された。ケニアでも4月、ソマリアのイスラム過激派組織アッシャバーブが大学を襲撃し、148人が死亡した。同組織はケニアのソマリア国連平和維持活動への参加に反発しており、ケニアでは過激派に若者が影響を受けることも課題になっている。

 在位中の法王のアフリカ訪問は先々代のヨハネ・パウロ2世以来。世界のカトリック信者約12億人のうちアフリカは約2億人を占め、法王は信者らに直接、平和や貧困問題の克服などを訴えたい考えだ。

 一方、訪問先の国々は警備に全力を挙げている。ケニアは警官約1万人を動員し、法王の移動時には一部道路も封鎖した。同様にソマリアの平和維持活動に参加し、アッシャバーブの標的にされるウガンダも、警官1万人以上を投入して厳戒態勢を敷く方針だ。

治安面の不安がさらに強いのが中央アフリカだ。キリスト教徒主体の民兵組織とイスラム教徒の反政府勢力の衝突が続くが、法王は首都バンギの危険地域にあるモスク(イスラム教礼拝所)も訪れる予定。同国駐留中の仏軍は一時、法王庁に予定変更を促したともされる。

 ただ、法王の決意は固いようだ。往路の機中、治安の問題を問われた法王は「心配するのは蚊だけだ」と冗談をまじえて答えた
。』
http://www.sankei.com/world/news/151126/wor1511260049-n1.html

昨日アップした論考で、私は、法王には並々ならぬ決意があるにちがいない、という意味のことを申し上げましたが、この記事によれば、それはどうやら事実であるようです。「治安の問題を問われた法王は『心配するのは蚊だけだ』と冗談をまじえて答えた」とありますが、その発言が「冗談」として通じるほどに、歴訪先が危険であるということにもなるでしょう。また、その「冗談」は、かえって法王の並々ならぬ決意を際立たせる、迫力のある言葉である、とも感じられます。

また、ケニアでさえも相当に危ないのに、次の訪問先であるウガンダも同様の危なさであり、その次の訪問先である中央アフリカは、「治安面の不安がさらに強い」との由。キリスト教徒主体の民兵組織とイスラム教徒の反政府勢力の衝突が続くという。

そういう、きわめて危険な状況下で、法王は「神の名を使って憎しみや暴力が正当化されてはならない」と発言しているのです。心地よくて安楽な安全圏から「美しい言葉」を発しているのではないのです。カトリック信徒ではない私でさえも、深く心を動かされるのですから、ましてや、日々危険と隣り合わせの状況下で怯えながら暮らしているにちがいない現地のカトリック信徒がどれほどに、法王の姿と言葉によって勇気づけられ励まされることか、想像するに余りあります。

ここまで書いているうちに、私は次のようなことに思い当たりました。

記事にあるように、世界のカトリック信者約12億人のうちアフリカは約2億人を占めています。フランス大統領は、反ISIL包囲網を強化するために関係諸国を歴訪しているのですが、そのような包囲網が強化され、ISILへの空爆がすさまじくなればなるほどに、EUへのテロの危険性が高まるのみならず、報復の術(すべ)を持たないアフリカの2億のカトリック信者もまた、無防備なまま、イスラム原理主義のテロの危険にさらされることになります。

欧米諸国の指導者たちよ。君らの反ISIL包囲網によって、アフリカの2億の同胞が、無防備な状態でテロの脅威にさらされることになるのだ。そのことに、君たちは気づいているのか。それは、どうでもいいことなのか。アフリカの2億のカトリック信者は、君たちの同胞ではないとでもいうのか

ローマ法王フランシスコは、欧米社会の指導者たちや、カトリック信者や、さらには、キリスト教徒たちに、そうして結局は人類に、そう訴えかけているのではないでしょうか。この問いかけに、すらすらと返答できる者は、おそらくそれほど多くはないものと思われます。

イスラム原理主義のテロ問題がいかに深刻で解決困難なものなのかを、骨身にしみて徹底的に感じることが、当問題を考えるうえでの出発点である。そう、私は考えています。
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ローマ法王、ケニアを歴訪す (美津島明)

2015年11月26日 00時15分10秒 | 政治
ローマ法王、ケニアを歴訪す (美津島明)



今日のBBCワールド・ニュースをぼんやりと観ていての感想。

今日のBBCワールド・ニュースは、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王がアフリカのケニアを訪れたことを、繰り返し報道している。法王は、ケニアに向かう飛行機のなかで、記者たちのインタヴューに答えて「宗教的和解を伝えるつもり。しかし、すべては謎」という意味のことを言っているそうである。いまのところ、マスコミを煙に巻くよりほかはないだろう。

ケニアといえば、イスラム過激派組織「アッシャバーブ」がキリスト教徒を狙った大規模なテロを繰り返している国である。よほどの覚悟があっての同地訪問なのであろう。ほかに、ウガンダと中央アフリカを歴訪するとの由。いずれも、とても安全とは言えない国ばかりである。

二週間前のフランス・パリでのISILによる同時多発テロを受けての歴訪であることは、だれにでも分かる。それに対するメッセージを、わが身への危険の及び難いバチカンからではなくて、厳重な警戒態勢を敷かざるをえないほどに危険なケニアから発信しようとする法王の胸の内は、キリスト教徒ならざる私にも、いかほどかは、察することができるような気がする。

法王は、豊かな「勝ち組」である欧米社会の唱える反テロの「連帯」なるものはあまり意味がない、と思っているのではなかろうか。さらには、豊かな「勝ち組」である欧米社会の「自由」こそが、イスラム社会を追いつめ、イスラム原理主義という同社会のエイリアンをその体内ではぐくみ、この世に送りだしてしまい、豊かな「勝ち組」である欧米社会に、いま牙を剥いているのだ、という思いがあるのではないだろうか。そのことに対する反省のまったくない、欧米社会の反テロ運動など、犬も喰わぬ、という言葉さえも、法王は胸の内にしまっているのではないか。

どうも、そういうことであるような気がするのである。安全圏から、キリスト教とイスラム教の和解を唱えてみたところで、それは、なんの意味もない。キリスト教徒が力なき少数派である地において、多少なりとも力のある言葉を発することで、もしもわが身が滅びるのなら、それは神の意思なのだから、自分は、それを喜んで受け入れる。

法王は、問わず語りにそう言っているように、私には感じられるのである。

とすればこれは、大変なニュースである。西側諸国のただなかから、西側諸国を一方的被害者として美化することの愚を指弾する声を、あのローマ法王が発した、という大変な事件なのだ。

これをきちんと報じようとしない日本のマスコミの国際感覚はどうかしている、と私は感じる。

シチリア・マフィアとの腐れ縁が取り沙汰されるバチカンを美化する気など毛頭ない。しかし、法王の心意気だけは買わねばならないと思うのである。その身の安全を心から祈る。
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チャンネル桜〈『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する〉を観て (美津島明)

2015年11月21日 11時46分26秒 | 政治
チャンネル桜!〈『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する〉を観て (美津島明)



以下に掲げる動画の出演者は、いずれも「南京攻略戦という戦いはあったが、いわゆる『南京大虐殺』なるものはなかった」という見解を共有する論者です。「虐殺派」VS「まぼろし派」という「南京事件」をめぐる基本的対立軸の、「まぼろし派」に組する人たち、それもその最右翼に位置する人たちと言っていいでしょう。

ついでながら、私は、彼らほどの確信はまだ持ち得ていませんが、「おそらくその通りなのだろう」と思っている者です。そうして、なによりも、中共が仕掛けてきた歴史戦には断じて負けてはならないと思っている者です。しかし、勝つためだったら、(中共のように)歴史のねつ造も辞さない、とまでは思っていません。敵と同じ土俵に上がらない、というのを闘いのべからず集のトップに持ってくるべきである、と考えるからです。

過去のことではなくて、今まさに、チベット族やウィグル族を大量虐殺している連中にしのこの言われる筋合いはない、という強い感情を持っていることも正直に白状しておきましょう。そのことに関連して、国連やユネスコの偽善には怒りを覚えていることも合わせて白状しておきましょう。国連やユネスコのいかがわしさについては、いつかきっちり批判したいという思いがあります。

私からは、当討論の内容について、二点触れておきたいと思います。

ひとつ目は、ユネスコの世界記憶遺産に登録されたと目される11点の資料がどこまで「大虐殺」を証拠立てているかの検証についてです。

平成二七年十月十一日の毎日新聞は、新華社通信の報道に基づいて、世界記憶遺産に登録された「南京大虐殺に関する資料」は、以下の11点ではなかろうかという内容の報道をしています。ユネスコは、資料の内容がいかなるものかについてはまだ正式に発表していないそうです。

<1>国際安全区の金陵女子文理学院の宿舎管理員、程瑞芳の日記

<2>米国人のジョン・マギー牧師の16ミリ撮影機とそのオリジナルフィルム

<3>南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した、旧日本軍撮影の民間人虐殺や女性へのいたずら、強姦(ごうかん)の写真16枚

<4>中国人、呉旋が南京臨時(政府)参議院宛てに送った旧日本軍の暴行写真

<5>南京軍事法廷が日本軍の戦犯・谷寿夫に下した判決文の正本

<6>南京軍事法廷での米国人、ベイツの証言

<7>南京大虐殺の生存者、陸李秀英の証言

<8>南京市臨時(政府)参議院の南京大虐殺案件における敵の犯罪行為調査委員会の調査表

<9>南京軍事法廷が調査した犯罪の証拠

<10>南京大虐殺の案件に対する市民の上申書

<11>外国人日記「南京占領-目撃者の記述」


藤岡信勝氏によれば、このなかで、その内容が具体的に特定できるのは<1>から<8>までだそうです。さらにそのなかで、歴史学でいうところの一次資料、すなわち、「南京事件」に関する資料のうち独自性が認められるおおもとの資料や原典・元の文献そのものと呼べるのは、<1>の程瑞芳の日記と<2>のマギー・フィルムと追加の資料として中共から提出されたマカラムの手紙の3点だけだそうです。

阿羅健一氏は、その3点について、次のように述べています。

「程瑞芳の日記」は、この日記は一九三七年十二月八日から翌一九三八年三月一日まで書かれています。そのなかで、彼女が目撃した、日本兵による事件は、九件の強姦と九件の略奪です。ほかは、伝聞・憶測の類いだそうです。

「マッカラムの手紙」の日付は、一九三八年一月七日です。この手紙を分析すると、筆者が目撃した、日本兵による事件は、強姦一件、殺人一件だそうです。

いずれの資料も、「大虐殺」が実施されたとされる、一九三七(昭和十二)年十二月十三日の南京陥落翌日から翌年の一九三八(昭和十三)年一月までの間の南京市内の出来事に触れたものです。

阿羅氏によれば、これらの資料で示された強姦・略奪・殺人の件数は、30万人という「大虐殺」とはかけ離れていて、むしろ、「大虐殺」などなかったことを物語っています。

次に、「マギー・フィルム」について。日本軍による南京占領の期間中、その光景をアメリカ聖公会の牧師ジョン・マギーは、16ミリフィルムに残していました。それが、「マギー・フィルム」です。

実際にその映画を観てみると、明らかに虐殺されたとわかる死体は一つも映っていないそうです。字幕には「日本軍の暴行」等とあって日本兵の残虐性を訴えていますが、日本兵が捕虜を処刑しているシーンも、何千もの死体シーンもなく、映っているのは、ほとんどが生きている人々ばかりです。首を切られかかった傷跡が大きく陥没した痛々しい姿の中国人の有名な映像についても、そういう大きな傷がひと月やふた月で治るはずがない、という疑念を抱かせるものです。阿羅氏は、その映像には、客観性が欠如していると評します。

マギーは東京裁判で、「あちこちで殺人が行なわれていた」と証言したとき、自分自身が目撃した殺人現場の有無をたずねられると、「一つだけあります」と答えています。しかしそれは、民間人に化けた中国兵の掃討作戦を実行しているとき、不審な中国人をみて彼の身元を尋ねると急に逃げ出したので、やむをえず撃ったというものでした。これは国際法上合法的な行為とされているものです。彼は非合法の殺人を一件も目撃していないのです。

以上から判明するのは、ユネスコに登録された資料は、大虐殺を実証するという観点からすれば、いずれも歴史学のオーソドックスな検証には耐ええない代物ばかりである、ということです。

触れたいことのふたつ目は、堂々と歴史をねつ造することによって、歴史戦で日本を打ち負かしたいと思っている中共とどう戦うかについてです。

その点について、江崎道朗氏が、秀逸なアイデアを提案しています。

江崎氏によれば、いまの日本は、南京事件について、歴史戦を仕掛けてきている中共のみならず、韓国は当然のこととして、欧米諸国による無理解あるいは誤解の包囲網に直面しています。米国の日本に対する思いの核心は、「日本は真実を隠蔽している」というものです。そういう残念な事態の責任は、それを放置してきた政府・外務省の側にあります。政府・外務省は、時を移さず、国会図書会や公文書館にある南京事件関連の全資料を順次英訳し、アジア歴史センターのHPに掲載して情報公開し、「言論の自由・学問の自由のない中共が11点しか資料を提出できなかったのに対して、言論の自由・学問の自由を尊重する日本は、数千点・数万点の資料を公開していますよ」というメッセージを発信すべきである、というのです。

この戦略は、とても優れています。なぜなら、中共に対する反論が不得手な外務省でさえも、これならすぐに実行できますし、イチャモンつけの得意な中共でさえも、これには反論のしようがないからです。また、事実それ自体に語らせるという作戦は、無理がないし、とても効果的であると思われます。戦わずして勝つ、というわけです。

江崎氏はもうひとつ提案をしています。それは、内閣府に南京事件に関する「戦略情報室」という司令塔を作って、歴史戦というインテリジェンスをめぐる戦争を戦い抜く体制を整えることです。その場合、外務省には多くを期待できないので、民間の有力な論客や学者を組織して、政府・外務省はそれを支援する、というスタンスが好ましい、と江崎氏は言います。

日本には、南京事件についての「虐殺派」と「まぼろし派」の対立という根深い問題があるので、メンバーの選定はけっこう紛糾するとは思われますが、「歴史戦に勝つ」という基本目的を忘れなければ、なんとかなるのではないかと思われます。こちらもぜひ実現してほしいものです。

以下に、討論の動画を掲げます。いずれの論客も歴戦の戦士だけあって、なかなか充実した内容になっています。少数精鋭の討論といえるでしょう。


1/3【討論!】『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する[桜H27/11/7]


2/3【討論!】『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する[桜H27/11/7]


3/3【討論!】『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する[桜H27/11/7]
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